母の検診で京都の病院へいきました。
異常無し。
母は大きなオムライスをペロリと食べました。
といえば、オペラブッファで有名です。
異常無し。
帰りに樟葉モールくずは珈琲でランチ。
母は大きなオムライスをペロリと食べました。
頼もうとしたオムライスには唐揚げがのっていましたが、ハムだったと文句を言ってました。
日替わりとかいてあったのを見落としただけでしたが…。
最近太ってきたと嘆いていましたが、それはこの食欲のせい。なのは明白!
元気でいてくれれば、私は満足ですが。
帰りはバス一本なので、ここでいいと帰されました。
大好きな買い物をしてかえるそうです。
私は仕事があるのでここでさよならしました。
食欲も物欲もあってめでたい!
ジョアキーノ アントーニオ ロッシーニ(1792-1868年)教皇領ペーザロ生まれ、フランス帝国パリ没
といえば、オペラブッファで有名です。
1808年から1829年までの間に大量のオペラを書き続け、1年で5本のオペラを書いた年もありました。
食肉工場で働いていた父は、ナポレオンが来たときに喜び、そのせいで後にオーストリア政権になったときに投獄されます。
母は歌手として働き、生活を支えます。
祖母の元へ送られたロッシーニは「手に負えない子ども」と言われて、育ちます。
太り気味でしたが、天使のような姿で多くの女性と、浮名を流します。
成長したロッシーニに、ベートーヴェンは「セビリアの理髪師」を見て感激。
「あなたはオペラブッファ以外のものを書いてはいけません。」と絶賛。
文豪スタンダールは「ナポレオンは死んだが別の男が現れた。」と評します。
1825年「ランスへの旅」を作曲すると「フランス国王第一の作曲家」の称号を得て、終身年金を得ます。
37歳で「ウィリアム テル」を書くと、オペラを引退。レストランを経営します。
オペラで、有名ですがロッシーニは六曲の木管四重奏を残しています。
この楽譜の、原譜は長く失われたと思われていました。
第一次大戦後、ワシントンの国会図書館でA.カゼッラがパート手稿符を発見しました。
そこには
「私が通奏低音和声の授業さえを受けてない若い頃、・・・別荘で作曲した“ひどいソナタ”…。これらは三日間で作曲、写譜され、…仲間と演奏した」
と、書いてあり、「1804年 ラヴェンナ」と製作年と作曲場所が書いてありました。
ロッシーニ12歳、確かに若いです。
しかし、木管四重奏としては今日でも最もよく演奏されている曲です。
ロッシーニの研究で有名だったアルベルト ゼッタは2017年に惜しまれつつ、お亡くなりになりました。私、生前の2015年、ゼッタの指揮でランスへの旅を見たことがあります。
オペラは初心者で字幕を見るのに一生懸命であっという間に終わってしまった記憶があります。。。
もう一度、落ち着いて見れるように機会があれば見に行きたいと思ってます。。
とてもいい勉強になりました《^@^》
フォーレはそれまでのレクイエムが地獄、煉獄の恐ろしさを描き、脅すような作りになっているのを辞めて、あのレクイエムをかいたそうです。
ゼッタ指揮のランスへの旅聴かれたのですね!素晴らしい!
ランスへの旅、聴かれたのですね!
素晴らしいですね。
また、ぜひ聴いてくださいね!