団塊世代おじさんの日常生活

夏 日本で二番目に気温が高く、陶器と虎渓山と修道院で知られる多治見市の出身です。

その翌日から、しいちゃんは学校に来なくなった。

2020-12-15 03:26:33 | 日記
 中日新聞の読者センターだよりに「悲しい遠足 涙と怒り」というタイトルで記事が載っていました。

 発言欄で今年最も反響が大きかった投稿は70代女性がつづった7月18日付「遠足の日 悲しい思い出」です。

 小学校5年生の遠足の日、お父さんはおらず戦争で家を失った貧しさからおやつとしてサツマイモを持って来た「しいちゃん」が先生の一言でさらし者のようにされたことを思い返す内容でした。

 60年以上も前の話ですが、その様子を克明に再現」できるぐらい、投稿者の脳裏に焼きついて離れなかったのでしょう。

 掲載後「涙が出た」「教師が許せない」との声が相次ぎ、「道徳の教科書に載せて」との意見もありました。(加藤裕子)


 この読者投稿文は、私も強く印象に残っています。
下記のように7月19日に、その先生に怒っていました。


先生としてあるまじき事をしたんですね。(怒)
2020-07-19 03:53:10 | 日記

 中日新聞の読者投稿欄に「遠足の日 悲しい思い出」というタイトルで77歳の女性が投稿されていました。



 遠い昔、小学校五年生の遠足の日のことだ。
おやつは三十円までと決められていて先生の検査を校庭で待っていた。

 私の横にいたのは隣のクラスの「しいちゃん」。
お父さんはおらず、戦争で家を失い、親戚宅の納屋に住んでいた。

 先生がしいちゃんの前に立ち、おやつを見せるように言った。
しいちゃんが拒んだため、先生は無理やり風呂敷包みを取り上げ、
中の物を高々と上げながら別の先生に向かって
「サツマイモ一個いくらにしましょうか」と叫んだ。

 その場にいた皆がしいちゃんを見た。
小さな体をさらに小さく丸めて下を向き、目から涙が落ちていた。

 その翌日から、しいちゃんは学校に来なくなった。
卒業する前に逝ってしまったと聞いた。


 以上です。


 昔はデリカシーに欠ける先生がいたんですね。

>しいちゃんが拒んだため、先生は無理やり風呂敷包みを取り上げ、
中の物を高々と上げながら別の先生に向かって
「サツマイモ一個いくらにしましょうか」と叫んだ。

 この投稿者の生徒さんでさえ、しいちゃんの家庭の事情を知っていたのに、
このような事をするなんて。
先生としてあるまじき事をしたんですね。(怒)
許せないです。

 私が中学校の時、授業を受けていると、私の同級生に向かって「おまえの姉ちゃん、良く勉強出来た」と言った先生がいました。
これって、どのような意味?
言われた本人は、面白くない顔をしていました。

 おまえのお姉さんは勉強が良く出来たのに、それに比べておまえはあまり勉強ができないと言いたいんでしょうか?
先生が兄弟の比較をしてはいけないと思います。それも当人の前で。
これは今でも先生方、言っているのでは?(苦笑)






小雨降る径 金子由香利 UPC‐0251
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今のように携帯電話があれば、行き違いはなかったのに。

2020-12-14 03:01:43 | 日記
 中日新聞の読者投稿欄に「昭和の人情味 再発見を」というタイトルで45歳の女性が投稿されていました。

 テレビの情報番組を見て現代の若者が「昭和」に関心を持っていることを知った。
レコードジャケットやメロンクリームソーダ、飲食店の壁に張ってある古びたお品書きを、いずれも「エモい」という若者言葉で表現して興じていた。
感情が動かされるという意味らしい。

 思えば私が生まれ育った昭和は友達と待ち合わせするとき、何かトラブルがあってその場所に行けなくなっても、今のようなスマートフォンはなく相手と連絡が取れずに大変な目に遭うことがしばしばだった。

 それに比べて昨今は便利な時代になった分、人同士のつながりが希薄になってきた。

 今回の昭和ブームで人間の持つ温かさや優しさ、強いつながりを見つけ直すきっかけになればいい。


 以上です。


 昭和といっても、昭和は長いです。
昭和の戦前と戦後では様相がまるで違っていたように思います。


 私は戦後生まれの団塊世代です。
振り返ってみると、活気がある時代だったように思います。😀


>思えば私が生まれ育った昭和は友達と待ち合わせするとき、何かトラブルがあってその場所に行けなくなっても、今のようなスマートフォンはなく相手と連絡が取れずに大変な目に遭うことがしばしばだった。


