ガーディアン・ガーデンの20周年記念トークショーに参加した。
ひとつぼ展の審査をされている写真家の方々4名がゲスト。
飯沢耕太郎氏(写真評論家)、川内倫子氏(写真家)、小林紀晴氏(写真家)、土田ヒロミ氏(写真家)である。
私がひとつぼ展を知ったのは既に応募資格である35才をゆうに過ぎていた。
従って応募資格なし
トークショーの内容は過去のひとつぼ展の審査に関する思い出深い作品とエピソードがメイン。
ひとつぼ展は他に類をみない公開審査を行っているようだ。つまり審査員があーだこーだ議論を交わしている間、作者はその様子を見ているというわけ。もちろん自分の作品に対する反応が否が応でも直接的に突き刺さってくる
私は実に理にかなっていると思う。私もかつていろんな写真公募に応募したが、1次通過したものの、最終選考で落ちるケースがいくつかあった。
「残念ながら最終審査に選ばれませんでした。」と書かれた紙っぺら一枚送ってこられても、理由がわからない。
当の本人は、よくも悪くも結果だけ伝えられてもどう評価されたかが気になるのだ。次へのステップの助けにもなる。
ただ、過去にグランプリに選ばれた方で、 審査員の方々が「グランプリおめでとうございます」と伝えると、辞退を訴えた方がいたという
何故か。審査員たちは凍りついた。作者が言うには、これではまるでショーだと。私が求めている審査とは異なるとのこと。
まあでもなんとか説得してひとつぼ展は開いたそう。そういう奇特な方もいるのだ。飯沢耕太郎氏は、そういったいまどきなかなかいない、貴重な方を選んだことはひとつぼ展にとってもありがたいことだとおっしゃられていた。
トークショーの最後の質問コーナーで、写真家として仕事をされている女性の方が発言をした。
つい最近、知り合いの方に、写真は記録でしかないと言われ、ドーンと心に傷手を負ったという。確かに話している声は震えていた。泣き出しそうにも見えた。そこで、写真は記録という媒体でしかないのか、あるいはそうでなければなんであるかをプロの写真家の方の意見を伺いたいとうものだった。
4人の写真家の意見は皆ほぼ同じだった。まず、他人の意見に左右されることはないってこと。そんなに落ち込むあなたが心配、と川内倫子さんは言った。飯沢耕太郎氏は光画と答えた。土田ヒロミさんは「私はこれを、こういう風に見る」という意志決定であると答えた。
みな記録としてだけのものではないという意見は一致していたが、では何なのかという決定的な確固たる意見を聞きたかった。
私は、自分のホームページに書いている。
「私にとって写真とは、
撮るものの心を露わにしてしまうもの
精神的な意味でのヌードである」
つまり、シャッターを切ったその瞬間、撮影者の心の記録と言っても過言ではない。
記録という言葉の意味を大きくとらえれば、単にその時代の記録という意味とは異なるのだ。
こう私が答えたかった

fine ART photographer Masumi
ひとつぼ展の審査をされている写真家の方々4名がゲスト。
飯沢耕太郎氏(写真評論家)、川内倫子氏(写真家)、小林紀晴氏(写真家)、土田ヒロミ氏(写真家)である。
私がひとつぼ展を知ったのは既に応募資格である35才をゆうに過ぎていた。
従って応募資格なし

トークショーの内容は過去のひとつぼ展の審査に関する思い出深い作品とエピソードがメイン。
ひとつぼ展は他に類をみない公開審査を行っているようだ。つまり審査員があーだこーだ議論を交わしている間、作者はその様子を見ているというわけ。もちろん自分の作品に対する反応が否が応でも直接的に突き刺さってくる

私は実に理にかなっていると思う。私もかつていろんな写真公募に応募したが、1次通過したものの、最終選考で落ちるケースがいくつかあった。
「残念ながら最終審査に選ばれませんでした。」と書かれた紙っぺら一枚送ってこられても、理由がわからない。
当の本人は、よくも悪くも結果だけ伝えられてもどう評価されたかが気になるのだ。次へのステップの助けにもなる。
ただ、過去にグランプリに選ばれた方で、 審査員の方々が「グランプリおめでとうございます」と伝えると、辞退を訴えた方がいたという

まあでもなんとか説得してひとつぼ展は開いたそう。そういう奇特な方もいるのだ。飯沢耕太郎氏は、そういったいまどきなかなかいない、貴重な方を選んだことはひとつぼ展にとってもありがたいことだとおっしゃられていた。
トークショーの最後の質問コーナーで、写真家として仕事をされている女性の方が発言をした。
つい最近、知り合いの方に、写真は記録でしかないと言われ、ドーンと心に傷手を負ったという。確かに話している声は震えていた。泣き出しそうにも見えた。そこで、写真は記録という媒体でしかないのか、あるいはそうでなければなんであるかをプロの写真家の方の意見を伺いたいとうものだった。
4人の写真家の意見は皆ほぼ同じだった。まず、他人の意見に左右されることはないってこと。そんなに落ち込むあなたが心配、と川内倫子さんは言った。飯沢耕太郎氏は光画と答えた。土田ヒロミさんは「私はこれを、こういう風に見る」という意志決定であると答えた。
みな記録としてだけのものではないという意見は一致していたが、では何なのかという決定的な確固たる意見を聞きたかった。
私は、自分のホームページに書いている。
「私にとって写真とは、
撮るものの心を露わにしてしまうもの
精神的な意味でのヌードである」
つまり、シャッターを切ったその瞬間、撮影者の心の記録と言っても過言ではない。
記録という言葉の意味を大きくとらえれば、単にその時代の記録という意味とは異なるのだ。
こう私が答えたかった


fine ART photographer Masumi