気ままに

大船での気ままな生活日誌

彼岸

2011-03-20 09:19:34 | Weblog

お彼岸に入ったので、19日、ふたりで、お墓参りに行ってきた。お中日に墓参することが多いが、天気予報をみてそうした。来月、母の三回忌が予定されているので、ご住職に計画停電の影響はないのですか、とお伺いした。このお寺は停電はないとのこと、よく分からないが、東名高速や変電所の近所ということが関係しているのかもしれないとのことだった。

予定通り、法事ができそうなので、ふたりの妹にメールで連絡した。宮城県の妹には、今回は無理して出席しなくても良い、と付け加えた。早速、返事がきて、”水道はまだだけど、電気がついて、ほっとしている、今、スーパーで買い出しているところ、法事はなるべく出たい”とのことだった。

墓地は大地震の影響はほとんどなく、どの墓石も何もなかったように、静かにたたずんでいた。大銀杏の前のお地蔵さまも、あの大揺れに耐えたようで、ごほうびに、黄色い帽子をどなたかにかぶせてもらっていた。母もよく、このお地蔵さんを可愛がっていた。

その夜、福島原発の3号機へ、命がけの連続放水を成功させた、東京消防庁レスキュー部隊の方々の記者会見をみた。決死の覚悟が伝わってくる感動的な会見だった。とくに富岡隊長が、涙ながらに、”隊員は非常に士気が高く、みんな一生懸命やってくれた。残された家族ですね、本当に申し訳ない。この場を借りておわびとお礼を申し上げたい”と話されたときは、部下を想う気持ちがひしひしと伝わってきて、おもわず涙があふれてきてしまった。ぼくの友人の御子息もこの部隊にいるので、もしかしたらと思う。この会見をみておられる、ご家族の皆様の気持ちはいかばかりであったろうか。原発事故、何とか、おさまって欲しい、と祈るばかりだ。

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月光

2011-03-19 09:28:46 | Weblog

昨日の”計画停電”は、夜間だった。食事を終え、テレビを観ていたら、突然、電気が切れる。闇の世界に入った。いつものように、蝋燭を灯した。小さな炎だけれど、テーブル一面を照らしてくれ、闇夜から救ってくれる。しばらく、うつらうつらしてたら、またグラリときた。反射的に蝋燭の火を消した。あっと、思った。闇夜でない。ベランダ側の全面ガラス戸に光が射しているようで、結構、明るい。ワイフが月光かもしれない、と言う。ベランダに出た。やはり、そうだった。南東の空の雲間からこうこうと、満月に近い月が出ていた。月光がこんなに明るいものだったとは。地域一斉停電という、終戦からしばらくの電力不足の時代を除いて、はじめての事態に遭遇して、月光の明るさに気付いた。

春の月。普通の年であるならば、汀女さんの”外(と)にも出よふるるばかりに春の月”と月を愛でたいところだが、今年の春は、そういう気分になれない。空前絶後といっていい大災害に苦しむ日本。助けてください、お月さまと、お願いしたいばかりだ

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大地震 一週間後

2011-03-18 09:18:25 | Weblog

東北・関東大地震の日から一週間がたった。日々、被災の拡大が報じられ、一週間後の朝の段階で、死亡者5,694 名、安否不明者17,328 名、避難418,827名(朝日新聞)に達している。大災害である。多くは、地震のあとの巨大津波による被災で、町全体が波に呑み込まれていく映像には誰もが戦慄をおぼえたことだろう。

加えて、福島原発が深刻な状況に陥っている。すでに、スリーマイルアイランド以上の事故になっているが、これ以上拡大させないため、放水と外部電源復旧の成功を心から祈りたい。現場の最前線で、決死の覚悟で、作業されている東電、協力企業の社員、そして自衛隊、警視庁の皆さまには心から敬意を表したい。一方、重大な原発事故の対処を、何故、東電(協力企業)まかせにしたのか、はじめから疑問に思っていた。テレビの解説者として次から次に出てくる専門家の方々、どうして、すぐ全員が集まって知恵を出し合わなかったのだろうか。この非常時に原子力関係学会のオールジャパン体制が必要ではなかったのか、素人ながら思う。あとのまつりだが。

