昨夜はうとうとしながら録画を観ていた。
いつも通り寝る前にとipad・ミニを開いたら、トップに新潟県で震度6強の地震とある。
これは大変と録画からチャンネルを切り替えて。
ときどきカメラが佐渡の港を映すからそこから情報を得る。
遠くの電気もついている、車は走っている、地面に特に変化も見られないようだ等々。
午後10時22分発生というから、佐渡汽船のカーフェリー最終便の乗客も下船して家路を急いでいただろう。
よかったなと安堵する。
それにしても6月18日とは。
昭和39年の新潟地震も6月16日昼過ぎだった。
6月15,16日は両津夷地区の「えびす祭り」で賑わっていた。
揺れもおさまって高校から帰宅してみると、津波が引いた後の惨状はひどいものだった。
タンスの引き出しで小魚が泳いでいたのを覚えている。両親の話によると、
防波堤内の水が引いて底が見えたと思ったら、一気に海水が押し寄せてきたそうだ。2階に物を揚げる時間もなかったという。
今でも実家の壁にはそのときの跡が、1メートル強の高さに線を引いて残っている。
それだけに津波だけが心配だった。実家の目の前は海だから岸壁を超えたらアウトだ。
12時ごろまでテレビにかじりついていたが、それ以上の情報は得られないから止めた。
友人に電話しようにも、遅い時間な上に私よりも濃い関係の人たちからの安否確認の電話があるだろうから
すべては明日に回そうと横になった。
ラジオを聞いていた夫が、津波は数センチだってよ、と言うからちょっと安心して。
先ほど佐渡の友人親戚に電話。
マサチャンママの
「なあんたあねえ、この辺はなんともねえや。いつもと変わらんが。安心せえや。
防災無線で避難しろと言うたけど、夫と犬と孫が一人中学へ行ったきりだが。私ら家で寝とったっちゃ」
の力強い言葉で被害がなにもないことを知り、ようやくほっとしたわ。
佐渡は被害が少なかったようだけれど、山形の方では被害を受けた方々がいる、一刻も早い対応を望む。
それにしても、ほんとに日本列島、いつどこで何が起きるか分からない、物騒なことこの上ない。