金曜日は長居公園の前を通って先生宅に向かいます。
京阪準急で淀屋橋まで行き、地下鉄御堂筋線に乗り換え。二本で行けるので時間はかかっても身体は楽です。
快晴でした。
ゼーバルドゥス教会
聖歌隊に入り、そこで音楽教育を受けます。
の次席オルガン奏者として雇われます。
のオルガン奏者として雇われます。ここでバッハ家と交流がありました。
フランス軍が攻めてきたため、そこから避難し2年で職を奪われました。
京阪準急で淀屋橋まで行き、地下鉄御堂筋線に乗り換え。二本で行けるので時間はかかっても身体は楽です。
快晴でした。
朝晩は寒いくらいですが、昼間は半袖1枚でも行けそうでした。
体調を崩している人が多いようです。
お大事になさってくださいね。
今も最も人気のあるクラッシック(バロック)音楽でヒーリング音楽の元祖とも言える曲は、パッヘルベルの「カノン」だそうです。
体調の悪い時、風邪の時効果のある音楽ベスト30にも入っているそうです。
病気の時は、聴いて効果のある曲の特徴は、
1.ゆっくりとした曲
2.繰り返しが多い曲
3.言葉のない曲。外国語で意味がわからない曲も含まれるそう。器楽曲はもちろん!
4.起伏が少ない曲
だそうです。
もちろんこれは一般的な話しで、すべての人が当てはまると言うわけでは無いと思います。
なには、ともあれ1-4にバッチリあてはまるのが「カノン」
ヨハン パッヘルベル(1653-1706年)
神聖ローマ帝国自由都市ニュルンベルク生没
ゼーバルドゥス教会
聖歌隊に入り、そこで音楽教育を受けます。
1669年アルトドルフ大学に入学、聖ローレンツ教会のオルガン奏者に任命されます。
経済的な理由で1年足らずで大学を辞めざるを得なくなりましたが、優秀な彼は1670年レーゲンスブルクのギムナジウムポエティクムの奨学生になり、学問を納めました。
1673年ウィーンのシュテファン大聖堂
の次席オルガン奏者として雇われます。
ここは当時巨大なハプスブルク帝国の中心でパッヘルベルも当時流行っていたイタリア風の音楽の影響を受けたと思われます。
1677年エアフルトのフレディガー教会
のオルガン奏者として雇われます。ここでバッハ家と交流がありました。
12年暮らします。
1681年エアフルト市長の娘であるバルバラ カプラと結婚をします。
しかし1683年妻と一人息子はベストで亡くなっています。
妻子をなくした10ヶ月後、1684年パッヘルベルは2回目の結婚をしています。銅器職人の娘ユディット ドロンマーです。2人は五男二女を設けています。
生前から成功していたパッヘルベルですが、より良い職を求めて推薦状付きで職を辞します。
1690年ヴュルテンブルグ公国の宮廷音楽家宮廷オルガン奏者に就任しました。良い仕事でしたが大同盟戦争(1688.1689ベルギー ドイツ イタリア)が勃発し、
フランス軍が攻めてきたため、そこから避難し2年で職を奪われました。
次の職場はゴータ市のオルガン奏者を2年。
1692年アウグスト修道会のマルガレーテ教会に勤めました。
ここでヨハン クリストフ バッハが1694年に結婚した時、音楽を提供するためにパッヘルベルは招待され、参加しました。その時、当時9歳のヨハン セバスチャン バッハとあったと思われます。
1695年古巣の聖ゼーバルドゥス教会からの要請でここのオルガン奏者に帰ります。
「カノン」は、パッヘルベルが書いた唯一のカノンです。
原題は「3つのヴァイオリンと通奏低音のためのカノンとジーグ」pwc 37
この前半のカノンのみがよく知られています。
パッヘルベルはオルガン曲や、教会音楽を多く残していますが、室内楽曲はほとんどを残っていません。
カノンとジーグは19世紀の写本
がベルリン州立図書館に残っているのみです。
がベルリン州立図書館に残っているのみです。
さすがに1人で行くのは緊張しました😅💦
「カノン」…あの世に行ってしまいますかね🤣確かにお葬式でも人気の曲だそうですよ!
カノンはいろいろなバージョンで演奏しました。
CDは無いけど…。
長居公園はいいですよね~!
あまり中まで入ったことはないですが…。
私も好きな曲の1つです。
バッヘルベルのカノンは有名ですね。私もCDを持っています。
長居植物園には10回くらいは行ったことがあります。ここは広くてちょうどいいウォーキングにもなりますね。