 私も↑の件では苦い思い出があります。
学生時代の友人が英会話学校で知り合った女性を紹介するから大阪の梅田駅で待ち合わせしようと電話がかかってきました。
当時付き合っている女性もいなかったので、喜んで承諾しました。


 私は梅田駅へ行ったことがありませんでした。
大阪へ行ったことさえありませんでした。


 当日の朝 近鉄で梅田駅に行きまして改札口で友人を待っていましたが、約束の時間より一時間ぐらい待っていても来ませんので会うのを諦めました。
梅田周辺のデパートに入って、少し時間を潰し、名古屋へ帰りました。


 後で友人から電話が掛かって来て、どうも待ち合わせの改札口が違っていたようです。😅
今のように携帯電話があれば、行き違いはなかったのに。


 彼は女性二人と何処かへ遊びに行ったようです。
私に紹介するつもりの女性と付き合うようになったと後日彼から聞きました。


 以前ブログに書いたことがありますが、学生時代バイト先で知り合った女性と午後の一時に新宿西口で待ち合わせました。
この時も一時間ぐらい待ちましたが、彼女はやって来ませんでした。


 後で聞きますと、彼女は新宿南口で待っていたとのことでした。
たまにバイトで帰る時間が一緒になると、新宿西口の改札口を利用して一緒に帰ったのに・・・・。


 またいつかデイトをする約束していたのに、彼女はバイト先をやめてしまいました。
その後 彼女がバイト先へ私を尋ねて来てくれたり、電話も一度くれたことがありましたが、彼女をデイトに誘う情熱は消えていました。

 これも今のように携帯電話があればなぁと思ったりします。
まぁ、仕方ないことです。😅


 若かりし頃の良き思い出です。





アンド・アイ・ラヴ・ユー・ソー / ペリー・コモ
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一を聞いて一さえ分からない私がいます。

2020-12-13 02:06:50 | 日記
 中日新聞の読者投稿欄に「頭の良さは努力の成果」というタイトルで、14歳の女子中学生さんが投稿されていました。


 私が論語の中で共感した言葉は「生来、人間の能力に大差はない。その後の精進によって、大きな違いが生まれる」だ。
以前私の友達が口にしていたことが脳裏をよぎった。

 その友達は私なんか足元にも及ばないぐらい頭がよかった。
憧れもあって友達をよく「いいよね、頭良くて」と褒めたが、友達はこう言ったのだ。
「人間の脳ってね、皆ほとんど変わらないらしいよ」と。
そこで私はハッとした。

 友達は努力したからこそ勉強の成績がいいのであって、そんな努力も知らず勝手なことを言っていた自分が恥ずかしくなった。
大いに後悔した。

 この体験から私は努力次第で結果が変わること、軽々しく発言してはいけないことが身を持って分かり、肝に銘じた。

 それから友達の言葉をかみしめつつ私は勉強に励んでいる。

  以上です。

 私は学生時代成績が悪いと、努力が足りないんだと思っていました。
今はそうだとは思っていません。

一を聞いて一さえ分からない私がいます。
一を聞いて十を知る者もいます。(論語)

 その差は努力で埋まらないと思います。

 努力不足というのは、「天才とは、1%のひらめきと99%の努力である」というエジソンの名言に騙されているように思います。
中学生の頃、先生にこの名言を教えられ、努力すれば何事も出来るという錯覚を持ってしまいました。

 高校の3年生の時、数三を選択しましたがさっぱり分かりませんでした。
数学の得意な友達に何度訊いてもダメで、何度本を読み直しても問題が解けなかったです。
努力すれば何とかなるなんて、私はその考えに否定的です。

 世の中には努力しなくても、勉強が出来る生徒がいるんです。😅






うれしくてさみしい日|竹内まりや
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私は実力のある選手は、全盛期にメジャーという世界一の舞台で活躍してほしいです。

2020-12-12 02:14:34 | 日記
 中日新聞の読者投稿欄に「日本球界で名プレーを」というタイトルで56歳の男性が投稿されていました。


 思えば私が子どもの頃、日本のプロ野球選手が野球の本場米大リーグで活躍するなんて夢物語でした。

 それが海を渡った日本人メジャーリーガーが珍しくなくなった昨今、むしろ日本で名プレーを見せてほしいと願うのは身勝手でしょうか。

 中日ドラゴンズのエース大野雄大投手が来季も中日に残留するニュースに触れ、ドラファンの私は喜びましたが、この先ドラゴンズがリーグ優勝できたらメジャーに挑戦したい意向とのこと。

