今日は萩原天神の「いつもの処」で、バッハ奏し合い会でした。
萩原天神さんの隣り
牧野からピアノの坂田さんと参加です。
トラベルソ、ヴァイオリン、チェロなどなどいろんな楽器の人がソロやデュオでバッハの無伴奏チェロソナタや、2声のインベンションを演奏。
アイゼナハの聖ゲオルグ教会で
ヨハン アンブロジウズ バッハの8人兄弟の末っ子として生まれました。
聖ミカエル教会の合唱団に入団します。当時人気で遠くからも入団テストを受験に来ましたがバッハはなんなく通ります。
アンハルト ケーテン侯レオポルドは、バッハを高額で雇い、教会音楽を作る必要がなかったので、自由に作曲しました。
ここでは、教会音楽をたくさん作曲しています。
1949年5月末バッハは脳卒中で倒れます。
萩原天神さんの隣り
牧野からピアノの坂田さんと参加です。
ヴィオラの金重さんとフルート久米の3人でブランデンブルク組曲の第5番の二楽章を演奏。
ギターの田郷裕樹さんとフルート久米でバッハのフルートソナタBWV1035
を演奏してきました。
今日はリコーダー群
トラベルソ、ヴァイオリン、チェロなどなどいろんな楽器の人がソロやデュオでバッハの無伴奏チェロソナタや、2声のインベンションを演奏。
最後には全員でブランデンブルク第4番と第6番を合奏。
ヨハン セバスチャン バッハ(1685-1750年)
神聖ローマ帝国ザクセン選帝侯領アイゼナハ生まれ、神聖ローマ帝国ザクセン選帝侯領ライプツィヒ没
アイゼナハの聖ゲオルグ教会で
ヨハン アンブロジウズ バッハの8人兄弟の末っ子として生まれました。
アイゼナハ周辺には80数名のバッハ一族が住んでいたと言われています。
1694年には母エリーザベトが亡くなります。
父親は再婚しますが1695年には亡くなり、兄のヨハン ヤーコプとともにヨハン クリストフの家に引き取られます。
1700年リューネブルクに移り、
聖ミカエル教会の合唱団に入団します。当時人気で遠くからも入団テストを受験に来ましたがバッハはなんなく通ります。
15歳になっていたので、ヴァイオリンやヴィオラを弾いていたそうです。
卒業したバッハはアルンシュタットの教会でオルガン奏者の職を得ます。
そこで、何曲か作曲を残しています。
そこで聞き慣れない音楽をプログラムに入れたり、女性の奏者を入れて演奏したりすることを糾弾され、1707年ミュールハウゼンの聖ブラジウス教会に移ります。
ここでマリア バルバラと結婚。
7人の子どもを得ます。
1708年ザクセンヴァイマール公国
のヴィルヘルム エルンスト公の宮廷音楽家兼オルガニストとして雇われます。
のヴィルヘルム エルンスト公の宮廷音楽家兼オルガニストとして雇われます。
移ることで年収が倍になったと伝えられています。
それでも生活は苦しく、
1712年ハレの聖母教会からの募集に応じようとしますが、ザクセン公から増額と昇進を約束され、移るのをやめます。
1712年ハレの聖母教会からの募集に応じようとしますが、ザクセン公から増額と昇進を約束され、移るのをやめます。
毎月一曲のカンタータの作曲と上演も約束します。
1717年アンハルト ケーテン公国宮廷楽長の職を得ますが、離職前に契約を結んだことでバッハは1ヶ月投獄されます。
アンハルト ケーテン侯レオポルドは、バッハを高額で雇い、教会音楽を作る必要がなかったので、自由に作曲しました。
1720年出張中にマリア バルバラが亡くなります。
1721年ソプラノ歌手のマグダレーナと再婚します。
彼女との間には13人の子どもをもうけますが、多くが幼くして亡くなり、4人が成人して音楽家として活躍しています。
ケーテン侯は結婚しましたが相手の女性が音楽嫌いで楽団も縮小。
バッハは1723年ライプツィヒの聖トーマス教会に移ります。
ここでは、教会音楽をたくさん作曲しています。
1949年5月末バッハは脳卒中で倒れます。
視力をほとんど失いますが、復活。
また仕事に戻ります。
1950年3月イギリスの高名な眼科医ジョン テイラーがやってきてバッハは眼の手術に挑みます。
テイラーは3月半ばと4半ばにやってきて2度の手術をします。
成功したと彼は言いますが、実際には失敗でバッハは7月28日に眼の炎症が元で亡くなります。
聴き入ってしまいます😊
ただ、途中で、自分が棺桶に入っている気になることがありますけどね😅
いつも温かいリアクション
ありがとうございます😊
美しいメロディに聴き入りました〜♬
目を瞑って聴いて居ると
思い浮かぶのはロシアによる
ウクライナ侵略の凄惨な戦禍の様子。
TV📺画面越しですが胸痛むばかり(;_;)
一刻も〜一刻も早く戦火が止むよう
祈るばかりです(;_;)
今日もどうぞお元気でご活躍を。
お葬式で流されるベスト10に入っています。バッハは想定していなかったと思いますが…。
本当に、もうやめてほしいです。
甘いものとお茶を飲んで、仲間と絵を描いたり、音楽をしたりする生活をウクライナにもロシアにも取り戻したいですね。