まつなる的雑文~光輝く明日に向かえ

まつなる兄さんのよしなしごと、旅歩き、野球、寺社巡りを書きます。頼りなく豊かなこの国に、何を賭け、何を夢見よう?

第9番「興福寺南円堂」~西国三十三所めぐり2巡目・14(期間限定の仏像展)

2017年05月02日 | 西国三十三所
連休合間の5月1日。この日はメーデーということで会社休日の扱いである。ということで先週の新西国の記事などを書いていたが、やはりこの1日を何かで使いたいところである。

・・・ということで、急に思い立って昼前から出かけることにする。行き先は、日常の通勤で近鉄の阿部野橋駅に掲げられたこのポスターのスポット。「わたしは、奈良派。」ということで・・・。

・・・といいつつも、奈良で降り立ったのはJRの奈良駅。近鉄のキャンペーンに合わせていないような気がするが、結局は天王寺からJRで移動するほうが速いのだからやむを得ない。それにしても外国人を含めた観光客が多い。やはり奈良というのはそれだけ多くの人を集めるところで、最近になってJR奈良駅周辺にもビジネスホテルができるなどして受け入れ体制も整えられているところだ。

そんな中、先代の奈良駅舎(現在は観光案内所とスターバックスが入っている)の側面にこのような看板を見つけた。大仏鉄道というのがかつて走っていたそうだ。現在の加茂~奈良に相当する9.9kmの区間で、明治31年に当時の関西(かんせい)鉄道によって開業したものの、その後現在の関西本線が開通すると明治40年に廃線となった鉄道である。こういうのがあるとは初めて知った。当時の鉄橋や「大仏駅」跡などをめぐるウォーキングコースとなっているようで、また訪れる機会があるかと思う。

さて三条通りを歩き、町家造りのコンビニや南都銀行の本店建物などを見て猿沢池に到着。池の水の緑が濃い。「澄まず濁らず、出ず入らず、蛙湧かず藻が生えず、魚七分に水三分」という七不思議があるが、一体この底はどうなっているのか、通るたびに気になる。先日たまたま見たテレビで、池の水を抜いてみるといろんなものが出て来て・・・というのをやっていたが、さすがに歴史ある猿沢池に手をつけるわけにはいかないだろう。

そうしてやって来た興福寺。やはり観光シーズンとあって参詣者、観光客の姿が多い。修学旅行なのか課外学習なのか、五重塔と東金堂をスケッチする生徒たちの姿も見える。確か前に来たのが2014年の12月。ちょうど友人も参加した奈良マラソンの日だったが、その時は興福寺もさほど人がいなかったように思う。

さて、タイトルにもあるように興福寺にやって来たのは西国三十三所めぐりの2巡目である。まずは西国札所である南円堂に向かう。興福寺は藤原鎌足の子・不比等の手により創建されたが、その中の南円堂は平安初期、藤原北家の冬嗣が父・内麻呂の冥福を願って建てたお堂である。本尊は不空羂索観音像で、鹿の皮をまとっているという。それが藤原氏の氏神である春日大社とのつながりで藤原氏の信仰を集めたという。ここも多くの参詣者、観光客が手を合わせる。そこで先達用の輪袈裟を出して、経本を片手にお勤めである。私の後に同じような感じで西国の先達用の輪袈裟をした男性が朗々とした声で観音経を唱えており、他の人たちの視線を集めていた。

納経所にも行列ができている。南円堂の他に北円堂、世界遺産など何種類かの朱印が用意されており、複数の種類を一度に押してもらう人が多いため、時間がかかる。今回も西国1300年記念印も一緒に押してもらう。特に凝ったイラストではなく文字が入っているだけだが、このほうがシンプルでいいかもしれない。

4月22日~5月7日まで、北円堂の特別公開が行われている。北円堂の中を観るのは初めてなのでこれは行ってみることにする。鎌倉初期に再建された建物で、現存する興福寺の建物の中では最も古いとされている。北円堂の本尊は運慶作、国宝の弥勒如来像。弥勒菩薩が56億7千万年の修行を経て成仏したのが弥勒如来である(もう56億7千万年が経ったのかという詮索は置いておこう)。その弥勒如来を囲むようにいずれも国宝の四天王立像、無着、世親菩薩像などが並ぶ。これらが一堂に会するのも迫力ある光景である。

続いては東金堂に向かう。こちらは薬師如来を本尊として、日光・月光菩薩、十二神将というチーム薬師がお出迎え。さらにこの期間限定で、東金堂の隅に銅造仏頭が安置されている。歴史の教科書では「山田寺仏頭」と習ったかもしれない。普段は阿修羅像などとともに国宝館に安置されているが、国宝館が耐震補強工事のため今年いっぱい休館しており、その期間中は東金堂にいる。ただ、元々東金堂の本尊だった薬師如来の頭部ということで、久しぶりに「里帰り」した形となり、注目を集めている。

そして阿修羅像。こちらは仮講堂に移され、「天平乾漆群像展」のシンボルとして安置されている。こちらは中央に阿弥陀如来像があり、四隅を四天王像、そして八部衆像が並ぶ。阿修羅は八部衆の一つなのだが、やはりその存在感は際立っている。参詣者、観光客も大勢拝観に訪れていたが、やはり皆さんのお目当ては阿修羅像である。正面から、両側からその表情を何とか見ようとする。なお、こちらの仮講堂の公開は、前期が6月18日まで、後期は9月15日~11月19日までである。真夏を避けたのは仏像たちの保存に影響があるからだろうか。

