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近所のタイサンボク。
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大きくゴージャスな花のなる木はアメリカ原産です。
この花を見るといつも思い出すことがあって。
高校の美術の教師が、「ハワイで大きな花のなる木があって、チューリップツリーと言うんです。それを描いていたら、みんな集まって来て、喜んで大騒ぎになった。」
チューリップツリーは私の中ですっかりタイサンボクの花になっていて、いつも思い出すのです。
実際には、お仲間のハクサンボクだったのですが、写真を見てもピンとこない。
先生の話の中のチューリップツリーはおおらかなハワイの人と同じように、これくらい大きくてゴージャスでなくては。
そもそも、先生は小さなおじいさんにしか見えず、時々お酒の匂いがして、生徒の何人かを捕まえては「美大に行けるよ。行かないか?」と声をかけて。
私も声を掛けられた1人。
結構な頻度で、アルコールの匂いがして、本当か嘘かわからない話しをたくさんしても、首にならないのは、実は高名な画家だからという噂が静かにされていて、
でも、高圧的でなく、静かに話すせいか、反抗期の女子たちも、そのことを誰も問題にしなかった。
東京芸大に入るのは難しくて、本を食べて覚えたとか。
今でも本当だったのか?と思うのは、戦時中の話し。
学歴があったから、上官に任命されて。
南方に行かされた。
絶対にこの戦争で部下を死なせたくなかったから、「敵を見たら逃げろ。」と教えた。
お陰で他の部隊が全滅したけれど、うちの部隊だけは1人も死なずに日本に帰ってきた。
もう1つは、ひめゆり部隊を教えていた。
出征で別れて、後で全滅したと聞いていたけれど、ある日
生き残りの人がいることがわかってホテルで会った。
顔を見た途端、何も言えずに二人とも背中を向けて泣くだけだった…。
最近になって先生の名前をネットで探してみたけれど、出てこない。
当時でさえ高齢だったので、もう消息は無理かもしれない。
お話も変えて覚えているかもしれません。
本当のところ、どうだったのだろう?
なぜ美術の授業でこんなことを話していたのか?
とにかく、
数式や、公式、単語ほとんどを忘れてしまったけれど、薄暗い美術室で、聞いた話しだけは
タイサンボクの花をみる度に思い出す。
いつも温かいリアクション
ありがとうございます😊😊😊
チューリップツリー❣️
タイサンボクの仲間でしょうか?
美しい花に魅せられました。
知人のパソコンショップオーナーに
夫のワクチン接種予約お願いし
無事に二回分予約完了し思わず落涙(;_;)
ワクチン予約できてよかったですね💖
コロナはやっぱりストレスが大きいですから…。
お元気でいて下さいね。
戦時下はみんなつらかったと思いますが…芸術家はどうしていたのか?
生き残った負い目…そうかも。
2度と繰り返さないためには何が必要なのでしょう?
不思議で面白いですね✨