秋の季語、菊。実際には、いろいろな菊が年中咲いています。一万種類!
しかし、これは小菊。大概の人が、秋の花、小菊と聞いてイメージするのはこういう花ではないでしょうか?秋の空気がようやく感じられるようになりました。
日本では、菊は不老不死の象徴。菊慈童は何年経っても子どもの姿で、生をたもっている菊の精です。
お金と、地位を得たものが、次に求めるのは不老不死のようです。
始皇帝や、エジプトの王族不老不死を求めて世界中を調査した権力者はたくさんいます。
菊や、樟脳など植物の中には、不老不死とまではいかなくても、虫食いや劣化を防ぐ物質が含まれていましたが、古くから結構信じられてきたのは、鉱物。
金属は、人間が老いてるよりも長く姿を保っているものが多いです。
エジプトのミイラを調べると、よく鉱物が体から出てくるそうです。毒殺ではなく、薬として処方されて飲んだそうです。
長生きすると本気で信じられていたそうです。
ヨーロッパでもその伝統はあり、若くして成功したパガニーニは胃腸が弱く、若くから水銀を処方されて飲み続けていたそうです。おかげで、中毒症状でバイオリンは弾けなくなって引退するし、それが原因のネフローゼで亡くなったとか。
日本でもいろいろな健康薬品があふれていますが、安全性には充分にご注意あそばせ。
バラの葉っぱにおんぶバッタ。虫の世界は繁殖の季節です。
落盤事故からの救出を、テレビ中継で見ました。
世界中のメディアが集まり、いたるところで見も知らない炭鉱夫の無事を祈る人がいて、こういうことがあると、「人は人を助けたい」と思っているんだと実感します。
喜び合う人々の中に、自分の父親や、息子、兄弟、友人の姿を見ていた人も多いのではないでしょうか?
地震や津波、大規模な事故の時、今や世界中から救いの手が差し伸べられます。
1人の命の生還も固唾を呑んで見守り、我がことのように喜びます。
一方で、子どもたちが、壁一枚隔てた向こうで亡くなっています。その壁が、家であろうと、都道府県であろうと、国境であろうと、世界中が手を差し伸べた一大救出で、そんな壁は関係ない。
命を救うためにどんな困難でも、力を合わせて乗り越える偉大な力が私達、人類にはあると。
テレビに映るどんなドラマより美しいシーンを見ておもいました。
世界はもっと美しくなれる。こういう力の使い方を、みんながすれば、きっと。
実家の庭のオリーブの鉢植え。実がたくさんなって、今年は豊作です。
そのうちイタリア料理になってでてくるのかな?母の手料理が楽しみです。
編曲をしだすと、眠れません。昼間は時間があると練習なので、夜になってから楽譜作りです。やりだすと夢中になって、つい3時、4時。息子はお弁当を持って学校へ行くので、朝はちゃんと起きてお弁当を作ります。それが、4日。段々無理が利かなくなってきました。ほぼ完成。
お琴は5音階。47抜きと言われますが、実際は、それを基本にいろいろ変則があります。
押し手といって、弦を半分押すと半音上がり、下まで押すと1音上がります。全ての弦に押し手が使えるので、理屈から言うと、15音は使えます。
柱のそばを持って、揺らしたり、楽譜には表せないような、音も出てきます。
さわりや、すくい爪など、雑音を音として使うような奏法も、すでに古典の中で、駆使されています。
雑音の少ない音程の取りやすい、機能的な楽器を求める方向とともに、古い制限の多い楽器の中に私達は、やすらぎを感じます。
それは、一つの価値観の元に、トップを目指し競争したり、劣勢遺伝を防ぐために去勢したりした方向とは、別の価値観をその音の中に感じるからかもしれません。
文化の幅は、その社会の価値観の多様性を示すと思います。
近所の友達Mさんがクッキーを焼いて持ってきてくれました。どう考えても忙しくて時間がないのに、ビックリです。「バターがあったから。」ですって、バターは沸いて来ないのに…。ありがとうございます。絶品セサミ。おいしかった!
