団塊世代おじさんの日常生活

夏 日本で二番目に気温が高く、陶器と虎渓山と修道院で知られる多治見市の出身です。

私は母方の祖母に、「三日・三月・三年」という言葉を教えられました。

2020-02-11 09:05:23 | 日記
 中日新聞の読者投稿欄に「努力見ている人はいる」というタイトルで、25歳の女性が投稿されていました。


 私はもうすぐ社会人になって3年目となる。

 「最低でも3年間は会社で働け」という声をよく聞き、3年働いたらその先に何があるのだろうかとずっと思ってきたが、
私はまだ分からないこと、できないことだらけだ。

 年齢を重ねれば自然とできることも増えるのかと思いきや、
物事はそんなに都合良くは進まなかった。

 経験は増えたが、その分難問にぶつかる可能性も増えてきた。
自分の無力さにはあぜんとする日々だ。

 きっと何年たっても何をするにしても悩みは尽きないのかもしれない。

 ある日、仕事がうまくいかずに弱気になっていたら職場の先輩に声を掛けられた。

 「いつも頑張っているから」と私の大好きな紅茶の詰め合わせをそっと手渡してくれた。
じーんときた。

 見てくれている人はどこかにいるんだー。
そう思うと先輩の優しさが身に染みた。

 いただいた紅茶はお守りみたいに私のデスクの引き出しに今もある。


 以上です。

 「三日・三月・三年」と言います。
私は母方の祖母に、「三日・三月・三年」という言葉を教えられました。

 辛いことがあっても、まずは3日我慢しなさい。
それが出来たら、次は3月我慢する。
それも出来たら、3年我慢する。
そうすれば、会社に慣れるというような事を言われたような気がします。

 今は3年も我慢する必要はないという意見もあります。
自分の適正に不向きだと思ったら、さっさと新しい職場を見つけたほうが良い。

 それも一理ありますね。

>きっと何年たっても何をするにしても悩みは尽きないのかもしれない。

 私は今は働いていません。
でも生きている限り、悩みは尽きませんね。(苦笑)


>見てくれている人はどこかにいるんだー。
そう思うと先輩の優しさが身に染みた。

 こんな先輩がいらっしゃると、うれしいですよね。
私は先輩ではないですが、新しい部署に異動を命じられた日、
仲良くしていた同僚が、昼飯に誘ってくれました。
新しい部署で何をしたら良いか分からなくて戸惑っていた私に、
昼飯を誘ってくれて、ホッとしました。

 40年前以上の事ですが、彼の心遣いに今でも感謝しています。





主人公 さだまさし
コメント (8)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする