この時期の淀川の土手の主役はムラサキツメクサ。
シロツメクサも咲いていましたが、少し。
交響詩「春の歌」は1894年29歳の頃作曲されました。
1892年に結婚し、1893年には、長女エーヴァが生まれます。
シロツメクサも咲いていましたが、少し。
シロツメクサも外来種ですが、それも最近の外来種のムラサキツメクサに押されています。
ジャン シベリウス(1865- 1957年)フィンランド大公国ハメ州ハメーンリンナ生まれ、フィンランドウーシマー州ヤルヴェンパー
交響詩「春の歌」は1894年29歳の頃作曲されました。
もともとは「管弦楽のための即興曲」ニ長調として作曲されました。
シベリウスは「春の悲しみ」としてヘ長調に移調して出版を試みましたが、出版しないで終わっています。
1902年最後の改定が行われ最終校になりました。
1889年にシベリウスの友人で、指揮者のアルマスがシベリウスを自宅に招待し、妹のアイノ ヤルフェルトを紹介します。
友人で、小説家のユハニ アホが恋心を告白しますが、いい応えを得られませんでした。
それから数年後、シベリウスがアイノと婚約。
1892年に結婚し、1893年には、長女エーヴァが生まれます。
彼女はその後貧しかったシベリウスを支え、家庭菜園をして食費をうかしたりし、6人の子どもたちの教育費を節約して、自宅で子どもを教育し、その後学校に通わせた時には全員優秀な成績でした。
その後、シベリウスの裕福な独身の叔父の遺産でアイノラに移り、1918年のフィンランド内戦、1941年の空爆を家族とともに乗り越え、シベリウスの最後を看取り、1967年97歳で亡くなっています。
そのアイノの言葉
私は彼の隣で生きることができて幸せです。何のためでもなく生きていたわけじゃないと思っています。暮らしがいつも容易いものだったとは言いません - 自分自身の希望を抑え、制御しなければならなかったのです - ですが、私はとても幸せです。自分の人生を祝福しますし、天からの授かりものだと思っています。私にとって夫の音楽は神の言葉です - その源泉は気高く、そしてそんな源泉の近くに生きられることは素晴らしいことなのです。
アイノと結婚して長女が生まれた時期の交響詩「春の歌」です。
トゥオネラの白鳥。
水野英子さんの漫画で知りました。
以来虜です。
私も妻からそう言ってもらえるように頑張らないと!
いつも温かいリアクション
ありがとうございます😊
美しい音楽・曲にまつわる物語
興味深く見聞きして居ます(^-^)
今日から五月〜今月もどうぞ
お元気でご活躍を!
シベリウスは大酒呑みでアイノは苦労したみたいです。シベリウスの真似はしないほうが、いいかもです。
ポパイ鍋いいですね。私もやってみます!
励みになります💖
札幌も温かくなったと思っていたら、カタツムリも出ているのですね。絵手紙かわいいです。
お身体お大事に、お元気でご活躍下さいね❣️