先の記事で、長年に亘り木製バットの製造を手掛け、バット職人として文化勲章まで受けた方の「引退式」について触れた。
イチローや松井秀喜、落合博満をはじめとした数々の大打者たちのバットを手掛け、センチはおろかミリ単位、いやそれ以下の世界での微調整やバットの違いについて表現してきたところである。
「弘法筆を選ばず」ということわざがある。「プロ」の世界、どんな環境においても結果を出すことが求められるわけだが、ただ本当のプロなら「筆」に対するこだわりは素人が考える以上のものがあるだろう。ほんの数ミリ、あるいはミクロンの単位かもしれないが、触っただけでもその違いがわかるとか、同じようにスイングしても当たりが微妙に違うとか。弘法大師になろうと思えば「筆」にはこだわりを持って選ばなければならないというのが、このことわざの裏にある本当の意味だと思う。
・・・そんな中、このたび明らかになった「今季のNPBの統一球は、規格を超えた飛ぶボールである」ということ。別に飛ぶボールがいけないというのではなく、なぜ昨年あれだけ問題となったことが、何ら解決できていないこととして再び広がったのかということである。
統一球は、奇しくも先のバット職人と同じく、某M社の製造によるものである。何を思ってこういうものを製造したのか。これではバット職人のこれまでの功績ですら否定されるのではないかと思うのである。昨年と今年でボールの出来が異なるというのもわけがわからないし、周りを取り巻く環境で変わったことと言えばせいぜい消費税が上がったくらいである。増税の影響で材料をケチったのか?そうではあるまい。まさかバット職人が引退を決意したのも、M社で何かあったからか?とも勘ぐってしまうのである。
・・・今季オリックスが調子いいのはこの「統一球」のお蔭だ・・・とだけは言われたくないな・・・・。