中日新聞の「くらしの作文」に「おいてきぼり」というタイトルで、79歳の女性が投稿されていました。
今年二月十七日、突然主人が逝ってしまった。
いつも通りの朝を迎え、仕事に出かける主人に手を振り「いってらっしゃい」と車が見えなくなるまで見送り、私は自分の仕事をしていた。
僅か四時間後に、急性心筋梗塞で主人は帰らぬ人となってしまった。
昨年暮れに満八十歳の誕生日を迎え、現役でクリーニング店を営み、二百匹程度飼育していた金魚の世話をしていた。
七十七歳までは二人で絵画教室に通い、年一度の展覧会を励みに楽しんでいた。
持病はあったが、元気いっぱい、冗談を言い、周りの人たちを楽しくさせる人だった。
二人っきりの生活でも退屈することなくいつも大声で笑い、息子夫婦や孫たちとの食事を何よりも楽しみにしていた主人はもういない。
亡くなってからまだ三カ月、それでも私は生かされている。
どこへも一緒に連れてってくれたのに、一人おいてきぼりにされた。
私はこの世に繋がれたいろんなしがらみの鎖を一つ、また一つと外しながら身軽になって、さよならする日まで、泰然自若と過ごせれたらいいなと思っている。
息子夫婦や孫たちの世話になり、感謝して笑って主人の迎えがくる日を待とう。
私は方向オンチだから、一人じゃ行けない。
きっと迎えに来てね。!
以上です。
>いつも通りの朝を迎え、仕事に出かける主人に手を振り「いってらっしゃい」と車が見えなくなるまで見送り
この投稿者さんは、ほんとうにご主人の事が大好きだったんですね。
>息子夫婦や孫たちの世話になり、感謝して笑って主人の迎えがくる日を待とう。
私は以前老人ホームで宿直のバイトをしていました。
90歳のご婦人が「ちっとも主人が迎えに来ない!」と嘆いていらしたのを思い出しました。
なんでもご主人は60代で亡くなったそうです。
それから随分経っています。
私はどのようにこのご婦人を慰めたのか忘れましたが、長生きもうれしい事ばかりではないですね。😅
ジリオラ・チンクェッティ 愛は限りなく (日本語)1966 / Dio come ti amo