トウダイグサ科ユーホルビア、和名 初雪草、氷河と言う品種です。真ん中の白い小さな花に見えるものは、杯状花序というそうで、花ではないですが、その中から実ができてきます。緑に白の縁取りのあるものは、やはり葉。初雪草という名前ですが、花期は、今ぐらいから。氷河と言う品種名も、その白い斑入りの葉が、涼しげなところからついたようです。
今日は、心と体のセミナー
みんなと、一緒に学んでいて、みんなが、これぐらいいけるぞ。ということで、飛び込んで行ったので、自分も行けると思ったら、まだ、自分はそこまでのレベルには行っていなくて、失敗してしまった。その後どう処理したか?と言うお題で。
私は4歳の時に、大阪市内から、寝屋川に転居しました。
その時、寝屋川はまだ田舎で、子どもたちが田んぼや野原で、野生児のように遊んでいました。私は、田んぼに入ったこともなかったですが、みんなが行くので、自分もいけそうな気がして、一緒に田んぼに入っていきました。
刈り込んだ後の田で、黒い泥に足をとられて、途中まで行くと、そこで、足をとられて動けない。足を出そうとすると、靴が沈んで出てこない。
4歳の私は、だんだん心細くなってきて、大声で泣いてしまいました。
すると、通りかかった双子の兄妹がやってきて、手を引いてそこから出してくれました。
結末は良かったかもしれない。問題の起きたときの対処法としてはどうだろう?
現在の私に置き換えると、何か問題が起きたとき、泣くまではなくても誰か助けがこないか?とたたずんで、ボーっと立ちすくんで待っている。というようなことが度々起きていることに思い至りました。
誰かが来て助けてくれた、うれしい。と、結末感情が良かったた為に、その対応では不適切な時でも、同じ言動を取り続けていることに気がつきました。
人は、いやなことだと思えば、言動を変えることができますが、気持ちよかったことには、手を打たない。
ほめられた子や、いい子が、怖いのはそこです。
泣いて助けを呼ぶことが悪かったのではありません。
もう、一つのストーリーでは、助けが来なかった。という、結末もありえます。
また、靴を脱いで裸足で歩いて帰リ、自力で乗り切るというパターンもあります。
この私の物語に、起承転結を付け、一つの方法にすることで、問題を乗り切るときの一つの選択肢として、人生で活用できるようになるのです。
みんなで一緒に飛び込んだら、自分は失敗して、一人でたたずんでしまった。泣いて助けを呼んだけれど誰も来なかった。
その時、飛び込んだことが悪かったのではなく、飛び込むもののレベルを一メモリ下げる、不要なものを後生大事に取っとかないで捨てる。など、乗り切る方法をいくつも持って、成功の確立をあげることができる、という発想を持つことが大事なのです。