土曜日の朝は伊藤公一先生のマスタークラスでした。
1853年
1898年頃
梅田ナビオ前には巨大クリスマスツリー。
今頃からクリスマス商戦をやっていて12月になったら何をするのか?
なんて思ってしまう私は一生お金儲けとは無縁なのかも。
仕方ないなぁ。
今回も伊藤先生に絞られました。
「当たり前のことが当たり前にできる」ようになるのは何時のことかやら…。
目の前のことをコツコツやるしかありません。
まだまだ諦めません。
だって81歳の先生が自分の成長を諦めていないのだから…。
フランツ ドップラー(1821-1883年)
オーストリア帝国ガリツィア レンベルク(現ウクライナ リヴィウ)生まれ、オーストリア=ハンガリー帝国バーデン バイ ウィーン没
は、フルート曲で有名なハンガリー人の作曲家です。
生前は、むしろオペラやバレエなどの舞台音楽の作曲家として評価が高かったそうです。
また、フランツ・リストの『ハンガリー狂詩曲』のいくつかを編曲したことでも知られています。
オーボエ奏者であった父親からフルートの指導を受けます。
18歳でブダペスト歌劇場
ハンガリー国立歌劇場ブダペスト
の首席フルート奏者に就任します。
の首席フルート奏者に就任します。
1853年
その後はウィーン宮廷歌劇場
1898年頃
の首席フルート奏者から首席指揮者の地位へと昇り詰め、1864年から1867年までウィーン音楽院
1812年設立
のフルート科の教授も務めました。
のフルート科の教授も務めました。
オペラやいくつかのフルート協奏曲のほか、超絶技巧を要する華麗なフルート小品を残しています。
フルート二重奏曲やフルート二重奏のための協奏曲といった作品は、フルートのヴィルトゥオーソ兄弟としてヨーロッパ中を席巻しました。
ドップラー兄弟:フランツ(左)カール(右)
弟カール・ドップラー(ドップレル・カーロイ)との共演のために作曲されています。
日本では、東洋的な曲想をもつ『ハンガリー田園幻想曲』作品26が人気があります。
弟カールともどもフルートのヴィルトゥオーソにして作曲家でした(兄弟ともベーム式フルートを好まず、旧式のフルートを使い続けました)。
カールは左利き用のフルートを作らせ、2人はこのようなスタイルで演奏していたと言われています。
兄のフランツは弟カールは左利き。ヤン・グリーム(Jan Grimm)、右・左利きフルート
兄のフランツは弟カールは左利き。ヤン・グリーム(Jan Grimm)、右・左利きフルート
セバスチャン・ジャコー(Sebastian Jacot)、 フルートの再現演奏。ユンヤング・リー(Yun-Yang Lee)、ピアノ
カールの子である甥アールパード・ドップラー(ドップレル・アールパード、Árpád Doppler)も作曲家となり、米国で活動しました。
「ハンガリー田園幻想曲」は作曲年と動機については不明ですが、おそらくドップラーがウィーンに移る前に、ブダペスト歌劇場のフルート奏者を務めていた時期の作品といわれています。しかし、今日ではドップラーの代表作として日本ではもっともよく演奏されています。
元々フルートと管弦楽のために書かれた楽曲てすが、フルートとピアノのデュオ向け編曲版で演奏されることが多くなっています。
伊藤公一先生の演奏です。