日曜日は、I先生のマスタークラスでした。
Adurのスケールをロングトーンで、吹きます。
1つの音が生まれて消えるまで。
打楽器なら叩いた後は、減衰するのみですが、フルートは、そういうわけにはいきません。どういう風にはじめるか?どういう軌道を描いて、どのようにきえるのか?を、自分の息と身体を使って表現するしかありません。
舌を使ってタンギング。
息のスピード、太さ、ビブラート。
足、腰、肩、首、手
全てをコントロール。
先生の集中の質が、私にも伝わってきて怖いくらいですが、怖がっては音はでません。
先生が聞かれて、少しでもぶれたり、かすれたり、ビブラートが均等でなければ、止められます。
そして、「こんなふうに」と吹いてくださいます。
美しい!
その吹き方はできないかもしれないとか、
どうやってるのか、わからないとか、考える時間は、ありません。
ただ吹くのみ。
まずかったら、またやり直し、よかったら、「まあ、いいでしょう。次にいって。」となります。
先生の規準に達したかどうか?
全身の神経を総動員して、聴き、吹きます。
この集中こそ、伝統の伝承に欠かせないものだったことに気づかされます。
どれだけ、行けるか?わかりませんが、行けるところまで、行きたいと思っています。