まつなる的雑文~光輝く明日に向かえ

まつなる兄さんのよしなしごと、旅歩き、野球、寺社巡りを書きます。頼りなく豊かなこの国に、何を賭け、何を夢見よう?

第3番「鶴満寺」~新西国三十三所めぐり・35(上方落語の舞台)

2017年05月29日 | 新西国三十三所
太融寺から続いて鶴満寺を目指す。交通機関なら地下鉄谷町線で東梅田~天神橋筋六丁目まで乗るコースだが、太融寺から東梅田へは結構逆に戻る形である。日射しはあるがひどく暑いというほどでもなく、歩数稼ぎで直接歩いて行くことにする。

しばらく東に向かうと扇町公園に出る。グラウンドでは子どもや学生たちが体を動かしている。その向こうには関西テレビの社屋も見える。

やがて天神橋筋の商店街に入る。最近はこの商店街でも以前と比べて中国語や東南アジアの言語が飛び交うようになったと感じる。この商店街が観光名所とは思わないが、黒門市場ともども地元のスポットとして口コミでも広まっているのだろうか。まあ、そういうところにも行きたいという旅行者心理はわからないでもない。

商店街の北の端の天神橋筋六丁目駅から進路を東に取り、数分でマンションに囲まれた寺の建物に出る。これが鶴満寺。うーん、新西国霊場というつながりがなければ一生訊ねることはない建物だと思う。町の中にたまたまある寺の一つという扱いでしかなかっただろう。

山門は西に向いているが、門扉は閉ざされている。入れないのかと一瞬焦ったが、北側が開放されている。鶴満寺は寺に隣接して保育園や特別老人ホームをやっているそうで、その入口とかねているようだ。「ポケモンGO禁止」と書かれた英語の看板もある。そういえばこのゲームの話題も聞かなくなったが、当時は外国人も多くこの辺りをスマホを手に現れたのだろうか。

その老人ホームやマンションを含めて周りをぐるりと高い建物で囲まれているのは太融寺と似ている。ただ、太融寺はいくつかのお堂や庭園、史跡もあったのに対して、鶴満寺は本堂と鐘楼、観音堂のみである。これまで訪ねた新西国の札所の中では最も狭いクラスの敷地ではと思う。本堂の本尊は阿弥陀如来、廊下でつながる観音堂には子安観音を祀るとともに、西国、坂東、秩父の百観音を祀るという。

鶴満寺は元々河内の国にあったものを江戸中期に大坂の豪商がこの地に移したものである。その際、忍鎧上人を中興の祖として、本尊の開眼を行った道元法親王を開創としている。その時に枝垂れ桜が植えられ、長くこの寺の見所として、また桜の名所として親しまれたそうだ。

上方落語に「鶴満寺」というのがあるそうだ。私もこれまで知らず、桂雀々師匠による音声を初めて聴いた。花見の時季、船場の旦那が芸者や幇間を連れて鶴満寺に遊びに来る。しかし、寺男の権助は住職から禁じられているからと断る。そこで権助に「袖の下」を渡して中に入り花見の宴会が始まるのだが・・・という噺。途中からキャラが変わる権助が主人公であるが、桜のきれいな寺であれば、噺の舞台は鶴満寺でなくてもいい。それがわざわざ「鶴満寺」という演目なのはどういうことだろうか。

史実の鶴満寺の枝垂れ桜だが、明治時代に大阪で起こった水害で浸水し、枯死してしまったそうだ。ならば、落語のネタは元々は枝垂れ桜へのレクイエムで作られたのかもしれない。

奥に納経所があり、朱印と子安観音の御影をいただく。当て紙には鶴満寺の由緒が書かれているが、寺の宗派としては「天台真盛宗」とある。天台真盛宗とは室町時代に天台宗から派生したもので、総本山は比叡山の麓の西教寺。仏教のオールラウンドを目指す天台宗にあって、念仏(阿弥陀如来信仰)と戒律を二本柱としたものである。鶴満寺の本尊が阿弥陀如来で、山門が西を向いているのもわかる。新西国の観音霊場に選ばれたのは、百観音と上方落語のためかなと思う。

さてこれで今回の札所めぐりも終わりで、次の行き先である。もっとも残りは少なく・・・

1、2・・比叡山(横川中堂)

3、4・・西神明石(太山寺)

5、6・・福崎(金剛城寺)

サイコロの出目は・・・「4」。明石か。うーん、先月訪ねた高槻の神峯山寺の副住職のいう通り、天台宗の総本山である比叡山が「締め」になるのだろうか・・・?

2ヶ所を回り、再び天神橋筋六丁目駅から天神橋筋商店街を歩く。昼食がてら、天満界隈には入りたい店がいくつかあるのだが、昼間から満席が続く。そんな中で運良く入れたのが環状線ガード下のこちら。この辺り、天満価格ということでビールの大びんが350~360円というのが相場である。

・・・だからと言って、あまり調子に乗りすぎると、先の落語の寺男と一緒である。そこはちゃんと自制しないとね・・・。
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