 これではファンとしては優勝してほしいものの、大野投手にはずっとドラゴンズにいてもらいたく、葛藤にさいなまれます。

 日本人が今以上にプロ野球に注目したのは真剣勝負に胸が躍ったからだと思います。

 ドラゴンズのエース星野仙一投手の巨人の王貞治、長嶋茂雄両選手への真っ向勝負、巨人のエース江川卓投手とミスタータイガース掛布雅之選手との勝負にワクワクしました。

 私の考えは古いのかもしれませんが、スター選手は「ミスター〇〇」とチーム名で呼ばれるようになるまで日本の球界で懸命に白球を追い掛けてほしいです。


 以上です。


 私は実力のある選手は、全盛期にメジャーという世界一の舞台で活躍してほしいです。
例えばソフトバンクの千賀投手は、今すぐにでもメジャーに行って活躍してほしいです。

 海外FA権を取得するのに高卒で9年もかかってしまいます。
下手したら、千賀投手の全盛期の実力が出せないかも知れません。

 ポスティングシステムという海外移籍の方法もありますが、球団の承認が要りますし、メジャーの球団のどこでも良いのではなく、1球団だけしか選べないシステムのようです。

 プロ野球ってサッカーと違って海外移籍が難しいように思います。
閉鎖的な考えなんでしょうね。
選手の実力をさらに伸ばすために最高の場所で頑張ってほしいと思うプロ野球の経営者が増えるといいですが。

 何か芸能事務所と同じで、選手をいつまでも縛り付けたいように思えて仕方ないです。

 メジャーの選手になるのは大変です。
世界中の優秀な選手との競争に勝たなければいけないですから。

 でもメジャー選手になれば、日本では考えられないような年棒を手に出来るし、もし10年メジャーにいることが出来たら、60歳から最高で年間21万ドル(約2300万円)の年金を死ぬまでもらえるようです。
日本の会社員のように自分の積立金なんて無くて。

もちろん10年でなくとも、6年だと満額の6割をもらえるようです。
でも5年以下だと年金はもらえないようです。

 副業なんて考えずに野球に没頭できますね。😀

<参考>
1 イチロー  19年  2 野茂英雄  12年  3 大家友和  10年  3 松井秀喜  10年 この四人だけがメジャーに10年以上在籍しました。




終楽章 ー 竹内まりや ー
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ニワトリ自由なし「ケージ飼い」海外が批判

2020-12-11 02:13:00 | 日記
 中日新聞に「ニワトリ自由なし『ケージ飼い』海外が批判」という記事が載っていました。
 ネットで「ケージ飼い」されているニワトリの気持ちということで検索しましたら、下記の記事が見つかりました。


鶏の幸せとは?
安心して卵を産める
 
動物行動学者コンラート・ローレンツ氏は次のように言っています。
 
 動物のことを何がしか知っている人間にとって、鶏が無駄に覆いを得ようとして(隠れようとして)、何度も何度もケージ仲間の鶏の下にもぐりこもうとしているのを見ているのは、実に悲痛なものである。

 こうした状況のもとで、雌鶏は間違いなくできるだけ長く卵を持っておこうとするだろう。
ケージ仲間の混雑の中では卵を産みたくないという本能は、同じような状況で人ごみの中で排便したくないと思う文明人の気持ちと同じくらい強いはずだ。
 
 鶏には巣の中で卵を産みたいという強い欲求があります。 捕食者が産んだ卵を狙うからです。 また排卵時には総排出腔が赤くなり目立ちます。そこをほかの鶏がつつくことを避けるためにも安心して産卵できる巣が必要です。しかしケージの中には巣どころかワラ一本も用意されていません。
 
 巣は鶏にとってとても重要なものです。
放牧飼育で巣を与えられている鶏にはそれぞれ、お気に入りの巣があります。自分のお気に入りの巣に、ほかの鶏が入って卵を産んでいるときは、その巣の前で順番を待つそうです。
 
 金網以外に何もないバタリーケージで育てられた鶏と、敷きワラの上で育てられた鶏に巣箱を与えると、敷きワラの上で育てられた鶏は、じきに巣箱から離れたが、ケージで育てられた鶏は、巣箱に夢中になって、そこからなかなか離れなかった。(科学情報誌new scientistより引用)
 
 
<安全な場所がある>
 
 被食種である鶏は、自分自身を捕食者から守るために安心できる止まり木が必要です。
ケージの中に止まり木はありません。
「実際にはケージの中にいて、捕食者はいない」ということは問題になりません。
逃げ場が欲しいというのは鶏の本能です。捕食者の手が届かず、なおかつ様子をうかがうことが出来る止まり木を、鶏は必要としています。
高いところに上り、足で足場をしっかりつかんで止まる、という行為は鶏の体を丈夫に保つためにも必要です。
 