これで一通り境内を回り、北参道から奈良公園方面に出る。鹿もたくさん出ている。木陰でのんびりしているのもいるが、中にはクルマが行き交う道路を渡ろうとするのもいる。この鹿というのも地元では悩ましいようで、観光客の楽しみと農作物等への被害との間でどうするかというのが課題である。これまでも鹿の駆除を行おうとすると市の内外から多くの反対が寄せられたそうだが、ついにこの夏に数十頭を狩猟することが決まったそうだ。人間の勝手と言えばそれまでだが、実害が起こるようではいけないのではないかと思う。

ここから少し行けば奈良国立博物館があるとか、東大寺や春日大社があるとかいろいろあるが、今回は西国2巡目としての興福寺をピンポイントで訪ねたということで、ここで引き返す。少し時間も過ぎたが昼食もとらなければ。またこの先、何やかんやで訪ねることだろう。今度は近鉄で・・・?
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客番「安岡寺」~新西国三十三所めぐり・32(どっちもたかつき)

2017年05月02日 | 新西国三十三所
神峯山寺の参詣を終え、バス停に戻る。次の安岡寺(あんこうじ)までは高槻駅行きのバスで浦堂で下車が最寄だが、天気も良いことだし歩いて移動する。スマホの地図だと50分ほどとある。

近くの河原では釣り糸を垂らす子どもたちの姿が見える。堰のようなものが出来ているので、魚を放流して釣り体験という感じである。このまま県道を歩き、上の口のバス停からは住宅地が広がる。ゆるやかな下り坂が続き、歩きやすい。

浦堂のバス停に着くと、安岡寺への案内看板がある。矢印に従って歩くと再び住宅地の中の上り坂である。10分ほど歩くと安岡寺の駐車場があり、石柱が見える。そのすぐ向こうに本堂も見える。事前にネットで調べたところでは山門があるはずだが、あれ?という感じである。どうやら私が見た案内看板は自動車での参詣者向けのもので、それに従って来ると駐車場のところに出たわけだ。裏参道を通って来た形ではあるが、まあいいか。境内に入って振り返ると、石柱には「西方極楽浄土入口」とある。とすると、西方極楽浄土から現世に戻ってきた形か。

安岡寺は、先ほど訪れた神峯山寺と同じく、光仁天皇の息子である開成皇子が開創したとされている。本尊の如意輪観音は開成皇子の手によるものとか。根本山・神峯山寺、北山・本山寺と並び、南山・安岡寺として「北摂三山」としての歴史を持つ。兵火で焼けたこともあるが、江戸時代には将軍家の保護を受け、多くの塔頭寺院を持った。しかし明治の廃仏毀釈で荒廃して現在の規模になった。今は回りを住宅に囲まれた丘の上に建つ寺院といったところである。

まずは本堂の外でお勤めを行い、本堂左手の納経所に向かう。すると「書いておきますので、本堂に上がれますからどうぞ」と案内される。ということで本堂の扉を開けて中に入る。こちらには中央には厨子に収められた如意輪観音があり、右手には愛染明王、左手には不動明王が安置されている。不動明王といえば、安岡寺は近畿三十六不動の札所でもある。観音霊場としての新西国では客番扱いだが、如意輪観音が新西国に選ばれたポイントなのだろうか。

本尊の如意輪観音よりもこちらのほうがポイントではないかというのが、本堂の隣にある青梅観音堂に安置されている十一面千手観音坐像である。こちらは高槻の安正寺(青梅寺)というところの本尊だったが、同寺が廃寺となったために安岡寺に移されてきた。平安時代初期の作と言われており、高さ1.4mと、十一面千手観音の坐像としては最大級とされている。観音堂の扉が開いており、細かな目の網戸越しに中をのぞいて拝観することができる。撮影はできないので、バス停横の案内看板の写真で紹介する。

奥には「かのう(叶)観音堂」と「開山堂」があり、それらを回って安岡寺の参詣はおしまい。ここで、残り少なくなったが次の行き先へのサイコロである。

1.西神明石(太山寺)

2.比叡山(横川中堂)

3.大阪市内(太融寺、鶴満寺)

4.福崎(金剛城寺)

5.龍野(斑鳩寺)

6.振り直し

1回目のサイコロは「6」で振り直しとなり、2回目で「5」が出た。龍野である。斑鳩寺があるのは兵庫の太子町だが、せっかくなので近くにある龍野との組み合わせである。比叡山は・・・先ほど神峯山寺の副住職が言っていたように本当に「締め」になるかもしれないな。

さて、本堂から下に石段が伸びている。実はこの石段が表参道のもので、これを下りていくと山門に出る。途中、墓石の上のところだけを並べ、中央に地蔵菩薩像が立つものがある。これはどういう形の墓なのだろうか。

そして順番が逆になったが下り立った山門。うーん、やはりこちらから来たほうが、札所らしい風情を感じることができたことだろう。もう少しバス停からの道順を確認しておけばよかった。

これで今回の新西国めぐりは終了・・・ということで、浦堂からバスで高槻駅に戻る。時間帯はちょうど昼食どき。この後、大正ドームに移動するわけだが、せっかくなので高槻駅前で、かつ歩いたのでちょいと一杯ということにする。

見つけたのはJR高槻から阪急高槻市に向かう途中の磯丸水産。24時間営業の海鮮チェーン居酒屋である。こちらでマグロの刺身盛り、そして磯丸水産の売りであるコンロでの焼物。ホタテや白ハマグリなどでお疲れ様ということにする・・・。
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