これからは避難している方々の健康の維持と今後の生活基盤の確立が中心となるだろう。また、避難はしなくて済んだものの、震災地区の住民のライフラインがまだまだ復活していないのが心配だ。宮城県に住む、ぼくの妹家族も、まだ、電気、水道がつかず、ガソリンも手に入らないという。宅急便も送れず、あまり長引くと、これらの人々まで難が及ぶ。政府は全力であたってほしいし、ぼくも募金などで支援しようと思う。

。。。。。

八幡さまの大銀杏。3月10日が命日。”一周忌”の翌日、東北・関東大震災が起こった。

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混乱

2011-03-15 09:11:11 | Weblog

昨日の東電の”計画停電”は、説明が二転三転の”混乱”だった。東電だけではなく、実は、ぼくも”混乱”した。昨日のブログで、ぼくの家は”第一グループ”の属し、そのため早朝停電に備えた、と書いた。しかし、実際は”第五グループ”だったのだ(汗)。何故わかったかというと、ニュースで横浜市保土ヶ谷区内に三つのグループが混在していて、混乱していることを知ったからだった。

最初、計画停電のグルーピングのNHK字幕をみて、第一グループに、藤沢、鎌倉、逗子とあったので、鎌倉市全域と早合点してしまった。ところが、東電のホームページをみると、鎌倉市の大船地区は第5グループに入っていたのだ。とうことは、昨日の早起きは必要なかったことになる(汗)。いろいろな事情があるのだろうけど、でも、もう少し、大きなエリアでくくってもらった方がよかったと思う。保土ヶ谷区の例は、おかしな括りといってもよいだろう。

混乱は、スーパーでもみられた。朝10時過ぎに近くのスーパーに行ったら、開店すぐにもかかわらず、ななななんと、十幾つもある、レジが長蛇の列。みんな、トイレットペーパーやら、水、パンなどを山のように買い物かごに載せている。あのときを思い出す。ぼくもつられて、いつもは1本買うお酒を、2本にした。ワイフはお昼のうどんに載せる天ぷらと、食パンを買った。ふたり暮らしなので、何とかなるわよ、とあわてない。ただ、今朝食べた、食パンは変わったものだった。てっきり普通のと思って買ったそうだが、桜色したパンだった。やっぱり、誰も買わない、残り物だった。

混乱の一日だった。

今朝は、福島原発で重大な事故につながりそうな報告があった。なんとかチェルノブイリは避けてほしい。”大混乱”の回避を祈るばかりだ。

フラワーセンターのシクラミニウス・スイセン 

 

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計画停電

2011-03-14 09:16:18 | Weblog

東日本大地震のマグニチュードが9.0と上方訂正され、世界最大級の、我が国では千年に一度の巨大地震、巨大津波だという報告が昨日あった。犠牲者数も万人越えとも推定され、避難民も30万になるという。まさに、未曾有の国家的危機といってよい。犠牲者のご家族そして避難されている方の気持ちを想うと胸が痛む。何とか、気持ちを分かち合いたいと、どなたも思っていることだろう。だから、昨晩、東電から、やや唐突に発表された”計画停電”にも、当然のことと思い、準備した。その夜は、避難している人々のことを想っていたら、なかなか寝付かれなかった。

鎌倉市の計画停電は午前6時20分からというので、5時半に起きて、それまでに食事を済ませた。テレビをみながら、そろそろ停電かなと思っていたが、突如、第一グループの停電は中止になりました、という。需給の精査の結果、余裕ができたからだという。精査しないで計画したのかな。

驚いたのは、朝のニュースで、ぼくの散歩線、東海道線や横須賀線が終日運休だという。仕方がない、あきらめる。でも東京や横浜に向う通勤客はどうなるのだろう。その他多くの鉄道が一部運行だというし、それでは、事業所や役所が機能しなくなるのではないだろうか。日本列島を身体にたとえれば、この大震災で右半身が瀕死の重傷をおっている。その上、地域別計画停電で、大動脈を止めてしまったら、心臓が機能しなくなり、右半身だけでなく、身体全体が衰弱してしまうのではないだろうか。技術的なことは分からないが、人の動脈に当たる、鉄道だけには電気を供給するということは出来ないのだろうか。そして、事業所では大節電、あるいは”時間差営業”、一般家庭では当初の”計画停電”などで電力需給のバランスをはかるとか。

