関西クラシック近鉄対南海戦を観戦したその日は、午前中は新西国三十三所めぐりをしていた。別に急いでいるわけではないが、この4月に入ってペースが上がってきている。
31所目の巡拝となったのは高槻。第13番の神峯山寺(かぶさんじ)と、客番の安岡寺(あんこうじ)の2ヶ所がある。高槻市内の中でもJR高槻駅の北、同じバス路線でのアクセスであるので、この2所をセットにして訪れることにする。高槻と聞いてイメージするのは「どっちもたかつき」。大阪と京都、どっちにも同じくらいの時間でアクセスできるし、JRと阪急のどっちも使える。便利な都会の顔と、自然豊かな顔のどっちも持つ。古き良き文化と、これからの発展のどっちもある・・・など、さまざまな点での二面性の魅力が「どっちも」あるというのが街づくりのコンセプトである。これまで高槻というところもそう行く機会がなかったので、新西国めぐりを一つの機会として見てみたいと思う。
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野球観戦で大正ドームに行くことを考えると、やはり朝から出かけることにする。まず奥にある神峯山寺に行き、その後で駅側の安岡寺を回るというプランにした。まずは新快速で高槻に到着。駅前には大型店舗、高層マンションが建ち並ぶ。
神峯山寺へは、高槻市営バスの原大橋行きというのに乗る。連休の朝、天候もよいということでハイキング姿のグループや家族連れが目立つ。まずは整備された駅前を抜け、住宅街を進む。少しずつ坂を上がる。上の口に到着するとハイキング姿の一段がぞろぞろと下車する。摂津峡への最寄りのバス停である。
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上の口を境にして住宅街から田園風景に景色が一変する。高槻駅から15分あまりで神峯山口に到着。ここでもハイキング姿が下車する。神峯山寺に参詣というよりは、さらにその先の神峯山、ポンポン山などをめぐるハイキングコースがある。そこまで行くと1日コースになるかなというところだ。そんな中、まずは寺を目指す。田園風景の向こうに高架橋が見える。現在建設中の新名神高速道路である。こういうところを通るのかと思う。
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途中、ショートカットする自然歩道があり、案内板も出ているのでこちらを通る。ふと四国八十八所めぐりを思い出す。ちょうど次の連休には四国に行くので、今回はそのウォームアップのようなところもある。
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自然歩道を上りきったところに石柱がある。鳥居のように外部との結界を示すものだろう。石柱の間にしめ縄を張り、樒を垂らしている。これを勧請掛と呼ぶ。その昔、大坂の米商人たちは樒の垂れ具合で米相場を占っていたとある。江戸時代の大坂の豪商・鴻池善右衛門は七福神の一つとしての毘沙門天を篤く信仰しており、毘沙門天を本尊とする神峯山寺にも足しげく通っていたそうである。
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勧請掛をくぐってしばらくは参道が続く。手ぶらの地元の人らしい人ともちょくちょくすれ違う。近くの人にとってはちょっとした散歩コースなのだろう。ちょうど新緑の時季、青もみじがなかなかよい風情だ。これも秋の紅葉となるとさらに大勢の人たちでにぎわうことだろう。
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バス停から20分ほどで仁王門に着く。「光仁天皇勅願所 根本山神峯山寺」の札がかかり、その前には「日本最初毘沙門天」とある。私が今回訪ねたのは新西国の観音霊場めぐりとしてであるが、寺の本尊はあくまで毘沙門天である。観音霊場としての札所めぐりではあるが、本尊は必ずしもそうではないというのが、これまで何度も触れているが、新西国の特徴の一つである。
