中日新聞の読者投稿欄に「『期待』負担に感じたら」というタイトルで、中学3年の女生徒さんが投稿されていました。
「期待しているよ」。
この言葉は人に頑張ってほしい時に使う人が多いだろう。
しかし人の心を曇り色に染めてしまう言葉にもなる。
スポーツの試合や定期テストの時、「期待しているよ」と言われ、うれしく思う人が多いだろう。が、頑張っていてもなかなか出ないと悩んでいる時に言われるとプレッシャーを感じている時に言われると負担になる。
この言葉は相手の心情によって受け止め方が異なる。
すべての言葉でこのようなことが言えるだろう。
「頑張れ」といった応援する時に使う言葉でも、言われると時には突き放されたと感じ、心を曇り色に染めてしまうこともあるのだ。
そこで考えた。
言われてそうなった時は、取り組んでいること、挑戦していることから一度離れ、遠目から見るといいのではないだろうか。
以上です。
先日 娘が帰省した時、3年ぶりに回転寿司の「スシロー」へ息子一家と行きました。
ところが息子一家も予定が詰まっていたようで、息子と一番下の中学3年の孫だけがやって来ました。
来れなかった三人には、持ち帰りの寿司を三人分息子に渡しました。
この持ち帰りの寿司の高かった事、ビックリしました。
やむ得ない事ですが、三人が来てくれた方が安く済みました。😅
一番下の中3の孫は、今年受験生です。
受験の話になり、孫と一緒に塾に行っている友達は、父親からここらでは一番有名な進学校に行って欲しいと言われているという話が出ました。
私は孫に「どこの高校でも行けるところでいいよ」と、言いました。
「でも大学は、行って欲しい」と言いました。
私は大学1年で中退しましたが、高度成長期だったのでこんな中途半端な学歴でも正社員になれました。
今は大学ぐらい出ていないと、なかなか正社員にはなれないように思います。
そういう訳で、大学には行って欲しいと言いました。
考えてみれば、これも一種のプレッシャーですよね。
親でもないのに、おじいちゃんが言うべき言葉でなかったように思います。
松山千春 旅立ち 「 LIVE映像 」