日限山4丁目日記

横浜市港南区日限山4丁目は美しい町です。美しい庭・家は町を美しくし、人々を幸福にします。まちびと

別の西洗公園を見回ってくれている公園愛護会員からソメイヨシノが追加伐採されたとの報告あり

2025年02月11日 | 社会

病院通いが続き、公園見回りは別の愛護会員にお願いしていましたが、表題報告があったので今日は自分で確認してきました。

今日も快晴無風、暖かい春のような陽気でした。極寒の2月はないのでしょうか。

正門(北門)を入って右手のソメイヨシノは追加伐採はありません。運動広場に一番近い木は伐採、ほかの2本は剪定です。伐採された木は、枝が運動広場に張り出し、太い枝落下の危険度が高いので伐採は当然です。残り2本は、寿命が来ていますが、仮に枝が落ちてもオオムラサキツツジの植込みの中に落ちると思います。この植込みに人が入ることはあまりないので危険度は大きくありません。まだ花を楽しめるということで港南土木事務所は剪定にとどめたのでしょう。

写真で一番左がケヤキ、右2本がソメイヨシノです。ケヤキとソメイヨシノの間に1本ソメイヨシノがありました。伐採されました。写真では切残しの木株がちょっと写っています。右2本は剪定で、枝は上にのびているだけです。横にも大きく広がる美しいサクラではありません。まだ咲く老木です。まもなく伐採になる木です。

近くに住んでいる人は、まだ切ってもらいたくないと思っているでしょう。私は伐採を覚悟しています。

公園中央階段をのぼってすぐ左手のケヤキ2本は前にこのブログで報告したとおり伐採です。太い枝の落下の恐れが大きく、その下を人がよく歩いたり、その下の芝生に坐ったりするので伐採は適切です。

切残しの木株が2本写真に写っています。ちょっと淋しいが、やむをえません。公園中央部の空間が広々しました

公園南東部の樹林地のソメイヨシノ3本は、3本とも剪定だったので私は意外に思いました。下はオオムラサキツツジの植込みですが、子供達が走り回ってできた通路ができています。3本とも下は人が歩かない、居ないとは言えません。この3本が追加伐採されていました。ほっとしました。

切残しの木株が3本写真に写っています。この樹林地にはもうソメイヨシノの老木はありません。この樹林地はケヤキ、クスノキが残っています。横へ枝が広がってきますから樹林地らしさは回復します。下のオオムラサキツツジの植込みを整理すると、新たに樹林地の中に憩いの場を設けることができます。木蔭にテーブル椅子セットを設けると、お茶をしながら談話を楽しめます。ここから芝生広場東の滑り台がよく見えるので、滑り台で遊ぶ幼児達を母親たちは見はることができます。樹林地に広い広場を設けることができます。

家の方にある空間が従来はデッドゾーンになり、利用されていなかったが、ここも憩いの場になるでしょう。南の広場ですから冬場の憩いの場として最高になります。芝生にしたいと思います。夏場は緑陰です。涼しい風が吹き抜け、気持がいいと思います。

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前立腺がんの増殖は押さえられているが、がんを生む遺伝子は残っているということか

2025年02月10日 | 社会

2月10日は、行きも帰りもバスを乗り継いだこともあり、時間を食い、一日中、バス路線と横浜栄共済病院にいた結果になりました。病院では、血液検査、医師による診断、抗がん剤の点滴を受けました。私の腫マーカーPSA値は、なんと0.014でした。普通の人の基準値は4以下です。がんは治ったと言いたくなります。

しかし、医師は、抗がん剤をやめると、すぐPSAは4以上にあがると予測しています。抗がん剤の副作用で私が重篤になるとか、死なない限り、抗がん剤点滴を続ける気です。

私は、生きていますが、体の動きの悪さに参っています。すたすた歩けません。早く歩くと、よろめきます。老化が加速していると感じます。目に続いて、耳が急速に聞こえなくなりつつあります。抗がん剤は老化を加速しているのではないかと疑っています。私に適用されている抗がん剤は、細胞ががんかどうかを識別しないで、増殖細胞の増殖機能をつかさどる部位をおかし、増殖を押さえているそうです。つまり、私が生きるのに必要な正常増殖細胞も増殖が押さえられているということになります。

がんは増殖していなくても抗がん剤のせいで私は死ぬ方向で生命力を失いつつある怖れがあります。これはこわいお話しですね。

抗がん剤の毒性がどの増殖細胞に強く出るかは個人差があるように思えます。私の知人は若くして前立腺がんで亡くなりました。抗がん剤ががんに効かなかったか、生きるのに重要な増殖細胞の増殖がおかされたと想像します。抗がん剤で亡くなった恐れもある訳です。

今使われている抗がん剤は、何らかの原因でできてしまった、前立腺がんを生む遺伝子を破壊してくれません。この遺伝子が作動する限り、私は前立腺がんから解放されないということでしょう。

私は生命科学の専門家ではありません。治療については医師を信じ、医師の指示に従い、生きるのに有効な方法を実行するしかないと思っています。

なお、人生は神と自我の二人三脚と信じています。神に私が生きるのを助けてと祈っています。これはがん対策だけでなく、学問、人生論、幸福論として私の人生の基礎になっています。