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仁王門をくぐると参道がさらに続く。地元の人たちが散歩がてらに手を合わせたり、ハイキングの人たちが立ち寄ったりという寺である。お堂がいくつかある中で化城院というのがある。ここでは2011年から3000日連続での護摩修行を行っており、現在2250日を過ぎたところである。
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突き当りに本堂がある。普通であれば本堂の前で経本を広げてお勤めを行うところだが、この時はそれをせず手を合わせるだけで他のお堂を回る。さらに急な石段を登りきると、役行者を祀る開山堂に出る。
帰路、順路に従うと一つの滝に出る。九頭竜の滝といい、役行者はこの滝の水しぶきが光るのを奈良の葛城山から見て、この地に修行にやって来た。これが神峯山寺の開創という。その後、光仁天皇の勅願により、息子の開成皇子(桓武天皇の弟)の手で中興されたのが今の寺の流れである。古くから山岳信仰と仏教とが融合して信仰を集めたところである。境内も周りの山とよく溶け込んだ風情であった。
・・・さて、これで神峯山寺は終わりかというと、そうではない。むしろこれからがメインで、今回のお参りでは新西国の中でも突っ込んだ形で「拝仏」なるものを体験することにする。神峯山寺は、仏を観るものではなく拝む対象としており、仏の前で手を合わせて祈願する「拝仏」という形での仏像拝観を行っている。その対象の中に、新西国の観音霊場たるゆえんの観音像も含まれている。これはぜひ見ておく、もとい拝んでおくところだろう。事前予約制ということで、寺のホームページから予約を入れておいた。
最近は寺もブームになっているし、連休中で、ハイキング姿などの人も多いから「拝仏」の人もそこそこいるのかなと思いきや、本堂下の納経所で申し出ると「お待ちしていました」と言われる。本坊の玄関に回り込むと、この時間の「拝仏」の申込者は私だけだった。まずは応接に通され、流れの説明と受付を行う。本堂での祈願法要を行い、その後で本堂内を案内するという。祈願の内容を封筒に書き、祈願料込みの拝仏料は2000円。普通の寺の拝観料だと思うと高く感じるが、祈祷込みだと却って安く感じる(感じ方は人それぞれだと思うが)。別にどこかの檀家でもない私としては、本坊に上がることも貴重な体験である。待つ間に部屋を見渡すと調度品も年季が入っているように見えるし、おそらく歴代住職のものであろう遺影も掲げられている。それにしても私一人とは恐縮する。
荷物はそのまま置いておくよう勧められ、どうせ中は撮影できないだろうからと、カメラもなく数珠だけ持って、本坊から渡り廊下を通って本堂の内陣に案内される(だから、拝仏の画像はないのでご理解を)。「副住職お願いします」の声で出てきたのが、30歳台とおぼしき若い僧侶。「まずはお勤めさせていただきます」と、低音で締まった声で声明から始める。神峯山寺は天台宗の寺である。次いで私の名前での祈願の口上があり、最後は開経偈から般若心経となる。最後のところは私も横で口の中でモゴモゴやったので、一応ここでもお勤めはしたことにする。
お勤めの後で、副住職による説明である。寺の由来は役行者であることは先にも書いたが、彼がこの地にやって来た時に、山の霊木で4体の毘沙門天を刻んだ。その一つはここ神峯山寺に、後は、神峯山寺の北にある本山寺、信貴山、そして鞍馬寺の本尊になったという。現在本尊で祀られている毘沙門天像は後世のものだが、神峯山寺を「日本最初毘沙門天」とする歴史は受け継がれている。
「当寺には3種の毘沙門天がいまして」と、内陣の奥に通される。畳3畳ほどのスペースに小さな厨子がある。双身毘沙門天を祀っている。先の毘沙門天はさまざまな願いを叶えてくれるとして一般に広く信仰されているが、双身毘沙門天はグレードが上がる。どんな願い事(例えは悪いが、誰かを殺したいという願いも)叶えるという。ただし、この毘沙門天をひたすら拝み続けることが条件で、少しでも怠ると願った側の本人の命にも関わるというものである。だから扱えるのは修行を積んだプロの僧侶に限られているようで、現在その修法を完全に行えるのは、副住職によれば比叡山延暦寺と神峯山寺だけだそうだ。