 
 <ツツクという行為ができる>
 
 鶏は一日に15000回地面をつついて過ごす生き物です。
ほかのほとんどの動物と同様、鶏も一日の多くの時間を採餌行動に費やします。
自然環境では雌鶏は1日の50%をクチバシで嘴で地面をつついたり、肢で地面をひっかきながら餌を探して過ごします。
餌を探す必要のないだけの餌を与えたとしても、鶏の採餌行動は収まらないでしょう。
採餌行動の動機は明らかになっていませんが、鶏の本能に紐づけられた強い欲求だと考えられます。しかしケージの床は金網で、採餌行動を満たすことのできる地面はありません。
 
 空調が利いた室内で、餌や水が目の前にあり、糞をしたら金網の下に落ちる、という衛生的な飼い方と、日陰と日向が混在し、暑さ寒さを自分でしのがねばならず、わらの上からくちばしでつついて餌を探さねばならない屋外飼育を、鶏に選択させたところ、鶏は後者を選択した。(「動物たちの幸せとは何か」 佐藤衆介氏著)
 
 <体を清潔に保てる>
 
人間と同じで、鶏も体をきれいに保ちたいという気持ちがあります。特に鳥類は羽が汚れることをとても嫌います。
 そのために必要なのは日光浴、砂浴び、羽繕いなどのグルーミングです。
しかしウインドウレス鶏舎の中では鶏たちは一生太陽の光を浴びることはできません。
開放鶏舎(窓があり、夏季はカーテンを開け冬季は閉じることで、空調管理する鶏舎)で夏季に太陽を見ることができたとしても、狭いケージの中では羽を広げて虫干しできるスペースはありません。

 砂浴びも鶏にとって必要なものです。自然な環境で飼育されている鶏は、羽やクチバシ、足など全身をつかって土や砂を体にふりかけ砂浴びをします。
羽や皮膚についた寄生虫や汚れを落とすこの行為をしているとき、鶏達はとてもうっとりした表情をし、目を細めます。
ぐるぐると気持ちのよさそうな声を出します。しかしケージの中に砂浴び場は用意されていません。砂浴び場がなくても鶏は羽をばたつかせ砂浴びの真似事をします。が体はきれいになりません。

 鳥類には尾腺(びせん)があり、そこから分泌される油をクチバシで器用にすくいとり、羽根にまんべんなく伸ばし、鶏は羽繕いをします。
しかし他の鶏と折り重なるように詰め込まれている狭いケージのなかでは、十分な羽繕いはできず、時に上から落ちてくる糞や同じケージに入れられている他の鶏の糞が体に付着し、体が汚れていきます。


 <ケージから解放された鶏>

 ケージの中では生涯、生きる喜びを味わうことができません。 
彼の心は変わった。
彼はもう、鶏たちをと殺場へ送りたくなかった。
彼はもう二度と、ケージに鶏を閉じ込めないと誓った。
  
 彼女は、やさしくそっとケージから連れ出された。 
彼女は普通のことができるようになった
羽を広げることができ
肢の爪で地面をひっかくことができて
こころゆくまで砂浴びをする
巣をつくり、プライベートな場所で卵を産むことができる
足の裏に土の感触があり、羽は太陽の光を感じる
 
 あなたが卵を産んでも産まなくても関係ない。
あなた自身が、かけがえのない鶏だから。
 
 
― Edgar’s Mission 
http://www.edgarsmission.org.au/
残酷さより、思いやりを選ぼう。
 
 多くの研究が鶏には巣、止まり木、つつけるもの、砂場が必要だと示しています


 以上です。

 世界的にケージ飼いの使用は、禁止の方向にあるようです。

 「ニワトリの犠牲の上に、安価な卵が成り立ってきた。
世界の常識を共有するために、日本の養鶏業者は変わるべきだし、政府もその費用を負担するべきだ。
劣悪な環境で飼育されたニワトリの卵は買わないなど消費者の意識も変わるチャンスだろう」と中日新聞の記事で大学院大学至善館の枝広淳子教授(環境経営)は、語っていらっしゃいます。

 うちも昔 ニワトリを飼っていました。
広々とした網の中で飼っていて、昼間は放し飼いでした。

 久しぶりに家へ帰ったらニワトリがいません。
4〜5羽いたと思いますが。

 父親に訊いたら、猫に食べられてしまったと言っていました。😅
放し飼いはいいですが、犬でも飼ってニワトリを守ってやらねばねぇ〜。
ニワトリは家畜なんですから。






ずっと一緒さ  山下達郎
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