西洗公園での園丁的仕事は休んでいます。別の西洗公園愛護会の会員に見回り等をお願いしています。草花泥棒か、草花公園の特長を西洗公園に加えることに強く反対し、愛護会を無視し、実験的に植えた草花の除去を強行する人が現われた気配を感じます。子供のいたずらならまだいいが、大人の仕業なら不気味ですね。2月15日、復帰を目標にしています。

ゲートボール練習は2月17日(月)から再開したいと思います。無理と思ったら再開を延期します。

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昼食、葉山のレストランで葉山で取れた食材を使った料理を楽しんだ

2025年02月09日 | 社会

快晴無風。明るくて暖かい日でした。病院通いをしてあちこち治療を受けていますが、妻と娘のひとりが私の誕生(2月8日)祝いを昼食外食でやりたいと言うので、葉山の海岸に行って海を見ながら葉山産の食材をつかった料理を食べたいと言うと、すぐ娘がネットで調べて、娘の車で3人で行ってきました。私は地場鮮魚・野菜系希望、妻らは葉山牛と地場野菜系希望で、ネットでのレストラン探しは限界がありました。葉山で地元の人に教えてもらうのが一番と思ってまずは行きました。結果は駄目でした。行った店は、このブログで紹介できるようないい店ではありませんでした。

森戸海岸で散歩を楽しみました。富士山と海の景色。いいですね。森戸大明神は、山の神を祀っています。昔の人々は、霊峰富士に山の神を感じ、また、海に竜神を感じて漁の安全などを祈願してきたのでしょう。富士山と海は感動しましたが、森戸大明神は、維持管理に美意識がなく、境内は貧相でした。境内を駐車場にしてしまっている状態で神域の印象なしでした。海岸の自然美が森戸大明神で破壊された感じになっています。収益不足なのでしょう。巫女を募集していました。

また、葉山の町は予想以上に建物が密集し、高級な町とのイメージはありません。しかし背景の山などは自然が保たれ、美が保たれています。日本は、有名な町でも、残された自然は美しいが、町は雑然としていますね。計画的町づくりができていませんね。もっと夢が豊かな国になるといいですね。

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日限山4丁目の住民は、老若男女協働の重要性を理解し始めたようだ

2025年02月09日 | 社会

西洗自治会ホ―ムページが開設され、昨年から、従来の文書班内回覧か、ホームぺージ閲覧か、班員は選択可能になりました。しかし、すぐ、ホームページ閲覧は、自治会員と自治会の関係を希薄にする現実問題が発生し、重要情報は従来どおり文書回覧が行われるように軌道修正が行われました。

今年になって担当はホームページ運営に自信をつけてきたのでしょうか、再び班員はホームぺージ閲覧を希望するかときいてきました。私の班の動きを見るかぎり、ホームページ閲覧でいいという回答は激減しました。回覧を希望しない人は激減でした。自治会からの情報は回覧でみたいという人がほとんどです。

町の人々は、自治会からの情報はほしい、ホームページは、現実、閲覧しない、回覧なら必ず読むということを意味しています。携帯でホームページを読めば楽ではないかと言うが、あの小さな画面で小さな文字を読むのは実は大変ではないでしょうか。

私は、50年弱前、アップルのパソコンが日本で販売されたときから、会社の同室の先輩が、コンピューターのプロで、すぐ仕事にパソコンが導入されたので、最初は英文タイプライターがわりに使っていました。休憩時間にはインベーダ―ゲームやピンポンゲームで遊んでいました。

やがて国産パソコンも発売され、私は会社での使用頻度が高かったので個人用のノートパソコンを買い、会社で仕事にフル活用してきました。パソコンのおかげで収益を上げてきました。家でもパソコンの重要性に目覚め、家族全員にパソコンを買い、活用せよと教えてきました。妻だけはいつまでたってもパソコン慣れせず、今も私を悩ませています。

そんな夫婦ですが、自治会ホームぺージはパソコンですら見ません。現在の西洗自治会ホ―ムページは、新聞を読むような面白さ、楽しさ、新規性、多様性がありません。町の動き、町の人々の動きをみる新聞性がありません。情報源としての価値はまだ小さいと感じています。ホームページ担当の方、苦労しているのにごめんね。本音で言っています。

現状でホームページ閲覧だけでいいと言う人は、町に関心のない人ではないでしょうか。回覧はもちろん、ホームページも閲覧しないでしょう。

私の班はほとんどの人が回覧を希望したのでほっとしています。町につながっていたい、自治会につながっていたいという班の人々の心を感じます。

現在の会員制度は問題だが、自治会は崩壊しない、班体制の現状は問題だが、班の存在価値は理解されている、近所の助け合いがしやすい班とは何かと自治会は考えてくれ、行事は、町のボランティアの活用が重要ではないかなどと、町の人々は前向きに町のことを考え、希望しているように感じます。

老人割合高止まり、人口減少は現実です。この程度のことに動揺し、右往左往した対応、軽率な対応、自治会崩壊を加速するような頓珍漢対応は要注意です。情報収集、調査研究、歴史と現実の理解、予測、町および周辺の構造、人材の構成を考え、現実可能な改善改革の工夫努力がたいせつですね。

