実家のアリッサム。この色が好きです。
明日は、地域の盆踊りのお手伝いに行く日ですが、午後から雨とか、だいじょうぶかな?
昨年は、全部用意したあとで、豪雨のため中止。16時5分でした。
音頭取りさんは着てるし、盆踊りの浴衣に着替えた盆踊り会のみなさんもいるし、子ども会や自治会の模擬店の準備終わってるし、諦めないでやってきた子どもたちを雷から守るために、校舎の廊下は満員。食べ物は半額で売り切り、あてものや、ヨーヨーも余り大変でした。といって順延になればなったで、そう簡単に人の手配ができないばあいもあるし。
順延になっても、中止になっても大変。お天気がうらめしい。
今、私たちにはかなりいろんな選択肢があります。
選択肢が無いと考えることは自由ですが、現実には即していない。
googleの検索画面を開けると、ネルソン・マンデラのイラスト矢印をクリックすると言葉が出てきました。GoogleはGoogleのできることをしているのでしょう。
「生まれた時から、肌の色や育ち、宗教で他人を憎む人などいないもし人が憎しみを学べるのなら、愛を教えることもできる。
愛は、憎しみに比べてより自然に人の心にとどく。人生で大切なのは、ただ生きたということではない。
自分の人生を通じて、他の人々の人生をいかに変えることができたか、それが重要なのだ。
教育とは、世界を変えるために用いることができる、最も強力な武器である。
自由であることは、単に己の鎖を脱ぎ捨てるだけではなく、他人の自由を尊重し、より向上させるような生き方をすることである。
生きるうえで最も偉大な栄光とは、決して転ばないことにあるのではない。 転ぶたびに起き上がり続けることにある。」
暴力的な力を使う欲望や、絶対的な善を押し付けたくなったり、復讐心に囚われたりする愚かさに、巻き込まれる先は、勝っても、負けても、別の地獄のへの道しるべ。
力は支えるものがいなければ立つことはできない。
沈黙していれば加担することは無いと考えている人が多いですが、それは間違いです。
沈黙は賛成に一票で、沈黙の責任を取る時は必ずやってきます。
自分の持っている選択肢について、よく考えて、自分の存在は何を支えているのか?