そして、「この先は拝仏の方だけです」と、双身毘沙門天の厨子の後ろの防火扉を開ける。こちらは特に厳重に管理されるエリアで、仏像がずらり。中央の厨子には兜跋毘沙門天が祀られている。この兜跋毘沙門天ともなると、国家鎮護といったレベルの祈願となる。3種類の毘沙門天を層を作って配置し、それぞれに応じた信仰を長く集めてきたわけだ。
その両脇に阿弥陀如来、そして2体の観音像がある。その中で歴史的価値があるのが阿弥陀如来とされている。毘沙門天が現世、阿弥陀如来が来世ということで、二つをセットで信仰するのがよいとしている。現在、融通念仏宗というのがあり、大阪平野区の大念仏寺を総本山としているが、その第二祖の良恵という人は、元々は神峯山の村にいた橘輔元という者だった。彼が病気で苦しんだ時に神峯山寺の阿弥陀如来を拝んだら全快したという。その後輔元は出家して、融通念仏宗を興した良忍の弟子となる。
一方の観音像2体は、制作年代は古いとはしつつも、寺の歴史としてはそこまで重要ではないということか、ともかく寺宝として保存しているという扱いである。ただ、こちらが新西国の観音霊場の一つに選ばれた由来の観音像である。阿弥陀如来、観音像それぞれを拝み、これで「拝仏」の目的を果たすことはできた。
説明が終わり、副住職と本坊に戻る。先ほど祈祷をした護符をいただく。会話の中で、何か札所を回っているのかと尋ねられて、新西国と答えると「ほほう」という反応を示す。「新西国、結構山のほうに行くでしょ?」とあり、「新西国は、誰もが知っているところは四天王寺と比叡山くらいでしょ?だけど、誰もが知っているわけではないけど、いいところは結構あって、寺好きの方には面白いと思いますよ」と歓迎される。また天台宗ということで、「比叡山がまだでしたら、ぜひ最後は比叡山で締めていただいて。新西国は横川中堂ですが、根本中堂が現在修復中で、かえって今しか見られない光景ですよ」と勧められ、「新西国終わったら、神仏霊場会はどうですか?ウチも入ってるんで」などと言われる。私の中では具体的な次は西国四十九薬師とか近畿三十六不動めぐりがあり、神仏霊場会についてはまだ具体的なものはないが、こんな感じで寺院めぐりをしていると、そう遠くない時期にあの分厚い納経帳をリュックに入れて出かけているかもしれない。
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副住職に挨拶して本坊を後にして、納経所で朱印をいただき、いろいろあった神峯山寺の参詣はこれで終わり。なかなかのところだった。先ほどあった護摩修行も興味を引くし、修験道の体験もできるそうである。次に来ることがあればそういうものに接するのもいいだろう・・・。
31所目の巡拝となったのは高槻。第13番の神峯山寺(かぶさんじ)と、客番の安岡寺(あんこうじ)の2ヶ所がある。高槻市内の中でもJR高槻駅の北、同じバス路線でのアクセスであるので、この2所をセットにして訪れることにする。高槻と聞いてイメージするのは「どっちもたかつき」。大阪と京都、どっちにも同じくらいの時間でアクセスできるし、JRと阪急のどっちも使える。便利な都会の顔と、自然豊かな顔のどっちも持つ。古き良き文化と、これからの発展のどっちもある・・・など、さまざまな点での二面性の魅力が「どっちも」あるというのが街づくりのコンセプトである。これまで高槻というところもそう行く機会がなかったので、新西国めぐりを一つの機会として見てみたいと思う。
