気ままに

大船での気ままな生活日誌

文学の森へ 神奈川と作家たち展 第二部

2011-03-29 16:42:21 | Weblog

県立神奈川近代文学館で表記の展覧会が開催されている。これは、同文学館が所蔵している神奈川ゆかりの作家たちの資料を、長期間、三部にわけて展示しているものである。ぼくは、第三部から見始め、一部をみて、そして、この日、二部をみることになった。これで全部みたことになる(えへん)。神奈川ゆかりといっても、”ちょっと滞在型文士”も含むから、錚々たる大作家が集まることになる。

今回の登場者は展示順に次のとおりである。芥川龍之介、横光利一、川端康成、永井荷風、谷崎潤一郎、岡本かの子、吉川英治、堀口大学、西脇順三郎、小林秀雄、中原中也、堀辰雄、中島敦であった。

谷崎は、引っ越し魔で、小田原、横浜に住み、最晩年は湯河原に住み、そこで亡くなる。箱根在住のとき、関東大震災に遭遇し、大阪に移り、最初の大作”痴人の愛”を発表。横浜時代の経験をもとに、モダンな風俗をバックに悪女ナオミを大胆に描く。谷崎も大震災がきっかけとなり、飛躍した作家だ。”細雪”は、四人姉妹の物語だが、ご夫人と彼女の妹らをモデルにして描いたそうだ。写真が展示されていたが、皆さん美人だった(ぼくは映画では小百合さんが出演したのをみたことがある)。棟方志功装丁の、”鍵”、”瘋癲老人日記”が異彩を放っていた。挿絵も志功が担当したが、それは静岡で観た。

中也の展示コーナーに、”冬の長門峡”の自筆原稿があった。短い詩だが、結構、修正している。最後フレーズの”あゝ!そのやうな時もありき、寒い寒い日なりき”の”あゝ”にも修正のあとがあった。”文学界”の中也の追悼号があり、小林秀雄の”死んだ中原”という詩が載っているページが開かれていた。”君の詩は自分の死に顔がわかってしまった男の詩のやうであった/ホラ、ホラ、これが僕の骨と歌ったことさへあったけ・・・・” 小林は詩人である。

荷風と神奈川?西脇と神奈川?堀辰雄と神奈川?ぴんとこなかったが、荷風は中学生の頃、小田原に転地療養していて、その後、逗子の別荘にたびたび遊んだらしい。ピンク色装丁の”おかめ笹”の初版本があった。西脇は鎌倉に疎開。彼は絵画も玄人はだしだが、実物がここでみられ、良かった。堀は逗子、鎌倉で新婚生活を送ったらしい。

川崎(二子)で幼少期をすごし、鎌倉で関東大震災に出会った、岡本かの子コーナーでは、康成宛ての書簡が展示されていた。康成がいち早く、かの子を評価し、世に出ることが出来た。横浜生まれの吉川英治の”鳴門秘帖”は青い布張りの珍しい装丁だった。”宮本武蔵”の自筆原稿も。漱石の芥川宛ての書状も、芥川コーナーでまたみることができた。

新たなこともいろいろ知った、面白い展覧会であった。まだ日が高かったので、山手の洋館通りを歩き、イタリア山の外交官の家の、裸のメタセコイアの並木をみてから帰った。若葉の季節がもうすぐくる。

 

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