連休合間の5月1日。この日はメーデーということで会社休日の扱いである。ということで先週の新西国の記事などを書いていたが、やはりこの1日を何かで使いたいところである。
・・・ということで、急に思い立って昼前から出かけることにする。行き先は、日常の通勤で近鉄の阿部野橋駅に掲げられたこのポスターのスポット。「わたしは、奈良派。」ということで・・・。
・・・といいつつも、奈良で降り立ったのはJRの奈良駅。近鉄のキャンペーンに合わせていないような気がするが、結局は天王寺からJRで移動するほうが速いのだからやむを得ない。それにしても外国人を含めた観光客が多い。やはり奈良というのはそれだけ多くの人を集めるところで、最近になってJR奈良駅周辺にもビジネスホテルができるなどして受け入れ体制も整えられているところだ。
そんな中、先代の奈良駅舎(現在は観光案内所とスターバックスが入っている)の側面にこのような看板を見つけた。大仏鉄道というのがかつて走っていたそうだ。現在の加茂~奈良に相当する9.9kmの区間で、明治31年に当時の関西(かんせい)鉄道によって開業したものの、その後現在の関西本線が開通すると明治40年に廃線となった鉄道である。こういうのがあるとは初めて知った。当時の鉄橋や「大仏駅」跡などをめぐるウォーキングコースとなっているようで、また訪れる機会があるかと思う。
さて三条通りを歩き、町家造りのコンビニや南都銀行の本店建物などを見て猿沢池に到着。池の水の緑が濃い。「澄まず濁らず、出ず入らず、蛙湧かず藻が生えず、魚七分に水三分」という七不思議があるが、一体この底はどうなっているのか、通るたびに気になる。先日たまたま見たテレビで、池の水を抜いてみるといろんなものが出て来て・・・というのをやっていたが、さすがに歴史ある猿沢池に手をつけるわけにはいかないだろう。
そうしてやって来た興福寺。やはり観光シーズンとあって参詣者、観光客の姿が多い。修学旅行なのか課外学習なのか、五重塔と東金堂をスケッチする生徒たちの姿も見える。確か前に来たのが2014年の12月。ちょうど友人も参加した奈良マラソンの日だったが、その時は興福寺もさほど人がいなかったように思う。
さて、タイトルにもあるように興福寺にやって来たのは西国三十三所めぐりの2巡目である。まずは西国札所である南円堂に向かう。興福寺は藤原鎌足の子・不比等の手により創建されたが、その中の南円堂は平安初期、藤原北家の冬嗣が父・内麻呂の冥福を願って建てたお堂である。本尊は不空羂索観音像で、鹿の皮をまとっているという。それが藤原氏の氏神である春日大社とのつながりで藤原氏の信仰を集めたという。ここも多くの参詣者、観光客が手を合わせる。そこで先達用の輪袈裟を出して、経本を片手にお勤めである。私の後に同じような感じで西国の先達用の輪袈裟をした男性が朗々とした声で観音経を唱えており、他の人たちの視線を集めていた。
納経所にも行列ができている。南円堂の他に北円堂、世界遺産など何種類かの朱印が用意されており、複数の種類を一度に押してもらう人が多いため、時間がかかる。今回も西国1300年記念印も一緒に押してもらう。特に凝ったイラストではなく文字が入っているだけだが、このほうがシンプルでいいかもしれない。
4月22日~5月7日まで、北円堂の特別公開が行われている。北円堂の中を観るのは初めてなのでこれは行ってみることにする。鎌倉初期に再建された建物で、現存する興福寺の建物の中では最も古いとされている。北円堂の本尊は運慶作、国宝の弥勒如来像。弥勒菩薩が56億7千万年の修行を経て成仏したのが弥勒如来である(もう56億7千万年が経ったのかという詮索は置いておこう)。その弥勒如来を囲むようにいずれも国宝の四天王立像、無着、世親菩薩像などが並ぶ。これらが一堂に会するのも迫力ある光景である。