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・・・さて、これで神峯山寺は終わりかというと、そうではない。むしろこれからがメインで、今回のお参りでは新西国の中でも突っ込んだ形で「拝仏」なるものを体験することにする。神峯山寺は、仏を観るものではなく拝む対象としており、仏の前で手を合わせて祈願する「拝仏」という形での仏像拝観を行っている。その対象の中に、新西国の観音霊場たるゆえんの観音像も含まれている。これはぜひ見ておく、もとい拝んでおくところだろう。事前予約制ということで、寺のホームページから予約を入れておいた。
最近は寺もブームになっているし、連休中で、ハイキング姿などの人も多いから「拝仏」の人もそこそこいるのかなと思いきや、本堂下の納経所で申し出ると「お待ちしていました」と言われる。本坊の玄関に回り込むと、この時間の「拝仏」の申込者は私だけだった。まずは応接に通され、流れの説明と受付を行う。本堂での祈願法要を行い、その後で本堂内を案内するという。祈願の内容を封筒に書き、祈願料込みの拝仏料は2000円。普通の寺の拝観料だと思うと高く感じるが、祈祷込みだと却って安く感じる(感じ方は人それぞれだと思うが)。別にどこかの檀家でもない私としては、本坊に上がることも貴重な体験である。待つ間に部屋を見渡すと調度品も年季が入っているように見えるし、おそらく歴代住職のものであろう遺影も掲げられている。それにしても私一人とは恐縮する。
荷物はそのまま置いておくよう勧められ、どうせ中は撮影できないだろうからと、カメラもなく数珠だけ持って、本坊から渡り廊下を通って本堂の内陣に案内される(だから、拝仏の画像はないのでご理解を)。「副住職お願いします」の声で出てきたのが、30歳台とおぼしき若い僧侶。「まずはお勤めさせていただきます」と、低音で締まった声で声明から始める。神峯山寺は天台宗の寺である。次いで私の名前での祈願の口上があり、最後は開経偈から般若心経となる。最後のところは私も横で口の中でモゴモゴやったので、一応ここでもお勤めはしたことにする。
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「当寺には3種の毘沙門天がいまして」と、内陣の奥に通される。畳3畳ほどのスペースに小さな厨子がある。双身毘沙門天を祀っている。先の毘沙門天はさまざまな願いを叶えてくれるとして一般に広く信仰されているが、双身毘沙門天はグレードが上がる。どんな願い事(例えは悪いが、誰かを殺したいという願いも)叶えるという。ただし、この毘沙門天をひたすら拝み続けることが条件で、少しでも怠ると願った側の本人の命にも関わるというものである。だから扱えるのは修行を積んだプロの僧侶に限られているようで、現在その修法を完全に行えるのは、副住職によれば比叡山延暦寺と神峯山寺だけだそうだ。
そして、「この先は拝仏の方だけです」と、双身毘沙門天の厨子の後ろの防火扉を開ける。こちらは特に厳重に管理されるエリアで、仏像がずらり。中央の厨子には兜跋毘沙門天が祀られている。この兜跋毘沙門天ともなると、国家鎮護といったレベルの祈願となる。3種類の毘沙門天を層を作って配置し、それぞれに応じた信仰を長く集めてきたわけだ。
その両脇に阿弥陀如来、そして2体の観音像がある。その中で歴史的価値があるのが阿弥陀如来とされている。毘沙門天が現世、阿弥陀如来が来世ということで、二つをセットで信仰するのがよいとしている。現在、融通念仏宗というのがあり、大阪平野区の大念仏寺を総本山としているが、その第二祖の良恵という人は、元々は神峯山の村にいた橘輔元という者だった。彼が病気で苦しんだ時に神峯山寺の阿弥陀如来を拝んだら全快したという。その後輔元は出家して、融通念仏宗を興した良忍の弟子となる。
一方の観音像2体は、制作年代は古いとはしつつも、寺の歴史としてはそこまで重要ではないということか、ともかく寺宝として保存しているという扱いである。ただ、こちらが新西国の観音霊場の一つに選ばれた由来の観音像である。阿弥陀如来、観音像それぞれを拝み、これで「拝仏」の目的を果たすことはできた。
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