風そよぐ部屋

ウォーキングと映画の無味感想ノート

映画/夜明けの祈り

2018年01月14日 | 映画




難しいテーマを取り上げたことは評価しますが、映画としては成功とは言えません。
描きたい、訴えたいことが多過ぎ、テーマを絞りきれなかったのだと思います。
ポーランドに侵入したソビエト兵は、修道女をレイプします。
彼女たちの多くは妊娠、修道女の一人が近くで活動してしていたフランス赤十字に助けを求めます。
若き女医・マチルダは危険を顧みず、その求めに応じます。
神に生涯を捧げた修道女は、出産するべきか、生まれた子どもをどうするのか、またこの事実を公表すると
修道院は閉鎖されるかもしれない、また修道女は行き場すらも困る等々の宗教的問いにどのように
向き合うのか、と言う深刻な問題に解答を見いだすのは至難です。
かなり倫理観があったと言われる中国紅軍もこの種の犯罪を犯したそうですし、労働者の解放を担った
ソビエト赤軍や中国紅軍がどうしてこのような犯罪を犯すのか…、への解答も簡単ではありません。
自身もレイプを受け、梅毒に感染させられた院長は、事実を隠し、生まれた子を殺す選択をします。
それは、彼女の保身なのか、皆を助けたいとの願いなのか、それとも彼女が梅毒に感染させられたことから来る
悲しみからなのか…。
修道女の個々人の内面に立ち入ってその苦悩を描くことは簡単では無いことは十分承知しますが、
出産した修道女が簡単に「母性」を取り戻してしまうことの評価も分かれる所です。
マチルダが町に帰る時、彼女もソビエト兵に襲われる危機を上官の制止で救われます。
このシーンは必要か不要かの判断も難しいです。この体験が彼女を修道女達の境遇への共感を深めたと
言えるかもしれませんし、その恐怖を乗り越えてなお修道女に支援したのは、彼女の強さ信念と言うより、
「神の思し召し」と言うことを言いたいのかもしれません。
この映画のもう一人の主人公は、シスター・マリアという修道女です。
彼女にはかつて恋人がいたそうですが、マチルダに「信仰は24時間の苦痛と1分の希望」と語ります。
この意味は、私には良く理解できませんでした。
修道院内に孤児院を作ることで映画は終わります。映画として、何らかの解答を出さざるを得ないのでしょうが、
いかにも安易な気もします。これがマリアが言った「一分の希望」なのでしょうか?
修道女が皆美人過ぎたのも不満です。
原題のLes inonocentes は、無罪、純粋などの意味があるようです。
今年初めての映画は、宗教にかかわる重い映画でした。         【1月8日鑑賞】


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