団塊世代おじさんの日常生活

夏 日本で二番目に気温が高く、陶器と虎渓山と修道院で知られる多治見市の出身です。

この出会いを宝物のように大切にされているようです。

2020-02-23 04:49:31 | 日記
 中日新聞の読者投稿欄に「年を重ねても友は宝物」というタイトルで、85歳の女性が投稿されていました。



 仕事を退職した20年ほど前からボランティア活動に関わるようになり、身の回りの環境は一変した。

 ボランティアを通してこの間に知り合った人は皆、
穏やかで柔らかな雰囲気の年配者が多かった気がする。

 そんな中で自分と気が合う人と出会えたときは心底幸せを感じられた。
出会いの不思議さやありがたさに思いをはせながらも、
この年になっても友という宝物を得られたことは実にうれしかった。

 知り合った友のすてきな人柄はどのようにしてつくられたのだろうか。
心の持ち方や努力の積み重ねがあってのことだろう。

 この先も私と長くお付き合いしていただけるよう、
誠意を持って接するようにし、私も存分に自身を向上させていかなければ!

 以上です。


投稿者さんは、年をとられてから気が合う友人を得られたようです。
この出会いを宝物のように大切にされているようです。

 友人に感化されて自分自身を向上されようとされています。
そんな友人と出会えて良かったですね。






太田裕美・君と歩いた青春
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私は心細くても、慣れている住居での一人暮らしを選択するでしょうね。

2020-02-22 03:53:07 | 日記
 中日新聞の「くらしの作文」に「転居」というタイトルで、80歳の女性が投稿されていました。



 転居先の鍵をもらったのは、昨年4月のことだった。
高齢の私は一人暮らしである。
夫が逝って8年、長男が「近くへ」と呼び寄せてくれたのだった。

 当時の寂しさは言葉に言い表すことができない。
思えば、実家での暮らしは60余年である。
思い出が走馬灯のように頭を巡る。

 3人の子を育てた。
無口な夫だったが、ここぞというときは、きちんと答えを出してくれた。

 長年飼っていた愛猫の柱の傷跡。
今の時期には、決まって咲くレンギョウの花がきれいだった。

 特に私は毎朝、家庭菜園を見るのが何よりも楽しい日課であった。
傷んだ葉を摘み取り、虫はいないかと時間をかけてよく観察していたものだった。

 それが転居して生活が一変した。
周りには親しい人は誰もいない。

 だが、一歩西へ出れば県道で、そのガードレールに沿ってサザンカがきれいに赤い花を咲かせ、
楽しませてくれる。

 住宅密集地であるが、どの家も樹木が生えていて、自然に恵まれた地域である。
スーパーも近い。
「住めば都」とはよくいったものだ。

 今は、実家とは違う環境を満喫しながら、ジョギングにも出かけている。
毎日、コースを変えながら。


 以上です。


 投稿者さんは、親孝行のご子息をお持ちですね。

>夫が逝って8年、長男が「近くへ」と呼び寄せてくれたのだった。

 ご子息は、お母様がとても寂しがっていらっしゃるのを見かねて近くに呼ばれたのかな。
お母様もやっと新しい環境に馴染まれたようですね。

 歳を取ってからの転居は、あまり良くないと言います。
ご子息のご家族と一緒の生活が良いのか、一人暮らしが良いのか悩みますね。
 投稿者さんはご子息のご家族と一緒の生活を選択されましたが、
私は心細くても、慣れている住居での一人暮らしを選択するでしょうね。




オリビアを聴きながら(ライブ音源)  尾崎亜美さん
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若い方が介護の道を進まれる。

2020-02-21 04:33:00 | 日記
 中日新聞の読者投稿欄に「経験積み介護福祉士に」というタイトルで、18歳の女子高校生が投稿されていました。


 私は高校を卒業したら就職して看護補助の仕事を始めます。

 そこで現場を知り、いろいろな経験を積んで、いつの日か介護福祉士になれたらいいなと考えています。

 働きながらも、自分の強い意志をもって介護福祉士の資格を取得できるように勉強をしていくことは大変なことだと思います。
それでも、私は夢を実現させたいのです。

 まずは看護補助の仕事を一人でもきちんとこなせるようになりたいです。
私の補助を受ける人からの信頼を勝ち得るぐらいの技量を身に付けたいと思っています。

 どんなにつらくても介護を受けた人の「ありがとう」という感謝の言葉が励みになるはずです。

 将来親が、体が不自由になったり寝たきりになったりすることもあるはずで、
私が手伝えたらどんなにいいでしょう。
そんなことも夢見ています。


 以上です。


 若い方が介護の道を進まれる。
将来お世話になるだろう私にとっては、とてもうれしい事です。

 でも私の孫が介護の道を進むと言ったら、反対と言うでしょうね。
3K職場ですので、賛成できません。

 主婦になって再度就職する職場としてなら賛成ですが。
再就職で40〜50代で介護福祉士になられている方も多いです。

 どうせ介護福祉士という国家資格を目指すなら、看護師の道へ進んでいただきたいです。
施設での待遇が違います。

 介護施設でアルバイトしていた時、夜間の看護師学校に通われている男子ワーカーさんをよく見かけました。
施設において、介護福祉士さんより看護師さんの方が待遇・扱いも上でした。

