中日新聞の読者投稿欄に「夫婦円満 ひけつは仕事」というタイトルで、72歳の男性会社員さんが投稿されていました。
72歳になった今も家に引きこもらず、会社勤めをしています。
かって父が定年退職してからの母との確執をどうしても思い出すからです。
妻の父母も老後夫婦仲が悪くなり義母は80歳を超えて「離婚したい」とよく言っていました。
一つ屋根の下で、一日中顔を突き合せているため夫婦生活に確執が生ずるのも当然かと思います。
振り返って自分が定年退職を迎えたときもそのようなことが予想されました。
身近な先輩夫婦に思いをはせ、妻と互いに適度な距離を取る生活が必要だと痛感し、仕事を続けることにしたのです。
もちろん私も退職したら年金収入だけとなり小遣いが減る不安はあります。
一線を退いたとき生活に緊張感もなくなり病気になってしまうかもしれません。
そう遠くない退職時を考えると、できる限り先延ばしにして体が続く限り働きたいです。
世間で言われるような退職後の悠々自適な生活が私には遅れそうにもありませんから。
以上です。
「亭主元気で留守がいい」と言いますが、夫婦仲が悪くならないようにするのは、いつまでもご主人に働いてもらうことは良い方法ですね。
投稿者さんには、
「かって父が定年退職してからの母との確執をどうしても思い出すからです。」。
「妻の父母も老後夫婦仲が悪くなり義母は80歳を超えて『離婚したい』とよく言っていました。」。
というトラウマがあるように思えます。
いくら先延ばししても、いつか働くのをやめる日がやってくると思います。
奥様と向かい合う日が、必ずややって来ます。
いつまでも逃げる訳にはいきません。
ひろさちやさんという仏教思想家が、下記のことを書かれています。
私たち高齢者はどのように生きていけばいいのか。
そこでヒントになるのが、お釈迦様が生まれたインドの考え方だと思っています。
インドには「四住期」といって、人生を「学生期」「家住期」「林住期」「遊行期」の四つに分け、それぞれの期間でどう生きるべきかを示す考え方があります。
まず「学生期」は一生懸命に勉強して人生の真理を学ぶ時期、
「家住期」は一家の長として家族を支えたり、家庭を切り盛りして自分の役割を果たしていく時期。
それに続く「林住期」は、社会の第一線から退く、隠居生活に移る時期といってもいいでしょう。
そして、最後の「遊行期」は気ままに旅をする、日本流に言い換えれば悠々自適に暮らすという意味を指します。
こうした区分けはインドの法典「マヌ法典」などに出てきますが、日本人もこうした考え方で生きていけばいい。
今の日本には高齢者でもリタイヤせず「林住期」の人がいない。
生涯現役、エコノミックアニマルとして生き続けろというわけですが、それはアホな考えだと思います。
隠居することは、何もしないという意味ではないからです。
いわば孫の世代に教えを伝える、教育する期間と捉えるべきです。
まだ子供が成人していない父親や母親の世代なら、生きていく術や金儲けの仕方を教えなければいけませんが、我々祖父や祖母の世代は違います。
孫たちに「のんびり生きなさい」と教える余裕ができる。
私には孫がいませんが、甥っ子や姪っ子たちがいましてね。
彼らの親が「勉強しなさい」と叱り飛ばす横で、「学校なんて嫌なら行かなくていいんだぞ」なんて口を挟んでいました。
そうしたら「おじちゃん大好き」と懐かれましてね。
高齢者まであくせくした世の中では、自分らしく生きていいんだと話すお年寄りが少なくなってしまった。
以上です。
私はひろさちやさんが提唱されるように、高齢者には「林住期」が必要のように思います。
ひろさちやさんが言われるように、隠居することは、何もしないという意味ではないからです。
「いわば孫の世代に教えを伝える、教育する期間と捉えるべきです。
まだ子供が成人していない父親や母親の世代なら、生きていく術や金儲けの仕方を教えなければいけませんが、我々祖父や祖母の世代は違います。
孫たちに『のんびり生きなさい』と教える余裕ができる。」などなど、高齢者の役目があります。
長年生きて身に付いた知恵を、孫の世代に伝えるという役目を果たさなければいけないと思います。
さだまさし - 主人公