音楽の喜び フルートとともに

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世界を巡ってきた舞楽

2024-11-26 09:00:00 | 日本
月曜日、母の友人の方が出演される「第52回天王寺楽所雅樂公演会 雅亮会百四十年」がフェスティバルホールで上演されるということで、  

土曜日に母と前回は夕食を一緒に食べてから行ったのでそうしようとしたら、返事が二転三転。

「あれ?」と思って聞いたら
「その日は。お琴の先生方との会合でお昼アゴラで食べてくるから、夜になってもおなかいっぱい。」だって!
「ええなぁ〜。」
結局約束しないで当日。

食事は諦めて、家族の夕飯を用意して準急でゆっくり座っていこうと、時間を計算してLINEしたら、なかなか既読つかない。

仕方ないのでそのつもりで牧野駅に着いたら「守口から乗った。」
はあ?
しばらくしたら「もう着いた。」
仕方ないので、枚方市で準急を降りて特急に乗り変えました。

枚方市駅でみた交野線ラッピング電車
「特急は混むから嫌なんだけどな〜。」
「座ってゆっくり行くはずだったのに…。」
と心の中で叫びながら…。

しかもヤフー路線見てもでないと思っていたら、京橋で中之島線乗り換えたら牧野からのっていた同じ電車でした。

あ〜あ!そのまま乗ってればよかった。座っていけたのに…。これは私のミス。

母は渡辺橋駅のホームの椅子に座って待っていました。 

フェスティバルホールの赤階段 クリスマスツリー
今日の演目は天王寺楽所。
1500年前から伝わる舞楽。

聖徳太子が開創し、明治維新で天皇陛下が舞人を東京にお連れになった時に、存続の危機が訪れました。
その時小野松蔭が人々をまとめ上げ、楽所を建て直しました。そ
とき作ったなが雅亮会だそうです。
その雅亮会の140周年記念公演。

第二の危機は第二次世界大戦。
四天王寺は空襲で焼け落ち、貴重な衣装や楽譜が失われ、舞人たちも戦場に出て何人も亡くなりました。

小野樟蔭の息子せつ龍が立て直しをはかり、なんとか演目を復活させたそうです。

戦後、美智子さまの御前公演や、アメリカのカーネギーホールで出張公演を行ったりしています。

カーネギーホールでのポスター
しかし最近では大阪市の支援が減り、クラウドファンディングや篤志家の寄付に頼っているそうです。
この公演でもチケットを売り、なんとか自主運営を図っているそうです。 

今回は聖徳太子の頃から伝わり、またカーネギーホールでも公演された舞楽が披露されました。

本来は神仏に奉納される舞いです。
分かりやすいように浪曲師の春野恵子さんと落語家桂吉坊さんが狂言回しのように間に演じながら歴史をレクチャーしてくれました。
終演後お客さんの何人かが「わかりやすかったね」などと話されているのが聞こえてきました。

私が「あっ!」と思ったのは、オスマントルコの軍隊の軍楽隊の行進曲「チェッディン デデン」が、聖徳太子の戦勝祈願の曲と似ていたこと。

「舞楽陪臚」(バイロ)
パンフレットには天平年間に来日した林邑国(りんゆうこく)の仏教僧「仏哲」が伝えた「林邑楽」の中の一曲と書かれています。

林邑国は2世紀末〜7世紀初めにベトナムの広南省にあった王国です。

聖徳太子は物部守屋と対決した時にこの曲を演奏したところ戦勝したということです。
6世紀にトルコはまだないですが、小アジアにはイスラム教の国が起こり、その後東西に分裂しています。
仏哲がその影響を受けていても不思議ではありません。
東に渡ったこの曲が日本に来て聖徳太子と出会い、西に行ったものがオスマントルコを通してウィーンに伝わり「トルコ行進曲」に影響を与えたと思うとなんだかワクワクしてきました。
トルコ軍楽隊行進曲「チェッディン デデン」

舞曲「陪臚」2時間10分頃から「チェッディン デデン」に似ていると思ったところ。