中日新聞の日曜版「おじさん図鑑」に「憲法と結婚」というタイトルで、飛島圭介さんがエッセイを書かれていました。
もうはるか昔のことになったが、おじさんの娘が結婚する際、披露宴のあいさつのことで、おじさんが我意を通したことがあった。
普通は、両家を代表して、新郎側の父親が謝意を述べるのだそうだ。
「そんなのおかしい。今は”嫁入り”するわけではない。男女平等の”結婚”をするんだ。新婦側の親だって挨拶するのは当たり前のことだろうが」
結局、双方の父親と結婚する二人、つまり四人がそれぞれあいさつすることになった。
くしくもその日は「憲法記念日」だった。
司会者の紹介で娘と壇上に立ったおじさんはキッパリとこう言った。
「ご存じの通り、憲法の第二十四条に「結婚は、両生の合意のみに基づいて成立し・・・」とあります。
二人が結婚するというのであれば、誰も反対することはできません。
私はこの戦後の新憲法を人類の宝と信奉しております。
ですから、妻も私も心から二人を祝福したいと思っています」
事後、親類中から「あれでは反対していると同じだろう。娘が気の毒だ」と嵐のような抗議を受けた。
「ワシは憲法を大切に思っているだけなんだ」。
古今東西、花嫁の父は孤立無援だ。
以上です。
新聞記者の父親は、口うるさいですね。😁
私の息子の結婚式は私だけが謝意を述べて、新婦側のご両親は一緒に並んで私の謝意を聞かれていただけでした。
最近の結婚式では知りませんが、当時はこれが一般的でした。
>そんなのおかしい。今は”嫁入り”するわけではない。男女平等の”結婚”をするんだ。新婦側の親だって挨拶するのは当たり前のことだろうが」
このように言われるなら、ご主人ばかりでなく、奥様たちも謝意を述べられるのが男女平等だと思うのですが。
恋 松山千春 1979