続いては東金堂に向かう。こちらは薬師如来を本尊として、日光・月光菩薩、十二神将というチーム薬師がお出迎え。さらにこの期間限定で、東金堂の隅に銅造仏頭が安置されている。歴史の教科書では「山田寺仏頭」と習ったかもしれない。普段は阿修羅像などとともに国宝館に安置されているが、国宝館が耐震補強工事のため今年いっぱい休館しており、その期間中は東金堂にいる。ただ、元々東金堂の本尊だった薬師如来の頭部ということで、久しぶりに「里帰り」した形となり、注目を集めている。
そして阿修羅像。こちらは仮講堂に移され、「天平乾漆群像展」のシンボルとして安置されている。こちらは中央に阿弥陀如来像があり、四隅を四天王像、そして八部衆像が並ぶ。阿修羅は八部衆の一つなのだが、やはりその存在感は際立っている。参詣者、観光客も大勢拝観に訪れていたが、やはり皆さんのお目当ては阿修羅像である。正面から、両側からその表情を何とか見ようとする。なお、こちらの仮講堂の公開は、前期が6月18日まで、後期は9月15日~11月19日までである。真夏を避けたのは仏像たちの保存に影響があるからだろうか。
これで一通り境内を回り、北参道から奈良公園方面に出る。鹿もたくさん出ている。木陰でのんびりしているのもいるが、中にはクルマが行き交う道路を渡ろうとするのもいる。この鹿というのも地元では悩ましいようで、観光客の楽しみと農作物等への被害との間でどうするかというのが課題である。これまでも鹿の駆除を行おうとすると市の内外から多くの反対が寄せられたそうだが、ついにこの夏に数十頭を狩猟することが決まったそうだ。人間の勝手と言えばそれまでだが、実害が起こるようではいけないのではないかと思う。
ここから少し行けば奈良国立博物館があるとか、東大寺や春日大社があるとかいろいろあるが、今回は西国2巡目としての興福寺をピンポイントで訪ねたということで、ここで引き返す。少し時間も過ぎたが昼食もとらなければ。またこの先、何やかんやで訪ねることだろう。今度は近鉄で・・・?
・・・ということで、急に思い立って昼前から出かけることにする。行き先は、日常の通勤で近鉄の阿部野橋駅に掲げられたこのポスターのスポット。「わたしは、奈良派。」ということで・・・。
・・・といいつつも、奈良で降り立ったのはJRの奈良駅。近鉄のキャンペーンに合わせていないような気がするが、結局は天王寺からJRで移動するほうが速いのだからやむを得ない。それにしても外国人を含めた観光客が多い。やはり奈良というのはそれだけ多くの人を集めるところで、最近になってJR奈良駅周辺にもビジネスホテルができるなどして受け入れ体制も整えられているところだ。
そんな中、先代の奈良駅舎(現在は観光案内所とスターバックスが入っている)の側面にこのような看板を見つけた。大仏鉄道というのがかつて走っていたそうだ。現在の加茂~奈良に相当する9.9kmの区間で、明治31年に当時の関西(かんせい)鉄道によって開業したものの、その後現在の関西本線が開通すると明治40年に廃線となった鉄道である。こういうのがあるとは初めて知った。当時の鉄橋や「大仏駅」跡などをめぐるウォーキングコースとなっているようで、また訪れる機会があるかと思う。
さて三条通りを歩き、町家造りのコンビニや南都銀行の本店建物などを見て猿沢池に到着。池の水の緑が濃い。「澄まず濁らず、出ず入らず、蛙湧かず藻が生えず、魚七分に水三分」という七不思議があるが、一体この底はどうなっているのか、通るたびに気になる。先日たまたま見たテレビで、池の水を抜いてみるといろんなものが出て来て・・・というのをやっていたが、さすがに歴史ある猿沢池に手をつけるわけにはいかないだろう。