今日は子育てサロン。
子ども達の名札を壁面パネルの汽車に乗せて、ひとりずつ名前を呼びながら、渡します。集団になるのが初めてで、まだ、呼んでもお返事をすることを知らない子どももいます。お母さんが手を上げて「はい。」と言います。
今日は、4歳、3歳、2歳、1歳、0歳が満遍なく来ていて、おおにぎわいです。
「グーチョキパーで、なにつくろう?右手がグーで、左手がパーでかたつむり。」
歌が始まると、抱かれている0歳児も興味津々で身体を揺らしたりしています。
今回は来月運動会をするので、その時に飾る旗を、作成しました。
一枚一枚、描けない0歳児は、足型や手形をクレヨンでとって、お母さんが日付をいれました。4歳児は丸い顔を描いたり、ママの顔を描いたり、2歳児はいろいろな色で、点々を描いたり、おひげのようなものをたくさん描いたり。
これを来月お遊戯室いっぱいに飾り、運動会をします。終わった後は自分の分をもって帰ってもらいます。
いろいろな芸術が生まれました。
4月には初めて来た子どもが多かったですが、今日は、リピーターが多く、第2子を連れてきてくれたお母さんも多く、すっかり打ち解けて、多くの子ども達がお母さんから離れて遊んでいました。
お母さん達も、子どもと離れて少しの時間、お茶を飲みながら、会話も弾み、上手に仲間を作っているみたい。
最後に絵本を読んで、「さよなら、三角。」
すっかり定着してきて、みんなで、フリをつけて歌ってくれました。
終わってから、スタッフミーティング。
「取り合いしたらどうしたら良い?手が出る子もいたのよ。」
「ここの子どもは、初めて集団で遊ぶ子も多く、取ってやろうという気がなく、これで遊びたいと言う気持ちだけでとる子が多いんです。
被害者と加害者とか、善悪をつけて白黒をつける対応や、『だめ。』とか頭から、やめさせようとするより、『貸してっていうんだよ。』とか、貸してもらったら『ありがとう。』って言うんだよ。とコミュニケーションをとるお手伝いをしたあげられたらいいよね。そして、取られた子がそのおもちゃが欲しいようだったら、様子を見ながら『順番できるかな?』と声をかけたらいいよ。」
なんて、話し合いました。
来月は運動会。何をして遊ぼうかな?楽しみです。
ランタナ 七変化は、いろいろな色の組み合わせがあっておもしろいです。
10月第二土曜日は「音楽であそぼう!」でした。
大雨の中、子ども達は来ていました。留守家庭児童会の土曜閉室以来、どうしても行き場の無い子ども達が何名かはいるのです。
「10月と聞いて思い浮かぶこと何かありますか?」
『お月見 運動会 区民体育祭 柿 梨 やきいも 栗 キリギリス コウロギ スイッチョン ウマオイ もみじ いちょう いもほり 秋の遠足 社会見学』
いろいろな10月が黒板に並びました。
「さて、フルートとピアノで演奏する曲も秋の曲です。どんな秋の曲か聞いてくださいね。」
「赤とんぼ!」
「私は知らんかった。」
「学校で習わないの?」
「うん。曲は知ってたけど題名がなにかわからなかった。」
「私は知ってたけど、おじいちゃんとこで聞いた。」
小学校に行っていると本当に、びっくりすることがあります。・・これでいいのだろうか?
「はい、いいえゲームをします。運動会が楽しかった人。」
はいがほとんど。どちらでもない人に聞いてみると、かけっこで負けたから。
「学校が好きな人。」
はいが3分の2、いいえが3分の1。
「宿題がいや。」とか勉強の嫌な人がいいえ。はいのひとは、勉強で得意な科目のある人が多かった。
「どんぐりころころを、メロディベルで演奏しましょう。ドをやりたい人。」
今回は、使う音が多かったので、希望の音を全て出来ました。誰も希望しない音には年長の子ども達が志願してくれました。
人数が多いと、あわせるのも大変ですが、3回もすれば、ノーミスで演奏できます。子ども達の順応性には、いつも驚かされます。
最後は抽象画に音楽をつけてもらいます。グループを作って、何枚もの絵の中から好きな絵を選んで、音楽室の中の楽器をどれでも使って、音楽をつけてもらいます。
木琴、トライアングル、太鼓、シンバル、鈴、スネアドラム。
10分のシンキングタイムの後、出来上がった曲を発表してもらいました。
知っている曲を絵に当てるグループ。全く打楽器ばかりで、旋律の無いグループ、自信が無くて途中で、消音。バラバラでも勢いこんで最後まで行くグループ。
今回きり、子ども達にいろいろな音楽を聞かせてもらえて、こんな素晴らしい体験ができるのは本当に役得です。