私は西洗公園愛護会事務局ですが、町の老若男女の公園清掃参加意欲の強さ、雑草取り(抜き)などのつらい仕事に、反対と言わず、挑戦する心に感動しています。日限山4丁目は町づくりに動くと確信しています。

長く住んだ町、そこで子供達を育てた町です。今、老病孤独に悩み、あるいは多忙に自分を見失い、町に対する感謝を忘れ、あえて社会的に孤立し、自分がよければいい、町のことは考えたくない、自治会を脱会する。これでは町は暗く、自分も暗いでしょう。

自分が明るければ町も明るい。町が明かるければ自分も明るい。これが道理でしょう。町の仕事ができなくても町のことを祈ると、町に住んでいることが楽しくなります。

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私はお祭り大好き人間

2025年02月07日 | 社会

私のふるさとは静岡県西部、天竜川の東に広がる丘陵地帯、当時中泉と呼ばれていました。中泉には10ぐらいの町があり、府八幡宮を中心にまとまっていました。長い歴史のある地域で、府八幡宮に隣接して広大な遠江(とおとうみ)国分寺跡があります。昔、国分寺と八幡宮が併設され、この地域の開発が行われました。府八幡宮は、徳川家康が、中泉に御殿を設け、よく滞在し、丘陵地帯で軍事訓練をやっていたので八幡宮の維持管理修復はきちんとなされ、今はちょっと本殿に変形がありますが、特に倒壊の恐れはないということで現在も維持管理されています。

八幡宮の歴史が長かったのでお祭りが発展してきました。奇祭ではなく、山車・屋台を主とする標準的なお祭りです。戦中、アメリカ軍から激しい攻撃を受け、中泉駅の周辺は破壊され、山車・屋台を失った町が出ましたが、ほとんどの町が戦前の山車・屋台を残すことに成功したのは驚きです。山車を破壊された町や戦後誕生の新町は貧困で豪壮な山車をつくれず、装飾がない小型の白木の屋台をつくってお祭りに参加しました。

私の父は、中泉の石原という町に育ち、若い時はお祭り大好き人間で石原で大活躍をしていたそうです。石原は豪壮な屋台を持っていました。父は結婚すると中泉の坂の上という町に住みました。坂の上も屋台でしたが、石原の屋台より構造、彫刻などがちょっと見劣りがしました。父は、幼児の私を石原に連れて行き、大きな顔をして私を石原の屋台にのせていました。

父の影響で私はすっかりお祭り大好き人間になり、小学生高学年になると自分の町「坂の上」の小太鼓をうつようになりました。若い衆(青年)が大太鼓をうちました。小太鼓は同じリズムで打ち続けなければなりません。お祭りの前、若い衆と練習しましたが、乱れるとよく怒鳴られました。

私は大太鼓がうちたくて、若い衆が休憩のとき、大太鼓をうったらもっと激しく若い衆から怒鳴られました。太鼓がくるうと言われました。大太鼓は非常に高価なものが使われ、皮の状態や、はりは音色に関係していたので若い衆は大太鼓の扱いにうるさかったのです。

お祭りの時、小太鼓は屋台の一番前にあり、見晴らしがよく、うっていると誇らしく感じ、小太鼓うちが好きでした。交代になると、しぶしぶ屋台を降りたものです。大太鼓がうちたかったので、屋台の後ろを歩いて若い衆の大太鼓うちを見ながら屋台の後を歩き続けました。

このような訳で私はお祭り大好き人間になってしまいました。

西洗自治会の夏祭りでは2019年まで、10年間、テント張りなど公園での会場設定を担当させていただきました。ボランティアの方々、模擬店担当の方々、役員の方々の協力を十分に得て、一度も不自由を感じたことはありません。楽しく、無事故でやってきました。

2019年のお祭りだったと思いますが、夏祭り実行委員会のある幹部が、当日、突然、会場設定を指揮するという予告なしの行動に及んだので引退すべき時がきたと判断しました。当時79歳でした。

しかし、私のお祭り好きはやまず、2022年、老朽化した子供用山車の台車作りかえ、2023年、二代目子供用山車の設計制作、2024年、子供用山車の台車改良を担当させていただきました。

また、夏祭りではゲートボールのゲート通しの部分を活用し、ゲート通し遊びを10年続け、昨年も無事実行しました。ボール拾いが重労働ですので、ボール運搬装置など工夫し、ゲート通し遊びをやっています。今年もやります。

明日、私は85歳になります。確実に老化しているのに心がお祭りに動いてしまいます。すると体まで動いてしまいます。人生って面白いですね。

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町づくり、お祭り、防災などの自治会活動は、1年交代当番制で班から選ばれる役員だけでは無理

2025年02月06日 | 社会

新町とはいえ、過去50年の経験知識でこのことがわからない人は日限山(4)にいないと思うのですが、西洗自治会の役員は頑張りますね。苦しくないのでしょうか。班長・役員になりたくないという人が増えているのにどうして頑張るのでしょうか。自分は役員であるというプライドでしょうか。町のボランティアが町の活動を主導することに我慢ができないのでしょうか。

