まつなる的雑文~光輝く明日に向かえ

まつなる兄さんのよしなしごと、旅歩き、野球、寺社巡りを書きます。頼りなく豊かなこの国に、何を賭け、何を夢見よう?

第9回四国八十八所めぐり~第34番「種間寺」

2017年05月12日 | 四国八十八ヶ所
5月5日、大型連休はまだ続くが、今回の四国行きは最終日である。この日一日を高知で過ごした後、前回も利用した高知駅22時30分発の夜行バスで大阪に戻る予定である。あくまで朝の時点ではそうだったのだが・・・。

次に目指す第34番の種間寺は、先の雪蹊寺からだと歩いて6キロあまり西のところにある。ただ、再び雪蹊寺まで行って歩くのではなく、直接種間寺を目指す。公共交通機関だと、とさでん交通バスの春野庁舎前から1キロほどのところにあると言う。バスは高知駅からだとJAはるの行きで45分ほどだが、休日は1日7本。そこで始発便の6時55分発に乗ることにする。その次だと2時間後である。

春野というとかつては西武ライオンズのキャンプ地として名前を耳にする。球場は、これから向かう春野庁舎からは離れているが、一度オリックス・バファローズのオープン戦で訪ねたことがある。確かその日は南米のチリかどこかで大きな地震があり、津波の注意報が高知にも発令され、帰りのクルマも海岸に近づかないよう呼びかけがあったと思う。東日本大震災よりも以前のことで、津波というものへの意識も低かったように思う。

さて高知駅前のバス停から乗ったのは私一人。先客もなく走っていく。はりまや橋から2日前に観戦した高知球場の近くを通り、郊外に出る。鷲尾山のトンネルを抜けると旧春野町である。現在は高知市に合併している。南ヶ丘という新しい感じの住宅街をぐるり一周するが、この辺りの家ともなると、駐車場が2台は当たり前、3台分という家もある。これも地方郊外の姿である。こうしてバスは通っているが、普段は果たしてどのくらいの利用があるのだろうか。

バスは春野の昔からの集落や田園地帯を抜けて、春野庁舎前に到着した。目の前にあるのは旧建物で、庁舎そのものはすぐ上に移転している。ともかくここで笈摺を羽織り、金剛杖をカバーから出して巡拝モードに切り替える。この日目指すのはこれからの種間寺と、次の35番の清滝寺である。その次の36番の青龍寺となると、行くかどうしようか迷っている。離れているが37番の岩本寺との組み合わせにしようとも思う。清滝寺まで行った後に高知市街に戻り、今回訪れていないスポットにも行きたいという思いもある。

春野庁舎に隣接する公園の一角に銅像がある。野中兼山。江戸時代初期の儒学者であり、土佐藩の家老でもあった。春野の出身というわけではなく、町を流れる仁淀川の水運事業や土木事業に力を尽くしたことの顕彰である。題字は、当時の高知県知事・橋本大二郎氏によるものである。

そのまま直進し、庭に何やら動物の像が並ぶ家の角を曲がると種間寺は近い。田園地帯の中にある落ち着いた感じの札所である。朝8時、そこそこの数の白衣、笈摺姿を見かける。

種間寺は弘法大師の開創とされている。本尊の薬師如来はもともと百済の仏師が航海安全を願って本尾山に祀ったのが起こりである。それを弘法大師がお堂を建てて薬師如来を移し、唐から持ち帰った五穀の種をまいたのが、種間寺の名前になったそうだ。そういうのは五穀豊穣とか安産祈願につながるのかな。境内には木製の立派な「さわり大黒」というのもある。

続いて大師堂にもお参りして、境内を改めて見渡す。檀信徒の方が奉納した弘法大師像があるかと思うと、「達観を 地でゆく種間寺 ご住職」と書かれた句碑がある。その主はあの徳光和夫さん。BSの番組で四国八十八所を回った時のもので、放送当時は見ていないので知らないが、この寺の住職によほど感銘した(泣いた?)出来事があったのだろうし、種間寺も徳光さんの思いに応えたのだろう。こういうことは納経所で朱印をいただく時に訊けばよいのだが、順番待ちもあるし、なかなかそうした声がかけづらい。

種間寺を終えて次は35番の清滝寺に向かう。仁淀川を越えた土佐市にある札所だが、先ほどバスを降りた春野庁舎前に戻っても行くことはできない。バスで行くならはりまや橋まで戻り、高岡行き、宇佐行きといった便を捕まえなければならないが、それも現実的ではない。・・・となると、10キロの道のりとなるが、歩いていくことに。寺を出るのが8時半として、まあ11時には着くだろうからこれで午前中が終了ということで・・・。
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