こんばんわ。
横須賀線で大船から北鎌倉へ向かう途中、百日紅の咲いているお寺が目に入る。まだ、一度も訪ねたことがなかったが、ミニコミ誌にそこの百日紅が紹介されていて、あの笠智衆さんが眠っているお寺であることも知り、それではと出掛けてみた。
笠智衆を知らない人はいないだろうが、その素顔を知る人は少ないと思う。2006年に小津安二郎監督ファンの集い、第三回麦秋忌が鎌倉で開かれたときに、笠智衆さんのご長男による「父を語る」と題した講演があった。一般公開されていたので、ぼくも受講し、そのときの感想をブログ記事にしている。その一部を紹介する。
父、笠智衆は熊本県天水町のお寺の次男として生まれ、僧職を継ぐつもりで、東京の仏教関係の大学に入りましたが、途中で、松竹蒲田撮影所のニューフェース試験に合格し、俳優の道に入ります。大部屋生活が長く続きましたが、この時代がとても楽しかったと言っていたそうです。このとき、脚本部にいた、しいのはなみさんと出会い、結婚しました。楽しかったはずですね(笑)。(蒲田撮影所は昭和11年に大船に移転する)
小津安二郎監督に出会い、笠智衆さんの才能は花開きます。小津作品の最高傑作といわれる紀子三部作、「晩春」「麦秋」「東京物語」のいずれも、原節子さんと共に、主役を演じています。自分の隠れていた才能を引き出してくれた小津監督を、神様のように、尊敬していたそうです。監督のことを、回りの人は「おっちゃん」と呼んでいて、奥さんもそうでしたが、彼は、どんなときでも「小津先生」と呼んでいたそうです。
「撮影のときは、真っ白な状態でいく」とよく人に言っていたそうですが、そんなことはなく、よく台詞の練習をしていたそうです。近くの高台の神社で、大きな声で、納得いくまで研究していたそうです。さすが、名優ですね、見えないところで、努力されていました。
”東京物語”では72歳役だったが、実年齢は48歳だった。原節子さんといつも共演。うらやましい人生でした(笑)。山田洋次監督の寅さんシリーズでは年相応の柴又帝釈天の御前様役でしたね。
北鎌倉駅から横須賀線の線路沿いの道を20分も歩くと、成福寺の山門が見えてくる。
茅葺きの山門は”四足門”と呼ばれるもので、親柱の前後にそれぞれ二本の控柱がある。この辺り(山崎)の領主の娘、崇高院が自宅の門を寄進した。
鎌倉唯一の浄土真宗のお寺とのこと。
親鸞聖人の像がある。そういえば、鎌倉では初めて見る。日蓮上人像はよく見るが。
さて、目的の百日紅。本堂横に。
華やかに咲いていた。
百日紅の向こうの墓地のどこかに笠智衆が眠っておられる。笠智衆は、大船に住んでいたが、父親が、熊本の浄土真宗の寺の住職を務めていたので、鎌倉で唯一の浄土真宗のお寺に眠ることにしたのだろう。ほんとは、尊敬する小津安二郎監督の眠る円覚寺を望んでいたのかも。
笠智衆さんもきっと草葉の陰で盃を傾けながら百日紅のお花見をしていることだろう。
ぼくもいいお花見をさせてもらいました。
では、おやすみなさい。
いい夢を。
今宵の月は更待月(夜更けまで待つ月)。月の出直後で百日紅の花のような赤い月となった。
男はつらいよの映画の御前様です。
寅さんの映画は映画館に見に行っていて、小津安二郎監督の映画は
テレビの放送でしか見た事がないから
寅さんの方が印象が強いのかもしれません。
今でも柴又の帝釈天に御前様がいるような感覚があります。
私も出かけてみたいです。
「笠智衆さんの素顔」ページとても興味深く拝読しました。
あれ、こちらにも抜粋されていたんですね(笑)
>72歳役だったが、実年齢は48歳だった。
本当ですか!凄いです。
>原節子さんといつも共演。うらやましい人生でした(笑)。
右に同じです!
>草葉の陰で盃を傾けながら百日紅のお花見をしていることだろう。
閑静ないいお寺ですね。
お聞きしている「キネマの神様」ですが、兵庫もコロナ感染者が急激に増えて近所にも感染者がでて残念なが映画館に行くのを控えております。
有難うございました。
鎌倉では小津作品がたびたび上映されるので、ぼくは笠智衆といえば、原節子の共演者ですね。
キネマの神様、見ましたか。その頃の大船撮影所が舞台になっています。原節子らしい女優さんも出ていますが、笠智衆らしい俳優はおりませんでした(笑)。
キネマの神様はきっとロングランになると思います。コロナが鎮まってから、ゆっくりご覧ください。