町のボランティアに主導権を握られると、補助的仕事が忙しくなるだけ、それを避けるため、役員が主導権を持ちたがるとの意見がありますね。

自治会長は28人の班長・役員を部下に持つと、自分の考えを、役員だけで実行できると思いがちという意見がありますね。

自治会長は、自由自主自立性を持つ町のボランティアを、仲間にして、あるいは説得して活動することを面倒くさがるという意見がありますね。

過去50年の経験知識を活かして、役員と町のボランティアの、永続的、発展的役割分担を追求するのが、健全な自治会活動と思います。

町のボランティアが、自分の経験知識をひけらかして役員などに威張ることは言語道断です。役員などの提案を馬鹿にして没にすることはお話にもなりません。もう決まったことだと言って、まだ改善の時間があるのにやらないのはまずいことです。

お互い、話し合う、説得する、譲歩するなどのちょっとした忍耐が必要です。

老人割合高止まり、人口減少です。意外に、現代、社会的孤立者が多くて、自治会運営はむずかしくなっています。組織をつくっても人材が乏しくて組織が動かない、高価な道具設備施設に投資しても人材が乏しくて道具類が遊ぶという問題が増えるでしょう。

戦線縮小して、あるいは重点化して、永続的、発展的にできることをちゃんとやる方が成就感があるということもあるのではないでしょうか。たとえば、お祭りですが、くじ引きにお金と時間を割いていますが、あれって本当に価値ある「お祭り」らしいプログラムでしょうか。個人的見解ですから気にしないでくださいね。

世代交代の時が来ています。老若男女、協働して新体制をよく考えましょう。現実認識が重要ですね。理念だけでは空回りすることがあるのではないでしょうか。

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人口2000人程度、戸建住宅だけの町では発展性に限界がある

2025年02月06日 | 社会

自治会が一つの町である日限山(4)は、人口2000人程度、戸建住宅からなる閑静な町です。現在は高齢化が進み、老人割合40%程度です。若い人が流入して一時老人割合が30%に向かって下がるかと思ったが、横浜市港南区は、現在、人口減少中です。結果、わが町では、老人割合30%は、甘い期待でしかありません。わが町は、老人割合高止まり、人口減少と予測します。

日限山(4)は、繁華街を持つ最寄りの駅は、戸塚駅、上永谷駅、上大岡駅です。これらの駅に出るにはバスで15-20分はかかります。交通不便との印象です。繁華街のない駅としてより近くに下永谷駅、舞岡駅があります。下永谷駅はバスで行き、さらに狭苦しい道をかなり歩いた所にあり、わが町の人で利用する人は皆無です。舞岡駅は、戸塚駅行きのバスで駅前に行けるので利用者はいます。しかし舞岡駅には繁華街はありません。上永谷や上大岡に行きたい人が、ちょっと遠回りになりますが、バスで舞岡駅に出、ここから上永谷や上大岡に出るのに利用しています。

日限山(4)は戸建住宅からなる町ですから商店街がありません。近くにユーコープ日限山店がありますが、売っているものは食材・食品です。しかし、品揃えが貧しく、高く、ちょっと経営の工夫努力が足りない生協です。折角2階をもっているのにエレベーターを付けていないので2階に行く客は少数です。っまり2階は死んでいます。若い人は町外の、品揃えのいい安価な店に車で行きます。若い人に人気がなくてユーコープ日限山が繁栄する訳がありません。(注)しかし非常に重要な店です。私はわが町発展の中核施設と思い、あえて買うことで支援しています。工夫努力する店になってほしいと祈っています。

日限山(4)の周囲を見ると、県有数の舞岡公園が西に隣接している、広大な市街化調整区域に囲まれている、街区公園より規模が大きい近隣公園「日限山公園」、「丸山台公園」が、わが町を囲む市街化調整区域を補完し、なんとわが町は、環状緑地帯で囲まれた形になっています。港南区では自然が多い、開発改善の余地が一番大きい残された秘境です。

Google地図から引用。ピンクの太線で囲まれた部分が日限山(4)。その北が南舞岡、その東が日限山(2)、その南、つまり日限山(4)の東が日限山(3)。これらの町の北東部に日限山公園、丸山台公園があり、環状緑地帯を補完しています。東北方向、写真で右上ですが、上永谷駅があります。

過去50年間の新町「日限山(4)」の歴史を研究し、日限山(4)の発展性を考察すると、単独発展には無理があるのではないかと思うようになりました。人口2000人は小さい、戸建住宅だけでは町の利便性が上がらない、老人割合40%で、町に活気がない、刺激がない、閑静すぎて人気(ひとけ)を感じない、社会的孤立者が多い、町の仕事をする人材が少ない、など深刻な問題が増えています。

最近は、日限山(4)、日限山の一区域という歴史的関係を重視し、環状緑地帯の外側に隣接の日限山(1)、日限山(2)、日限山(3)をまとめ、日限山・南舞岡地区とし、この単位を「わが町」と考え、協働して町発展を考えることが望ましいのではないかとよく考えます。

これらの町は、お互い町意識が強く、まとまりにくいという過去の経験は承知しています。承知の上で、未来を予測しています。意識改革は容易ではないが、保守ではジリ貧ではないかと危機感を持っています。

日限山・南舞岡を一つの町と考えると、市立日限山小、市立日限山中、県立舞岡高校が町の中に存在します。舞岡公園の西ですが、広大なキャンパスをもつ明治学院大があります。専門は教育学です。日限山・南舞岡は、緑豊かな学園町となり、世界に有能な人材を送り出すようになれるのではないでしょうか。人口は1万人程度となり、中心に位置する十字路「港南プラザ前」の四方にのびる大通りは商店街として発展が可能になるのではないでしょうか。

