こんばんわ。
大覚寺展の紹介の第一弾で、いきなり本展の目玉、狩野山楽の牡丹図と紅白梅図の豪華な襖絵を並べたが、会場の雰囲気を思い出し、自身でうっとりしてしまった(汗)。そのせいで、本覚寺の由来や、本展の概要を説明するのを忘れていた。遅ればせながら、今日はまずそれらから。
平安時代初期、嵯峨天皇(786-842)は風光明媚な嵯峨野に離宮・嵯峨院を造営し、空海(774-835)の勧めで持仏堂に五大明王像(現存せず)を安置する。その後、貞観18年(876)に皇女・正子内親王の願いにより寺に改められ、大覚寺が開創された。旧嵯峨御所と呼ばれる由縁である。
本展は、開創1150年を来年に迎えるのを記念して行われるもので、寺内の中央に位置する宸殿、これは、後水尾天皇へ入内した和子(東福門院)の女御御所を後に移築したものと伝えられ、すでに紹介したここの豪華な障壁画が展示される。また、歴代天皇の書や平安後期の仏像を代表する「五大明王像」など密教美術の名品も公開される。
次のような章立てになっている。第4章のみ撮影が許可されている。
第1章「嵯峨天皇と空海―離宮嵯峨院から大覚寺へ」
第2章「大覚寺中興の祖・後宇多法皇―『嵯峨御所』のはじまり」
第3章「歴代天皇と宮廷文化」
第4章「女御御所の襖絵―正寝殿と宸殿」
ここでは、写真撮影のできない第1~3章までは、代表的な展示物をちらしの写真などから移すのみとし、撮影可能な第4章の残りを中心に進めたい。
第1章「嵯峨天皇と空海―離宮嵯峨院から大覚寺へ」
重要文化財《五大明王像》明円 平安時代(1777)
平安時代後期の上級貴族のための仏像制作を担った仏師・明円による。天皇家ゆかりの仏像。力強い体つきには気品があふれ、整った顔つきの仏像である。
第2章「大覚寺中興の祖・後宇多法皇―『嵯峨御所』のはじまり」
重要文化財・後宇多天皇像 鎌倉時代・14世紀
同寺の中興の祖である後宇多法皇の肖像。大覚寺で院政をひいたため大覚寺殿と呼ばれた。出家後、真言密教に帰依して伽藍整備を進め、仙洞御所を新造した。
国宝・後宇多天皇宸翰 弘法大師伝 後宇多天皇筆 鎌倉時代・正和4年(1315)
後宇多天皇自らが筆をとって記した空海の伝記。空海への尊崇の深さがしのばれる。謹厳な楷書から力強い草書と変化する書体がみどころとのこと。
重要文化財 太刀 銘 安綱 (名物 鬼切丸〈髭切〉)鎌倉時代・13世紀 京都・北野天満宮蔵
源満仲から頼朝に至る源氏の重宝「鬼切丸」および「髭切」の伝承をもつ太刀。上の大覚寺蔵の太刀とは兄弟。今回、京都以外の地での初の兄弟刀の揃い踏み。
第4章「女御御所の襖絵―正寝殿と宸殿」
以下、撮影自由の領域。狩野山楽や渡辺始興(1683〜1755)による123面の障壁画群を紹介。今回は渡辺始興の作品を中心に。
野兎図 渡辺始興 江戸時代 18世紀 屋内の縁側を飾る腰障子。卯年生まれの幼い門跡を慰めるためとの寺伝。
内側は四季花鳥図。
芭蕉図 と鶴図 渡辺始興 江戸時代 18世紀 始興が仕えた近衛家熈(いえひろ)は博物学への造詣が深く、始興も写生を重んじた。
芭蕉図
鶴図
松に山鳥図 江戸時代 17世紀
立木図 安土桃山~江戸時代 16~17世紀
竹林七賢図 伝渡辺始興 江戸時代 18世紀
今日で一気に片付けようと思ったが、第4章がまだ、だいぶ残っているのでまた明日へ(つづく)。
では、おやすみなさい。
いい夢を。
今日は節分。いつもどこかの豆まきに出かけるのだが、あまりに寒くて、家で映画鑑賞。いつ見ても感動、サウンド・オブ・ミュージック。
根性が、何処かにいきましたよ。
素晴らしいとしか、云えません。
仏界の面々も、目が眩みそうです。
信仰とは、きらびやかさも含まれてですね。
おやすみなさいませ。