「しまった、ピアノ使わんかった!」
「また、するから、来て使ってね。」
「うん。」
今回の講習は、自分達の生活の中での体の課題を持ち寄りました。
①人形劇をするのに、人形の足が地に付いているかどうかわからない。
②楽譜を追って長くフルートを吹いていると、目が二重に見えてくる。
①は物を持っていたり、一度に二つ以上のこと(例えば話し合いながら、作業するなど)をすると体の感覚がなくなる。
②は作業をしながら、体をバランスよく使うことができない。
他にもいろいろありましたが、特に二つ。
①は床に胡坐をかいて座り、タオル2枚を縦に長く縫い合わせたものを真中に大きな結び目をつくり、二つ折りにして、結び目が床にちょうど着くぐらいに持ってみる。上げたり下げたりして、床に着く感覚を味わってみる。
次にタオルを持った片手はそのままに、もう片方の手をお尻の下にいれ、坐骨を確かめる。小さく手の上で前に移動したり後ろに移動したり回したりする。
上のことを話しながらやってみて、自分の感覚がどうなるのか見て見ます。
②は、腰の幅くらいに足を開いて立ち、片方の手でタオルの端をつかみ、頭の上に軽く置き、片方の端を背骨にそってたらします。その垂れた端を緩まないように坐骨の上でもう一方の手でつかみます。そして、床の上を一センチくらい(大きすぎない)「パン、パン。」と言いながら数回、5回くらい飛びます。
それを、背骨に添って、腰骨と坐骨の間、腰骨の上、腰骨と肩甲骨の間、肩甲骨の下、肩甲骨の上の方でと手の位置を変えながら、繰り返します。
上までいくと、しばらく立ったまま水平線を見るようにじっとして休みます。
これだけのことですが、骨を感じると、体の感覚が鋭敏になってくるのがわかりますし、体のバランスがよくなり、歩いた時に、足の裏が吸い付くように床にくっつきながら楽に動けるようになります。
これは、脳はバランスをとりたがっていたり、歪んだ感覚を感じると、身体を調整しようとしますが、私達が今までつけてきた癖や、動くとしんどいとか、早く動くためにはこうしないといけないという思い込みによって、そのことを疎外しています。
それを、床の支えや、骨と骨。背骨や、足が繋がっていることを、タオルや、床を使って動きを触れることによって、脳に思い出させます。すると、脳は賢いので、自分の持っている力で、機能的に身体を連携して動かし、バランスをとれるようにするのです。
アスリートと、ノートルダム寺院のせむし男が、じっと立っていると、アスリートの方が、バランスよいように見えます。ところが、せむし男はそのままの身体で、長い階段を走り降りたり、重い鐘をガンガン鳴らしたりしますが、アスリートは、腰を痛めていたり、あちらこちらテーピングでいっぱいということもあります。
機能する。ということ。人の身体は個人差がありますが、その人の身体のままで、その人のバランスで、より機能的に動かせる。それが、このワークのおもしろいところです。
これは、琴譜です。コトと言っても、横に寝かせて弾くものは箏と書きます。
弦の順番に一から十までと、後3本は斗、為、巾と名前がついていて十三弦ともいいます。ヲは弦を弱く押して半音上がり、オは強く押し一音上がります。横に書いてあるのは重音。〇は四分休符。縦に上から下に向かって読みます。
この譜面は須山知行先生編曲の「秋の子どもの歌」。
第一箏と第二箏の二重奏ですが、フルートと箏で、母と2人で演奏することになりました。
「編曲して使おう。」ということで、大変なことになりました。この譜面を見ただけでは、どんな曲かイメージできないので、一度弾いてみることになり、数年ぶりに母とお箏を弾きました。
六段とか、千鳥までは弾きましたが、もう何年もご無沙汰。
しかし、子どもの頃に身体で覚えたことは、忘れないようです。
舞台に立つわけではないので、たどたどしくても大丈夫。
なんとかイメージもつかめ、編曲できそうです。
平調子というのが、通常の調子で、一弦から順番にE A H C E F A H C E F A H Cですが、そこから何本かの弦を一音上げ、二台の箏の間でも調子が違います。曲の途中でも、琴柱の位置を変えて調子を変えます。
進化した今の楽器に比べ、制約が多いですが、いつも思うのは、音楽は弾ける音の多さでも、出来ることの多さでもないということ。
さて、今回も前人未到のチャレンジしましょう。