空しい夢と否定しないで、是非、日限山・南舞岡の人々は考えてみてください。若者は小中高で一緒です。一つの町と考えることが当然になると読みます。老人は、過去の経験知識で、閉じこもり思考となり、改善・改革意識は今さらですが、若者は違うでしょう。小中高の先生達は、日限山・南舞岡を一つの町と考えるでしょう。生徒・学生に町別差別をやる訳がありません。

皆さん、よく考えてみてください。町づくり、ふるさとづくりは、必ず、町の人々を元気にし、町を明るくし、本当に町が発展的になります。

日本の町でひとつ元気な町を挙げます。富山市八尾(やつお)町です。人口は2万人です。別におわら風の盆をまねよと言いません。町づくりの精神を学んでほしいと思います。町全体が協働し、町づくりの工夫努力をしています。元気があっていいですね。若者達も生き生きとしています。美しいです。この町は、美しい町、美しい道をつくっています。すでに無電柱ですよ。日限山・南舞岡は、電柱・電線がいっぱいで、蜘蛛の巣城、蜘蛛の巣町です。もうちょっと老若男女協働意識、ばらばらの町をまとめる町協働意識を高め、改善改革意識を持った方がいいと思いますね。

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神奈川県や横浜市の広報を読んでいて感じるのは産業論の弱さ

2025年02月05日 | 社会

相模湾の漁獲量が激減、藻場が、磯焼け、海藻を食べるアイゴ、ウニなどの繁殖、海大荒れの増加などが原因で急速に失われているとの報道がなされ、実際、横浜市でも鮮魚が近くのスーパーなどで売られていないなど、相模湾の漁業が大幅に衰退との印象を受けるのですが、不思議なことに神奈川県も横浜市も問題にしていないようです。

相模湾の漁業の衰退を心配するボランティア達が、荒れた藻場にカジメなどの海藻を増やす活動とか、アイゴ、ウニなどを捕獲する活動をやっています。

いったい、神奈川県や横浜市の産業論はどうなってしまったのでしょうか。

この冬、黒岩裕治神奈川県知事や山中竹春横浜市長は、イルミネーションがきれいだと言って県民や市民に夜遊びを勧めていたが、広報は地球温暖化を問題にし、小さな工夫努力も実行してくれと、省エネルギーを説いていました。この行政の矛盾はひどすぎると思いませんか。私は、知事や市長が、問題意識を欠き、浮ついていると心配しています。

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今日、西洗公園で、太い枯れ枝がよく落下し、危険度が高まっていた高木の伐採が行われた

2025年02月04日 | 社会

西洗自治会生活環境部公園担当から、西洗公園では、高木から太い枯れ枝がよく落下し、危険度が高まっているから風の強い日は園内散歩は控えるように、普段でも危険な高木の下は気を付けるようにとの回覧物が回っていました。西洗公園愛護会は実際太い枝の落下が続いている高木を調べ、特に危ない高木を特定し、港南土木事務所に善処を求めてきました。

正門を入ってすぐ右側にソメイヨシノ50年ものが3本植わっていますが、いずれも寿命がきています。剪定で当面太い枝の落下は減らせるが、すぐ落下の恐れがある太い枯れ枝が生じる、木は、剪定で加速度的に元気を失い、まもなく枯れるなどの問題があるので、3本とも伐採でいいと考えていたが、事務所は、運動広場に枝が張り出している一番運動広場に近い所にある木を伐採し、ほかの木は剪定しただけでした。

公園の中央階段を上がって左手に2本のケヤキの高木があります。どちらも木が枯れつつあり、太い枝の落下が続いていました。これは2本とも伐採されました。危険な高木でしたので伐採でよかったと思います。

公園南東部の樹林地の中にソメイヨシノ50年ものが3本植わっています。いずれも枯れつつあり、寿命が来ており、当然伐採と思っていたが、3本とも剪定だけでした。事務所は、当面園路に太い枝が落ちなけばいいと考えたのでしょうか。

どうもソメイヨシノについて事務所は、優柔不断と言うか、未練がましいと言うか、決断力のない処置をしたと思います。今年度の予算に制限があったのでしょうか。

公園大改修では次の50年に耐える改修を考えてほしいものです。中途半端な改修は維持管理コストを上げる原因になります。

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1.31(金)、左眼の白内障手術が終わり、2.3(月)、眼帯が取れ、メガネを新調

2025年02月04日 | 社会

2.3(月)の医師による検診のとき、両目ともごろごろして気になると訴えると、医師は目を観察して、両目とも糸くずが入っていると言ってピンセットで取ってくれました。普通だったら糸くずぐらい自然に排出されますが、手術の直後は、まだ本来の目の機能が十分作動していないようです。

糸くずがなくなると両目ともまったく違和感がなくなりました。医師から、完全に目が落ち着くには1,2か月を要するが、その間、近くはよくても遠くが見えないのは不便だから外出用に安価なメガネを買うように指示を受け、岡田眼科のすぐ下、2階にある東海メガネコンタクトというメガネ店で一番安いメガネを買いました。このメガネ店は岡田眼科と連携しており、岡田眼科の情報データを利用しており、あらためて私の目を検眼しません。その効果と思いますが、メガネは2540円で買えました。

