まつなる的雑文~光輝く明日に向かえ

まつなる兄さんのよしなしごと、旅歩き、野球、寺社巡りを書きます。頼りなく豊かなこの国に、何を賭け、何を夢見よう?

関西私鉄「サイコロしりとりの旅」2014春・1-3

2014年04月16日 | 鉄道企画もの

神戸電鉄の木津駅に降り立つ。比較的新しい感じの橋上駅舎(もっとも駅員はいないが)である。

Dscn6252 Dscn6245 駅からは歩道橋が伸びており、「神戸テクノ・ロジスティックパーク(神戸複合産業団地)」というのが広がっている。物流倉庫や工場があり、神戸西インターも載っている。こういうところへの通勤の便も考慮しての駅であり、歩道橋だろう。利用客の減少に悩む神鉄粟生線にあって、この木津だけはわずかではあるが客数を伸ばしているという。

それはいいのだが、初めて降り立つ駅の時に携帯からチェックしているウィキペディアによれば、この駅から徒歩10分のところに「木津の磨崖仏」というのがあるという。一つの駅で一つのポイントということになると、ロジスティックパークよりはポイントが高そうである。ただ、その場所がはっきりしない。ロジスティックパークは台地の上に広がっているし、高速道路も横たわっているが向こうには行けなさそうだし。

しばらくぐるぐる回るうち、駅の反対側へ続く階段があったのに気づく。そこから線路際に歩くと、それらしく風情のところに。果たしてそこに磨崖仏はあった。

Dscn6247 そこには5メートルほどの高さの岩盤があり、上の方に仏像が刻まれた後を認める。阿弥陀如来を中心に、左右に地蔵が3体ずつということである。朝に宇治の平等院で大きな阿弥陀如来像を見たが、所変わってこういう岩盤に彫られているというのも、奥が深いものである。

Dscn6249 この辺りの道は平家の時代から街道として栄えたそうで、摂津と播磨の境界にあり、鵯越から兵庫に至る道だったそうである。一説では源義経が一ノ谷の戦いで鵯越からの奇襲を行った際もこの道を通ったとか。磨崖仏が彫られたのは室町中期のことで、街道を行き交う人たちの安全を上から見守っていたという。

旧国名の境界というのはところどころわかりにくいことがある。地方であれば現在の県境とほぼ一致しているのが多いが、特に近畿圏となると複雑だ。大阪府でも河内、和泉、摂津とある中でその境目ははっきりしていないし、兵庫県を絡めると播磨、丹波、但馬も絡む。この木津の辺りが摂津と播磨の境界というのも、ここに来て初めて知ったことである。

この磨崖仏を仰ぎながらの次のサイコロである。木津の「づ」または「つ」で出てくるのは・・・

1.津守(南海汐見橋線)・・・汐見橋線については、以前に途中下車しながら乗り歩いた。

2.鶴橋(近鉄大阪線)・・・おっほ、焼肉にホルモン焼きでしょう。

3.鶴原(南海本線)・・・また長い距離の移動となる。

4.塚口(阪急神戸線)・・・懐かしいスポット。

5.月見山(山陽電車)・・・阪神高速のトンネル、渋滞の名所というイメージ。

6、築山(近鉄大阪線)・・・何があるのだろうかよくわからない。

「つ」で始まる駅もそんなに多くないのだが、ここからなら第一希望は鶴橋。ならば時間は早いが鶴橋で切り上げて焼肉でもいただくか。あるいは久しぶりの塚口で、改めて駅前散策も悪くない。「2」か「4」を希望したが・・・・出たのは「5」。まあ、同じ神戸市内ということで、極端な遠距離移動もなく、まずまずかな。

Dscn6253 新開地行きの準急ではしばしウトウトとして、鵯越から神戸市内に入る。義経の進路も、現在の電車の進路も、ある意味地理的に合理的なコース取りということだろう。新開地からは「軍師官兵衛」の岡田准一のラッピングが施された車両に乗り換え、神戸西部の地下区間を走る。そこを抜けると月見山である。

駅に着く前のアナウンスで「月見山、須磨離宮公園前です」というのがあった。須磨浦公園とはまた違うところであるが、そういうアナウンスを聞いたからには、ここでのポイントは須磨離宮公園ということになる。私も訪れるのは初めてである。

Dscn6255 狭いエリアに商店や住宅が密集し、そのど真ん中をぶち抜いたような感じの線路にかかる踏切を渡る。これだけの駅なのに駅員の姿が見えないのは意外である。神鉄、山陽辺りに来ると駅員の姿を見ることが少なくなり、合理化のために厳しい運営を強いられているのかなと同情する。そんな中、離宮公園という由緒ありげな名前の公園を目指すことに・・・・。

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