南信州のりもの倶楽部♪

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幻の部品、飯田で見つかる

2012年05月08日 13時39分25秒 | オートバイの無い生活
やぁ。昨日ナイターソフトの頑張りましょう会で飲みすぎた「のりもの倶楽部」南信州版だよ。
よく酒強いとか酔ってるところ見たことないとか言われるけど翌日は酒の臭いをプンプンさせてるんだけどね。
そして毎日浴びるほど飲んでも全然太らない。って言うか逆に痩せてるんだもん。
人間の体ってホントよく分からん。

で、今日は飛行機のお話。
一応のりもの倶楽部なんだから問題ないでしょ。

上の写真は太平洋戦時中に日本海軍が偵察機として使っていた彩雲っていう零戦のエンジンカバー部の部品なんだけど、
たぶん多くの人はサッパリ興味ないと思う。
が、この部品が発見された事でこの南信州飯田市は小さな騒ぎとなった。
何でかって言うと彩雲自体の生産数が少ない上に現物はアメリカに一機あるだけ。
そして日本にはもう部品すら無いとされていて存在自体が幻とされていたのだ。

何でこんな部品がこの飯田市にあったのか…

実はこの部品は僕と一緒に横型エンジンを作ってる友達の嫁さんの実家の倉庫にあったんだけど、
この部品が世に知れ渡ったきっかけがドラマティック。

どうもこのお宅のお爺さんの父ちゃんの頃から家にあったらしく当然誰も興味無いもんだから表に放置されていて、
この部品に網を張って中で鶏やタヌキを飼っていたらしいんだけど、
友達の嫁さんのお兄さんが「そう言えば飛行機の部品がウチにあるんだけど何だか分からんからネットで聞いてみようかな」って事で、
零戦談話室と呼ばれるスキモノが集まるコアなサイトで質問してみたらしいのだ。
そしたらこれは彩雲の部品ではないかって事になり設計図と比べてみたらやはり幻の零戦、彩雲の部品だって事が分かったらしい。

だからこの家には多くの取材陣が来たらしく友達が僕に興奮気味で教えてくれたので気になって僕も実際アポを取って取材に行ったのだ。

この部品はどうも飯田市のどこかで生産されていたみたいなんだけど、
このお宅でこの部品を作ってる方々に部屋を貸して住んでもらってたらしく、
終戦と共にその方々も帰って行ったのだがその際お礼としてこの部品を置いていったらしい。
で、当時としてはガラクタ同然だったんだけどせっかく貰った物だからって事で捨てられず保管されていたんだって。








このカウリングの裏側には何か字のような物が書かれているんだけど、
どうも「誉、航 100」と書いてあるらしい。
誉とはこの彩雲に積まれていたエンジンで、実際この字を書いていたとされる生き証人も見つかったのだ。
もう幻じゃなくなったね。





だいたいの大きさが分かるよう山ちゃんに写ってもらってみた。

この錆びた鉄板はステンレスで錆びていない部分はジュラルミンで出来ていて、二人で持ち上げたらビックリするほど軽い。
ただステンレスは錆びてしまっているので、たぶん質はそんなに良くなかったのではないかと山ちゃんは申しておりました。

山ちゃんに聞いた話だがアメリカで質の良いオイルと燃料でどれだけスピードが出るか試したらしいんだけど、
見事マッハ越えに成功したらしい。
だから日本の技術力は当時から凄かったのが伺えるね。
戦争は負けちゃったけど…
 っていうか核はダメだよ、核は。

この部品の行方なんだけど、元は愛知県半田市にあった中島飛行場で彩雲は作られていたので、
そこの後進の会社である輸送機工業さんで保管される事になったそうな。
まぁ元あった場所に帰るみたいな感じかな。
でも「ウチで保管させてほしい」と名乗りを上げた所がいくつもあって、
その中には国立博物館もあったんだそうな。
それほど貴重だってこと。

せかっくなので新聞の切抜きやもっと詳しく説明されたサイトを紹介しておくので。
これを見て思いに浸ってほしい。

新聞の記事

大発見! 艦上偵察機彩雲の発動機架覆

そんな訳で今日は零戦の話をしたけど、結局は最後のサイトを見てもらった方が詳しいしためになるって事(笑

またみて下さいな。



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コメント (4)
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