非常に安いが、決してものは悪くありませんでした。フレーム、レンズの量産技術が進んだ結果だそうです。1,2か月後、改めて検眼し、レンズだけあったものに換えれば経済的です。

1日3回、3種類の目薬を両目に点眼しています。目が疲れる、異物が入る、病源菌が入るなどは問題です。次の検診は2.7(金)です。いつまで点眼を続けるか聞いていませんが、目は、現時点で違和感はまったくありません。公園仕事は控えよと言われています。土煙が目に入るのはよくないということでしょう。

なお、岡田眼科はゴーグルのような目の保護具は使わない方針です。ゴーグルを使わなけばならないような環境は避けてくれということでしょう。

2月15日頃には公園仕事を再開したいと思っています。日々の公園見回りは、別の西洗公園愛護会員にお願いしています。

ところで公園に花壇をつくる話が、昨年の提案者からまた出ているそうです。2026年度下期大改修が始まる可能性があります。2025年度、2026年度上期は、花壇をつくるのではなく、草花論を活発に議論することを希望します。草花を植える実験は問題ないと思います。何度もこのブログにも書いていますが、今後50年は草花公園を西洗公園の特長に加えることは望ましいことです。この特長を加える適地が公園内に増えると予測しています。

(注)従来のオオムラサキツツジの植込みが、昔のように見事に咲くことはないと思います。1本植栽、1列植栽に整理しても土をよくすることは容易ではありません。古株はすべて処分して、土を入れ換え、新しい苗木を植えて1本植栽、1列植栽にしないとオオムラサキツツジ公園の特長は復活しないでしょう。植え込みを整理することになると、オオムラサキツツジに加えて草花公園の特長を加える適地が増えます。

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横浜は久しぶりの雨。西洗公園の雑草は一斉に芽吹くか、どう対処するか、緊張している

2025年02月02日 | 社会

昨年の雑草取りの成果が、今年は雑草取りの仕事を軽減する成果になっているか、元の木阿弥か、西洗公園事務局は緊張しています。

仮に、春になったらまた「雑草生い茂れる公園」になっても事務局は雑草取り重視作戦をやめません。その決意です。1年で公園がよくなるなどと甘い考えは持っていません。私は死にそこないのよたよた老人ですが、手から愛用の信州鎌を離しません。錆びた鎌など決して使いません。

公園の「草花諭」が活発になることを希望します。

西洗公園の維持管理で、老人割合高止まり、人口減少と予測される日限山(4)で、発展に必要な住民の老若男女協働と、人材を育む、社会生活も重視する養教育あるいは学問に熱心な町づくりと、本当に住民が幸福を感じる町づくりに挑戦し続けましょう。

老病孤独に悩む人々よ。実際に町の仕事をするかではなく、町の発展を祈る心がだいじですよ。わざわざ死に急いではいけません。死んではいけません。死んでもいないのに死人のように生きていてはいけません。

町の仕事は嫌だ、協力費を月100円払う、町のことは忘れたい。町のことを考えよと言われるのは嫌だ、西洗自治会を脱会する。

これは生き生きとした、まちびとの生き方ではないですね。町の効用がわかっていませんね。町に対する感謝心がないですね。町を暗くしますね。町は明るい方が自分も幸福ですよ。

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1.31(金)、無事、左眼白内障手術を終えた

2025年02月01日 | 社会

右眼手術のときは恐怖を覚えたのですが、昨日は、意外に冷静に手術を受けることができました。担当医はものすごい数の手術をこなしてきたのでしょう。前回とまったく同じ口調で、何をやっているか、順調に行っていることなどを静かに話しながら淡々と手術を行いました。眼科は港南台の岡田眼科です。

私の前に手術を受けた人は、目の状態が白内障だけでなかったようで、かなり手術に長時間を要していました。付き添いの御主人と思われる人が、不安そうに手術待合室で待っていました。手術が終わって奥さんと思われる人が現われると、本当に嬉しそうでした。

私が「ご苦労さまでした」と言うと、「ありがとうございました」と繰り返しながら手術待合室を妻と去っていきました。

ところで昨日は岡田眼科にバスで行きました。最寄りのバス停「港南プラザ」から港南台駅に行くバスが、わずかにあります。駅からちょっと歩きますが、歩けない距離ではありません。眼科には約50分で行けました。帰りは術後でしたのでタクシーで帰りました。2700円でした。

今日も術後の様子をみてもらうため岡田眼科に行きます。バスで行きます。帰りは、目に問題無ければバスでのんびり帰ります。

車を持っていた頃は平気で高い車維持費を使っていたのに、車に乗らない今は、タクシーに乗るのは高コストと思ってしまいます。不思議な人間の心理です。安価な方法があれば利用します。節約志向ですね。

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明日、1.31(金)、左目白内障手術の予定

2025年01月30日 | 社会

熱をはかると36度7分で平熱ですが、大量に鼻汁が出続け、鼻、喉、口、歯がヒリヒリし続け、明日の手術が心配です。風邪ではなく、花粉症のせいでしょうか。そうであれと祈っています。

