中日新聞の日曜版「おじさん図鑑」に「◯活」というタイトルで、飛島圭介さんがエッセーを書かれていました。
たぶん「部活(クラブ活動)」から来ているのだろうが、「◯活」というのが大はやりだ。
就活、婚活ときて、おしまいは終活だという(朝活というのも最近あるそうだ。おちおち寝てもいられない)。
ある日、行き合ったおじさんの知人が得意げに鼻をうごめかして言った。
「いやあ、私、最近は終活に忙しくてね。すっかりご無沙汰しちゃって。申し訳ない」
もういい年だから、いつ死んでもよいように準備怠りなくしている、というのだ。
「子どもらに迷惑がかからないよう、死後の段取り、お墓、遺言、保険のあれこれの書類整理、家の中の不用品や衣類の片付けなど、たくさんあって大変なんだよ、これが」と、なぜか終活を自慢し胸を張るのだ。
おじさんは遠慮なく冷水を浴びせた。
「大変ならやめたら?」
何も急ぐことはなかろう。
迷惑がかかろうがかかるまいが、死ぬときは死ぬ。
死ぬのに準備など無用だ。
黙っていても人は死ぬのだ。
「終活」でもうけをたくらむ商業主義に取り込まれてなるものか。
終活などに悩まず、「生活」にこそ日々の楽しみと精力を費やすべきではないか。
以上です。
>死ぬのに準備など無用だ。
私のように後期高齢者になると、そうも言っておられません。
いくら準備しても、最終的には子どもたちに迷惑をかけると思いますが、少しは準備していた方が子どもたちの負担が減るのではないかと思っています。
私が死んだら契約しててお金が発生するものは、ノートに書いておこうと考えています。
かみさんが「あなたの字が読めない」と言いますが、書いておけば少しは役立つでしょう。😅
私の一番問題なのは、ネット関連で有料なものに入っています。
これは書いておかなければ、いつまでもお金が取られてしまいます。
その辺りを忘れずに書き留めておこうと思っています。
私の分は分かりますが、かみさんのものはさっぱり分かりません。
先日かみさんが「私が死んだら、何がどうなっているのか分からないでしょう」と言ってました。
その辺りを書き留めてくれるなり、教えてくれるなりしておいて欲しいです。
「夢見る想い、Non Ho L'eta'」ジリオラ・チンクエッティGigliola Cinquetti