 投稿者さんはお若いですので、介護福祉士さんも良い目標ですが、さらに難関の
看護師さんの道を目指していただきたいと、老婆心ながら思うのですが。







ザ・ピーナッツ ふりむかないで
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かみさんが白内障手術をするとなったら、一月間不在の方がやりやすいと思います。

2020-02-20 04:17:26 | 日記
 中日新聞の読者投稿欄に「妻の不在中 自炊に奮闘」というタイトルで67歳の男性が投稿されていました。



 妻が一月に白内障の手術を無事終え、心底ホッとした。

 手術が決まった昨年十二月から妻は手術のことで頭がいっぱいだった。
一方の私は妻不在の1ヶ月ほど家事をしなければならず内心ドキドキだった。

 特に心配の種は料理だった。
二十代の頃は独身寮にいたが、食事はまかないさんが全てやってくれたので
自炊の経験がなかったからだ。

 まずは市販されている味付けのもとを有効活用することとした。
インターネットでレシピを検索しながら献立を考えていった。

 手始めとしてフライパン一つでできるチャーハンや、かに玉などに取り組んだ。
こうしていくつかの品を作っていくうちに料理が楽しくなってきた。

 味付けが自分好みにできることもうれしかった。

 「男子厨房に入るべからず」と思ってきたが、
いざ入ってみると発見の連続だった。

 もちろん妻のありがたさも思い知った。

 以上です。

>手術が決まった昨年十二月から妻は手術のことで頭がいっぱいだった。

 私も一昨年の三月、白内障の手術をしましたが、たしかに手術のことで頭がいっぱいでした。

 今の白内障の手術は日帰りが多いですが、投稿者さんの奥様は入院されて手術されたのかな?
それとも病院の近くの親戚?から通われたのかな?
奥様が一月も不在だと、やることが多くて大変ですね。

 投稿者さんは料理を心配されたようですが、自分が食べる料理でしたら、
失敗しても構わないので、私は一月ぐらいなんとかなると思っています。

 野菜などもすでに切ってある野菜がスーパーで売っているので、それを使えばいいですし。
目玉焼き、卵焼き、チャーハン、焼きそばぐらいは作れますし。
それに冷凍食品やレトルト食品もありますし。(笑)

 私はそれよりゴミの分別に自信がないです。

 かみさんが白内障手術をするとなったら、一月間不在の方がやりやすいと思います。
料理、洗濯など、あれこれ言われなくても済みますから。






園 まり 逢いたくて逢いたくて 編集=動画x3 静止画x24
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来年の節分も、年の数の豆を食べ切っていただきたいです。(笑)

2020-02-19 05:09:45 | 日記
 中日新聞の「くらしの作文」に「96粒の豆」というタイトルで94歳の女性が投稿されていました。



 節分の朝、ディサービスの車を待つ間に、孫が聞いてきました。
「おばあさん、今年は年の数の豆、大丈夫かなあ」。

 私は「多分大丈夫だと思うから、いつものように用意しといてね」。

 私は大正生まれ、数え年の96歳。
年の豆は96粒。
本当にこれだけの豆を食べ切ることができるのか、孫が案じるのも当然でしょう。

 でも私には、自分の歯が27本あるのです。
治療した歯も何本かあるけど、入れ歯や差し歯は1本もありません。
全部自分の歯です。

 夕げの膳には、小升に入った96粒の豆がありました。
口に入れてゆっくりかみしめます。

 子どもの時、母がほうろくでいってくれた大豆は、ずいぶん固かったと記憶していますが、
現代のいり豆は軽く噛むだけでほろりと崩れ、香ばしい味が口いっぱい広がります。

 小豆の甘納豆や落花生も交ぜてあり、味の変化も楽しみつつ今年も完食しました。

 振り返ってみれば、同級生も趣味の友も逝ってしまい、
周囲は寂しくなってしまいました。

 残り少ない人生の終着駅まで持って行けそうな丈夫な歯を授けてくれた両親には、
ただただ感謝です。

 来年もまた、無事に年の数の豆がいただけるのを願っています。


 以上です。

 永久歯は親知らず(第3大臼歯)の4本を除くと上下で28本ありますが、
投稿者さんは、94歳で27本もご自分の歯があるとのこと。
考えられません、丈夫な歯の持ち主ですね。

 これでしたら、節分の豆を96粒も食べられるのが理解できます。
来年の節分も、年の数の豆を食べ切っていただきたいです。(笑)






このレコード持っていました。 何も云わないで 園まり 1964
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