たぶん、今朝は想定以上に鉄道が運休したので、一般家庭に電力を回せる余裕ができたのだと思う。

。。。。。

早咲きの桜(大船フラワーセンター)

 

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原発が心配だ

2011-03-13 09:13:16 | Weblog

大震災2日目を迎えた昨日、午後3時頃、福島原発で爆発音と共に白煙があがったというニュースを聞いてから、テレビから目が離せなくなった。NHKで、午前9時ころと爆発音以降に撮った原発の建物(建屋)写真をみて驚いた。なななんと、建物が骨組みだけになってしまっている。遠目ながら、骨組みの中は、すっからかんにみえる。ということは、原子炉そのものが爆発して、放射能を撒き散らしているのではないか、素人のぼくでもそう思うほどだった。NHKの解説者も、それまでと急に声の調子が変わった。これは重大事故の可能性があります、避難する方は肌を出さないように、10キロ以上に居住している方も窓は閉め切り、外気に当たらなようにと注意を促した。数時間たっているのに、当局から、なんの情報もないのは、糾弾されるべきだといきりたっていた。

結局、その爆発は建屋だけであって、原子炉の格納容器は損傷していない、最悪の事態は避けられたということになって、一安心した。それでも、そのときの爆発で放射線物質が飛び散り、近くの高校のグランドにいた人々に被爆したわけだから、とんでもないことだ。

今朝のニュースでさらに、第3号機も冷却機能が喪失し、1号機と同様の処置をするようなので、また建屋爆発、放射性物質飛散が起こりうる。さらに心配なのは、1号機の海水冷却が万が一、うまくいかなければ、スリーマイル規模の放射能汚染にもなりかねない。

なんとか、この程度で納まってほしいと願う。この事件で、原発はもういらないという声が高くなるだろう。あるだけの電気をつかった暮らしをすればいいじゃないかとぼくは思う。

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大地震

2011-03-12 09:08:05 | Weblog

鎌倉芸術館で、三国連太郎さんのトークが終わり、彼主演の映画”利休”を見始めたとき、突然、グラリときた。それもしばらく続く。映画も切れ、揺れはさらに続く。最近には経験したことのない強い揺れだった。係員の誘導で、建物の外の広場に出ても、ときどき揺れ、皆、不安気な表情だ。15分くらいたっても、揺れはつづき、停電となり、映画は後日上映ということになり、解散した。となりのスーパーもブックオッフも、皆、お客は外に誘導され、店内は暗くなっていた。

マンションに戻ると、エレベーターは使えない、部屋の中は、泥棒が入ったように乱雑に物が転がっていた。5時になっても電気はつかず、水道は使えずで、今晩、食べるものがない、とワイフが言うので、大船駅まで買いだしに行った。仲通りなら、開いている店もあるだろうと思ったからだ。大船駅は、全線がストップして、たくさんの帰宅客が通路の端や階段に座っていた。仲通りも、停電なので、レジを使う店はすべて閉じてしまっていた。でも、お惣菜屋さんで、1,2軒開いてるところがあり、そこで、いくつか買うことができた。

一本のローソクがこんなに役に立ってくれるとは思わなかった。9時前まで、電気がつかなかったので、ローソクの灯りで食事をした。テレビもつかないので、電池入りのラジオで大地震のニュースを聞いていた。東北地方の被害の惨状が次々と伝えられてくる。妹、おい、めい家族が宮城にいるので、メールをするが、なかなか通じない。やっと、通じたが、返事がこない(寝る前にやっと、無事だという返事がきた)。

今朝の新聞に”東日本大震災”の大見出しが。まだまだ、被害が拡大するようで、心配だ。福島原発も気になる。しばらくテレビで様子をみていよう。3月10日の”東京大空襲”66年後の翌日、東日本は大地震に見舞われてしまった。最小限の被害でくいとめられるよう祈念したい。

