昨日受けたトークショーの続き。
写真を見るとき、好きか嫌いかで判断すると言う写真家の小林紀晴氏。
写真に限らず絵画、彫刻、建築物、あらゆる芸術作品においての判断に通じると思う。わたしもそういう感覚で見ている。
しかしそうでないという人々も少なくないようだ。
今日届いたメルマガで写真家のテラウチマサト氏が今週のひと言で主張していた。
~写真とはそんなものではないと。
「写真家は好き嫌いを超えて見るものに迫ってくる写真、普通に見えるのだけれど何か心を捉えて離さない写真、そんな高みを撮っていかねばと思う。
好き嫌いだけで写真を見るのは、実にもったいない。」~
私はそうは思わない。
もったいないという解釈は撮影した側のエゴだと思う。私は撮影する側でも写真を見る立場でも、好き嫌いで判断する。
理由なんてないことが多い。基本的に論理的思考に乏しいので直感で決めている。自分の心に突き刺さるかスルーするかの2つにひとつ。
選んだ理由はいままでの経験、育った環境、果ては遺伝子に刻まれた記憶が支配したかもしれない。
それでいいんじゃない。
本能にまかせれば
fine ART photographer Masumi
写真を見るとき、好きか嫌いかで判断すると言う写真家の小林紀晴氏。
写真に限らず絵画、彫刻、建築物、あらゆる芸術作品においての判断に通じると思う。わたしもそういう感覚で見ている。
しかしそうでないという人々も少なくないようだ。
今日届いたメルマガで写真家のテラウチマサト氏が今週のひと言で主張していた。
~写真とはそんなものではないと。
「写真家は好き嫌いを超えて見るものに迫ってくる写真、普通に見えるのだけれど何か心を捉えて離さない写真、そんな高みを撮っていかねばと思う。
好き嫌いだけで写真を見るのは、実にもったいない。」~
私はそうは思わない。
もったいないという解釈は撮影した側のエゴだと思う。私は撮影する側でも写真を見る立場でも、好き嫌いで判断する。
理由なんてないことが多い。基本的に論理的思考に乏しいので直感で決めている。自分の心に突き刺さるかスルーするかの2つにひとつ。
選んだ理由はいままでの経験、育った環境、果ては遺伝子に刻まれた記憶が支配したかもしれない。
それでいいんじゃない。
本能にまかせれば

fine ART photographer Masumi