1.24(金)の右目の手術のときも同じでした。医師は目を調べて、ちょっと目やにがでており、気になるが、手術できない状態ではないと言って手術を敢行しました。術後の経過は順調で、今は右目は眼帯なしで普通に使っています。

公園清掃で土煙が目に入ることは当分避けよとのことなので西洗公園での園丁的仕事は、公園の見回り程度にし、風が強くて土煙が立っているときはすぐ家に帰るようにしています。

公園南西部の築山の南急斜面ですが、子供達がこの急斜面に入り、かなり、斜面を崩しています。すぐ修復をして致命的荒れを防ぎたいと思うが、今は、ちゃんと修復ができません。多少荒れを修復して目の快復を待っています。2月中旬には、土入れなど本格的修復実験を再開します。

現在、眼科通い、歯科通い、前立腺がん抗がん剤点滴のため横浜栄共済病院通いが続き、公園園丁的仕事もゲートボール練習試合も思うようにできないでいます。1月・2月は横浜は一番寒い時です。この期間に病院通いは、実は私にとってちょうどよかったと思っています。

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日限山(3,4)と南舞岡(2)の発展には十字路「港南プラザ前」周辺に社宅を持っているNTTの協力が必須

2025年01月28日 | 社会

港南プラザ自治会【日限山(3)】は、自治会館を西洗自治会【日限山(4)】と共有しています。自治会館は日限山(4)にあります。日限山(3)の住民あるいは港南プラザ自治会は、たとえば日限山港南プラザ公園の斜め向かいのNTT社宅跡地に自分だけの自治会館を持ちたいと思っているのではないでしょうか。

日限山(4)の住民あるいは西洗自治会は、現存自治会館の港南プラザ自治会との共有を解消し、敷地を南へ拡大し、つまりNTT社宅跡地を借りるか買うかし、建物を改築し、自治会事務員が常駐する事務室のある会館とし、効用を上げたいと思っているでしょう。200人ぐらいが入れる広い部屋がある、常設の卓球台が置いてある、喫茶室があるなど、効用が広くなると便利です。

ユーコープ日限山店は、やはりNTT社宅跡地を借りるか買うかして敷地を南へ拡大し、玄関前に広い駐車場を設け、この駐車場から段差なしで、玄関に入れるようにするといいですね。2階があってもちゃんとエレベータを設ければ問題ありません。2階の見晴らしのいいところに軽い飲食がとれる談話室があるといいですね。町の中核施設としてユーコープが町づくりに貢献します。レジの前は十分空間をとりたいものです。今のレジの前は狭苦しい廊下ですね。

自治会館やユーコープを拡大してもまだ広大なNTT社宅跡地が残ります。本来商業区域とする予定でしたが、50年前、ここに店を出す事業家・資本家がいませんでした。今もいないでしょう。

日限山(3,4)と南舞岡(2)は戸建住宅の町です。最寄りの駅は、戸塚駅、上永谷駅、上大岡駅です。これらの駅周辺は繁華街になっています。50年前は、日限山(3,4)、南舞岡(2)の住民はみんな家に車を持っていたので車で繁華街や、大駐車場をもつ大規模スーパーに行きました。港南プラザ前十字路周辺に商店が種々できても繁盛はむずかしかったでしょう。京急が港南プラザ前十字路周辺の商業区域をNTTの社宅用に売却したのは詮方ないことでした。

今はどうでしょうか。老人割合高止まり、人口減少です。昔より、港南プラザ前十字路周辺は商店経営が困難です。NTT社宅跡地をどうすればいいでしょうか。

戸建住宅の町は、元気な若い人にとっては快適な住宅地ですが、老人、老人でなくても独り者にとっては、まだ生活力があっても必ずしも快適ではありません。家事が大変、庭仕事が大変、老人はスポーツ、旅行、外食、ショッピング、スケッチなどでよく外出してもやがて外出に疲れ、家にいる時間が次第に長くなる、戸建住宅に住んでいると、町の人々との交流が少なく、家にしか居場所がなく、社会的孤立者になりやすい、結果、淋しいということになりやすいと思います。老病に苦しむようになると、戸建住宅の町は快適ではありません。不便でつらい、淋しい、不安な町になっている恐れがあります。

核家族時代、日限山(4)のような戸建住宅の町で淋しい思いをして生活している人が、近年流行の、食堂、娯楽施設、室内運動施設、趣味の会、教養の会、医療・リハビリ施設などを備えたマンション型老人施設に入居し、食堂などで新しい出会いを楽しむと言うのは意義のある生活かもしれません。

しかし、施設がいい、住環境が閑静でいいという理由で、日限山(4)から遠い、たとえば群馬県の山の中のマンション型老人施設に入るのがいいか疑問です。日限山(4)の近場、さらには中の老人施設に入居すると、長く住んできた日限山(4)との繋がりを断つことなく、ふるさと喪失という新しい淋しさに悩まなくていいのではないでしょうか。

その意味で、NTT社宅跡地に、近代的な明るい雰囲気のマンション型老人施設を建設するのは一つのアイデアと思います。日限山(3,4)、南舞岡(2)で戸建住宅で淋しい思いに悩んで生活している人を吸収するだけでなく、近隣の町からもマンション型老人施設生活を望む人を吸収できるのではないでしょうか。NTT社宅跡地でのマンション型老人施設運営は経済的に成り立つのではないでしょうか。