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吾妻山

2011-03-11 09:29:25 | Weblog

ぼくのパソコンくんが具合が悪くなってから、もう10日にもなる。今日もなかなか起き上がってくれなかった。そろそろ、ゆっくり休んでもらおうかなとも思っている。昨日、3月10日は八幡さまの大銀杏の命日だった。早いもので、もう一年たったのだ。そして、この日は東京大空襲の日でもあった。ぼくの父母は被災地の蒲田に住んでいたから、もし疎開していなければ、この世にぼくも存在していなかったことになる。そして、帰ってから、コント55号で一世を風靡した二郎さんが亡くなられたことを知った。すばらしい芸人だった。ご冥福を祈ります。

いろいろのこと思い出す、3月10日だったが、その日、ぼくは朝、富士山がきれいにみえたものだから、二宮の吾妻山に行ってしまった。あそこからみる富士山は、とてもいい。とくに今頃の菜の花の咲いているときは。

でも山頂に登ったら、富士山は雲に隠れてしまっていた。残念だったけど、丹沢の山々が、アルプスのように、頂上付近に雪をのせて、光っていた。そして、菜の花はまだまだ盛りだったし、相模湾の光る海もとても素敵だった。

命あるもの、いつかは突然果てる。今日1日の命だと思って、今日も楽しみたいと思う(汗)。

 

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横浜美術館にて

2011-03-10 09:46:19 | Weblog

渋谷でフェルメールの”地理学者”を観て、東横線で横浜で降りるつもりが、居眠りでみなとみらい駅へ。じゃあ、横浜美術館でも寄ってみるかと、入った展示場で、最初に観た作品が、なななんと、”地理学者”。フェルメールの作品が渋谷から先回りして飛んできたわけではなく、高嶺格の刺繍作品。よくぞ、刺繍でここまで表現できるのかと感心するほどの、本物に近い光と精密さを表した作品だった。フェルメールが、ぼくをここに連れてきたのだ、と思った。

高嶺格/とおくてよくみえない展が開催されていた。はじめの展示場は刺繍作品だったが、それ以降の展示は、えっ、これ何?とおどろかせるものばかりだった。音や映像をPC制御で駆使して、さまざまな”前衛的作品”を目の前に出現させる。最後の暗い部屋は、勉強にきていた中学生グループには見せられないような(笑)、エロチズムな映像。人間の感性を、あちらから、こちらから、上から、下から、奥深くから、いろんな手段でくすぐってくるような、芸術といってよいだろうか。おもしろくみさせてもらった。

”中谷ミチコ展/境界線のありか”が、新進作家支援プログラムの一環で個展が開かれていた。石膏で少女の姿が彫られている作品が多い。白い少女たちが、何か語りかけたいようにこちらを向いている。近づくと、凸面かと思った顔が凹面だったのにはおどろいた。遠くからみるとふっくらと外に出ているようにみえる。ドレスデンで美術の研鑽をされ、最近日本に戻ったばかりのようだ。

常設展では、清方の”遊女”が出ていた。福富太郎さん好みの(ぼく好みのでもあるが)美人画だった。

 

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湯河原梅林 見頃

2011-03-09 18:02:11 | Weblog

数年振りに湯河原梅林に行ってきた。何だかんだといっても、神奈川県下最高の梅林だろう。湯河原駅からバスで15分くらい、幕山公園がある。そこの山の麓に4000本もの白梅を中心とした梅の木が一斉に花を咲かせている。見事なものだ。先日、みてきた大倉山や三渓園の梅林も、ここのスケールに比べると、”月とすっぽん”になってしまう。

下から見上げてもいいし、山に登って、見降ろしてもいい。大きな岩もあり、巨大な自然庭園のようだ。ひと回りして、麓の売店で、湯河原町がB級グルメで売り出し中の”たんたんたぬきの、担々焼そば”(やっぱりお前、出てきたな、名前をつけてもらって良かったな、リーリーと シンシンだってな。今度行くからな。)そして、熱癇で、お花見をしたのでした。

風もないのにぶらぶらした一日でした。

これはなるべく、みない方がいいと思います。どうしてもみたい人はマスクをしてから拡大してください。

 

 

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