
土佐神社の創建は雄略天皇の頃とされており、雄略天皇によってこの地に流された一言主神を祭神としている、日本書紀、風土記にもその名が登場する。また主要な社殿は長宗我部元親が造営したという。ここでも元親が出てくるのかというところだが、長宗我部氏のライバルだった本山氏が岡豊城を攻めた時の兵火で社殿が焼失したものを、四国平定を機に再建したものである。また江戸時代の土佐藩主山内氏も神社を手厚く保護したという。それが現在に続いている。
















前回のごめん・なはり線シリーズの時には、高知駅到着から帰りの高速バスまで時間がなかったので、駅の高架下で早い夕食としたのだが、今回は時間が結構ある。ということは・・・?