日限山(3,4)、南舞岡(2)は、今後50年に向けて真剣に町づくりに取り組んでいるとうわさが立つと、陸の孤島っぽい戸建住宅の町でも移住したいと思う若い人が増えて、意外に人口は増え、老人割合は減るという好循環が生じ、ユーコープ日限山店のお客さんが増えるのではないでしょうか。

日限山小も、日限山中も、学問ができるだけでなく、社会生活力のある文武両道の人材を育む学校にすると、ますます日限山(3,4)、南舞岡(2)は評判の町となり、若い人の流入が増えるでしょう。各町のお祭りや、自治会館や公園での行事にも参加者が増えるでしょう。

今後50年の町づくりは、高齢化に負けない、「老若男女協働」の町にすることができるかにかかっています。

日限山(3,4)、南舞岡(2)の老若男女が協働して一生懸命町づくりに取り組むと、NTTも町の期待に応えてくれるのではないでしょうか。事業家、資本家もいい方向に動いてくれるでしょう。港南区や、港南区の政治家もNTT社宅跡地の再開発を支援してくれるでしょう。

日限山、南舞岡周辺は、横浜市では乱開発を免れた貴重な地域の一つです。駅から遠い陸の孤島ではありません。これから理想の町づくりができる地域です。明治学院大学、舞岡公園、小菅ヶ谷北公園、野庭農業専用地域、これらの施設を含む広大な市街化調整区域を活かし、日限山(2,3,4)と南舞岡の周囲には環状緑道、この環状緑道と一部重なる、上永谷駅と舞岡駅を結ぶ大緑道を建設するといいと思います。有能な人材を育む緑環境抜群の町、学問の町にしましょう。常に発展を考える生き生きとした町にしましょう。

高齢化に負けず、平然と「老若男女協働」をやってのける。これが衰退の恐れがある横浜市港南区の町発展の鍵です。

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横浜ではエビイモは家庭菜園に合っているのではないか

2025年01月26日 | 社会

一昨年末、静岡県の西部、ふるさと磐田市にいる友人が、磐田市はエビイモの生産日本一だが、できたものはほとんど京都に出荷されるので地元の人もあまり自由に買えないと言いながら、幸い買えたと言って子イモを5個送ってくれました。エビイモはサトイモの一種ですが、大変美味で食感もよく高級品です。京都ではサトイモと言えばエビイモだそうです。実際、おいしかったので、さすが、ふるさとはいい農産物に目を付け、生産日本一になったものだと、誇りを覚えました。

それでは昨年家庭菜園の結果はどうであったか。子イモ2個を食べないで種イモとして保存し、庭で育てましたが、生育は大変よく、2個とも単位面積当たり生産性はよかったと思いました。植えつけた2個の間隔は、あえて狭く30cmとしました。となりの親イモ・子イモと干渉しないぎりぎりの距離です。

どちらもほぼ同じ親イモ・子イモの生育だったので片方の親イモ・子イモの写真を載せます。今年も栽培を行う予定で、子イモ3個を種イモとして保存しています。密植を再実験します。

エビイモの親イモ(左)と子イモ(右)

普通のサトイモの親イモはかたくておいしくありませんが、エビイモの親イモは、子イモと同じようにやわらかく、かつおいしいです。親イモの方が大きいですから食材として使いやすいですね。カボチャより包丁で切りやすいです。

なお、私は左の大きいイモを親イモと言いましたが、実は種イモが写真の大きなイモになったのではなく、種イモにできた子イモが大きくなり、この子イモに写真の小さいイモが孫イモとして生育したのだそうです。だから大きなイモもやわらかく、かつおいしいのだそうです。素晴らしいサトイモですね。

隣町、野庭町の野庭農業専用地域で本格的に生産に取り組んでみたい農産物です。私はもう84歳です。残念です。どうあがいても64歳に戻れませんね。

ところで、このブログの読者は、真鯉の飼育はどうなったのか、ちゃんとやっているのか、最近報告がないではないかと思っていることと思います。2024年4月から、西洗公園の維持管理改善に夢中になってしまい、正直に言って真鯉の飼育は手抜きでした。餌料の自家生産、自分で開発した浄化槽による水の循環利用、毎日の糞の除去などよくできた実験システムと安心していました。パターン化できたと満足していました。生長と産卵を待つのみと思っていました。

ところが昨年10月、大雨が降って、屋外に開放系で置いてあったので水槽の水があふれたり、急に気温が下がって寒くなったりしたが、ある日、突然、水が赤くなりました。きれいな置き水の用意がなく、水道水をそのまま使って水を入れ換えたり、塩を加えたりしましたが、真鯉はすべて病気になっており、丸々太ったまま、すべて一気に死んでしまいました。ショックでした。小さな水槽を開放系で屋外で使ったこと、病原性微生物の浸入繁茂を防げなかったこと、置き水や薬を用意していなかったことが大失敗の原因です。あれもこれもやり、手抜きになり、研究持続を怠りました。今は、公園の維持管理が、手抜きができず、真鯉の飼育再挑戦はすぐできないでいます。報告が遅れ、申し訳ありませんでした。

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