そうしてやって来た興福寺。やはり観光シーズンとあって参詣者、観光客の姿が多い。修学旅行なのか課外学習なのか、五重塔と東金堂をスケッチする生徒たちの姿も見える。確か前に来たのが2014年の12月。ちょうど友人も参加した奈良マラソンの日だったが、その時は興福寺もさほど人がいなかったように思う。
さて、タイトルにもあるように興福寺にやって来たのは西国三十三所めぐりの2巡目である。まずは西国札所である南円堂に向かう。興福寺は藤原鎌足の子・不比等の手により創建されたが、その中の南円堂は平安初期、藤原北家の冬嗣が父・内麻呂の冥福を願って建てたお堂である。本尊は不空羂索観音像で、鹿の皮をまとっているという。それが藤原氏の氏神である春日大社とのつながりで藤原氏の信仰を集めたという。ここも多くの参詣者、観光客が手を合わせる。そこで先達用の輪袈裟を出して、経本を片手にお勤めである。私の後に同じような感じで西国の先達用の輪袈裟をした男性が朗々とした声で観音経を唱えており、他の人たちの視線を集めていた。
納経所にも行列ができている。南円堂の他に北円堂、世界遺産など何種類かの朱印が用意されており、複数の種類を一度に押してもらう人が多いため、時間がかかる。今回も西国1300年記念印も一緒に押してもらう。特に凝ったイラストではなく文字が入っているだけだが、このほうがシンプルでいいかもしれない。
4月22日~5月7日まで、北円堂の特別公開が行われている。北円堂の中を観るのは初めてなのでこれは行ってみることにする。鎌倉初期に再建された建物で、現存する興福寺の建物の中では最も古いとされている。北円堂の本尊は運慶作、国宝の弥勒如来像。弥勒菩薩が56億7千万年の修行を経て成仏したのが弥勒如来である(もう56億7千万年が経ったのかという詮索は置いておこう)。その弥勒如来を囲むようにいずれも国宝の四天王立像、無着、世親菩薩像などが並ぶ。これらが一堂に会するのも迫力ある光景である。
続いては東金堂に向かう。こちらは薬師如来を本尊として、日光・月光菩薩、十二神将というチーム薬師がお出迎え。さらにこの期間限定で、東金堂の隅に銅造仏頭が安置されている。歴史の教科書では「山田寺仏頭」と習ったかもしれない。普段は阿修羅像などとともに国宝館に安置されているが、国宝館が耐震補強工事のため今年いっぱい休館しており、その期間中は東金堂にいる。ただ、元々東金堂の本尊だった薬師如来の頭部ということで、久しぶりに「里帰り」した形となり、注目を集めている。
そして阿修羅像。こちらは仮講堂に移され、「天平乾漆群像展」のシンボルとして安置されている。こちらは中央に阿弥陀如来像があり、四隅を四天王像、そして八部衆像が並ぶ。阿修羅は八部衆の一つなのだが、やはりその存在感は際立っている。参詣者、観光客も大勢拝観に訪れていたが、やはり皆さんのお目当ては阿修羅像である。正面から、両側からその表情を何とか見ようとする。なお、こちらの仮講堂の公開は、前期が6月18日まで、後期は9月15日~11月19日までである。真夏を避けたのは仏像たちの保存に影響があるからだろうか。
これで一通り境内を回り、北参道から奈良公園方面に出る。鹿もたくさん出ている。木陰でのんびりしているのもいるが、中にはクルマが行き交う道路を渡ろうとするのもいる。この鹿というのも地元では悩ましいようで、観光客の楽しみと農作物等への被害との間でどうするかというのが課題である。これまでも鹿の駆除を行おうとすると市の内外から多くの反対が寄せられたそうだが、ついにこの夏に数十頭を狩猟することが決まったそうだ。人間の勝手と言えばそれまでだが、実害が起こるようではいけないのではないかと思う。
ここから少し行けば奈良国立博物館があるとか、東大寺や春日大社があるとかいろいろあるが、今回は西国2巡目としての興福寺をピンポイントで訪ねたということで、ここで引き返す。少し時間も過ぎたが昼食もとらなければ。またこの先、何やかんやで訪ねることだろう。今度は近鉄で・・・?