むかご(零余子)をご飯に入れて炊くと、おいしいむかごご飯になります。ヤマノイモの実だと思っていましたが、実ではなくて栄養繁殖器官だそうです。生物でいうところの細胞分裂のような感じ?オニユリや、ノビルなど、この方法で繁殖する器官はすべてムカゴと言うそうです。・・・知らなかった。
S先生のレッスンでした。
エラルトのエチュード14,15。
フラッタータンギングの低音を吹く時には、マウスピースを少し外に向けて、吹いたほうが音が鳴りやすい。音が上昇するにつけ、唇の端を少し引き、しかし、唇の真中は柔らかく、息を多めに吹き込むと良いそうです。
普段の練習にフラッタータンギングをいれると、舌や唇を柔らかく動かせるようになるので、ぜひ取り入れましょう。ということです。
テレマンの3番。
自分の音を聴いているつもりで、楽譜を読んでいると、ほとんど聴けていない場合が多いです。長い音符だけでも目を瞑って、聴きながら吹いてみると、その違いがわかります。
「演奏を聴いていると、このテレマンの世界が浮かんでくるのではなくて、楽譜がうかんでくるよ。楽しんで吹いてる?」いえ、必死でした。
長い時間練習しても、成果が上がらないことがあります。スポーツ選手では、一日ごとに休んだほうが、成果が上がるという調査もあるそうです。
先生は瞑想すると良いといいます。
空気を大地から吸い込むように、頭や足先から空気が入っているようにイメージし、また、それをゆっくりと吐く、と言うことを一日2分でもいいから、やってみると言いそうです。集中して練習しなさい。というと、途端にしかめっ面になって、緊張する人がおおいですが、それは、違うそうでうす。
「そうではなくて、練習しながらリラックスしていて、いくら吹いても疲れない状態。吹きながら、ずっと集中していて身体は楽。というようなことが出来る状態をいうんだよ。そのために練習の前に瞑想するといいよ。」
まだまだ精進精進。
ムクゲの八重咲き。玉(ぎょく)とよばれるそうです。自宅から徒歩圏で咲いているのはここだけ。初めて見ました。場所は内緒です。
今日、レッスンでカルメンの「ハバネラ」のフルートソロ編曲ものを、持ってきてくれました。
ハバネラというのは、ハバナの音楽、キューバ音楽の特徴的なリズムを使用した音楽です。
源流はフランスのコントルダンスと言われていますが、1700年代後半ハイチからキューバに入り、1800年代にアフリカの民族音楽に影響を受け、今の形になりました。1900年代にスペインに渡り、大流行しました。
ビゼー(1835年~1875年)は、スペインの民俗音楽だと思い、カルメンの中で「恋は野の鳥」に流用しました。実際にはスペイン、バスク地方出身のセバスティアン・イラディエル(1809年~1865年)が作曲した「El Arreglito」だったそうです。
「El Arreglito」
http://www.youtube.com/watch?v=9l0e3M3Ek4c
昔から、民族音楽を交響詩や、歌劇に流用するのは認められていますが、問題だったのは、年代が重なっていること、流用に際し許可がなかったこと。
イラディエルは、亡くなった当時は無名でしたが、「ラ・パロマ」の作者として今日では広く知られています。
原曲を聴いてみると、「カルメン」とほとんど変りありませんが、ビゼーの方がよりリズムを強調する音の動きになっていることから、ビゼーのここで欲しかったイメージがより明確になるような気がします。
盗作などといわれていますが、今となっては2人の巨匠のコラボといっていいのではないでしょうか?
マンドリンはリュートから派生した楽器で、長い歴史があります。
ヴィヴァルディの、マンドリン協奏曲はとても有名ですが、17世紀にマンドリンはでき、今の形になったのは19世紀になってから。イタリアで全盛期を向かえ、カラーチェ、ムニエル、ラ二エリなどを輩出しています。
日本では、1901年に入リ、24年にカラーチェが来日し人気になりました。服部正、中野二郎などたくさんの人が曲を残しています。
あのパガニーニもマンドリン奏者と恋に落ち、曲を書いたり、ベートーベンやフンメルも書いています。
絵画でも、コローの「マンドリンを持つ女」とか、ルフェーブルの「マンドリンと少女」などなかなか雰囲気があります。
長いこと、ご無沙汰でしたが、K先輩が、ずっと現役を指導されていて、私たちの「音」は、健在でした。
人生のうちでたった4年間。
友達と心を一つにしてがんばった記憶が、私の人生を支えています。