中日新聞の「くらしの作文」に、「神様からもらった時間」というタイトルで、60歳の女性が投稿されていました。
主人が倒れて5年がたちます。
左半身が思ったように動かず、家の中でも動くことが少なくなり、リハビリも「しんどい」と言って行かなくなったこの頃。
年々弱くなる夫が、これからどうなるのか心配でたまりません。
「このつらさは健常者には分からん」といつも言われてしまいます。
でも、5年前の倒れた時が、お別れの時だったとしたら、どれだけ悲しかったのでしょうか。
そう思うと、今ある時間は神様からもらった時間だと思うのです。
前のようにドライブに行けなくても、家の中で何もしなくても何のことはない。
そばで一緒に笑えて会話ができて、仕事から帰ってきたら電気がついている。
それだけで十分だと思うのです。
夫に「神様からもらつた時間、有意義に使おう」と言うと「違う、これはリハビリを頑張って自分でつくった時間、時々お母さん」と言うではありませんか。
入院当時は泊りがけで、あんなに一生懸命になって介護したのに、元気になったのは自分で頑張ったためで、私は時々手伝っただけだと言うのです。
「神様からもらった時間」・・・。
ロマンチックな言葉なのに、お父さんらしいなと思うのでした。
以上です。
あぁ、投稿者さんは、やさしい女性ですね。
投稿者さんのご主人が羨ましい!
>入院当時は泊りがけで、あんなに一生懸命になって介護したのに、元気になったのは自分で頑張ったためで、私は時々手伝っただけだと言うのです。
ご主人は、本当にそう思われているのかな?
本当にそのように思われていたなら、奥様への感謝が足りないのでは?😅
私が投稿者さんのように倒れたとしたら、かみさんは落ち込んでしまうでしょうね。
かみさんの、落ち込む姿を見るのが辛い。
かみさんは、リハビリを死ぬほど頑張らないと許してくれないと思います。
そう思うと、投稿者さんのようなやさしい奥様と、私のかみさんのようにきつい奥さんと、どちらが病人にとって良いのでしょうかね?
ビリーバンバン ♪さよならをするために