まつなる的雑文~光輝く明日に向かえ

まつなる兄さんのよしなしごと、旅歩き、野球、寺社巡りを書きます。頼りなく豊かなこの国に、何を賭け、何を夢見よう?

第9回四国八十八所めぐり~第31番「竹林寺」

2017年05月07日 | 四国八十八ヶ所
高知城の前から竹林寺に向けてまずは土電で移動する。はりまや橋を通過し、少し郊外の雰囲気になったところで文殊通の電停に到着する。乗った電車は「ごめん」行きだが、途中の文殊通で折り返しとなる便もあるようだ。この文殊通という名前も、これから訪れる竹林寺の本尊が文殊菩薩であることからついたのだろう。

30番の善楽寺から現在の形で竹林寺に向かう歩き遍路道はこの電停の先を通っていて、とりあえずは一本道である。近郊の住宅街や小学校の脇を通るが、国道32号線の南国バイパスを歩道橋で越えると田園風景となる。目の前にあるのが竹林寺のある五台山である。五台山とは元々は中国で古くから仏教の文殊菩薩の聖地として信仰を集めた霊山である。それが奈良時代、聖武天皇が唐の五台山で文殊菩薩に拝する夢を見て、行基に「五台山に似た山を探すように」命じ、そこで霊地として見つけたのがこの山だとされている。そこに文殊菩薩像を安置し、後には弘法大師もここで修行をしたという。

そうするうちに道路が突き当り、道標が細い道を指すようになる。そして登山道が出る。土佐文旦だろうか、柑橘類の畑の中を過ぎて、山の中に入る。何だか土佐に来ると、寺の直前にこうした山道を登ることが増えるような気がする。阿波のような「遍路ころがし」とまでは言わないが、結構急な山道を10分、15分くらい上る感じである。途中のところどころで、八十八所の本尊像が祀られている。昔の遍路道の名残である。

そして上るうち、1枚の看板が現れる。「これより先は牧野植物園の園地となります。入園には入園料が必要となりますので、窓口にお回りください」とある。これは植物園に迷い込んだのか?ただ、歩き遍路の案内板がその横にあるし、先の看板もよく見れば、「お遍路の方は植物園内をお通りいただけますが、施設内の立ち入りはご遠慮ください」とある。えらいところに遍路道ができたな・・・ではなく、植物園のほうが後からできたはずで、こういう措置となったのだろう。私の場合は一応笈摺に金剛杖があるから構わないのだろう。少し歩くと朝の開園準備中の係員とすれ違い、「ご苦労さまです」と声をかけられる。

そうするうちに園内に入る。空がどんよりとしているが、園内のあちこちに季節の花が咲いている。バラを見たり、ヒトツバタゴという白い花を見たり。五台山への道のりは何とも意外な展開となった。文殊通の電停から30分ほど歩いたが、まだ時刻は9時前で植物園はオープンしていない。最後は植物園の正規の入場口に出て、「ご苦労様です、どうぞこちらから出てください」と通用門から外に出る。するとそこが竹林寺の山門前の石段で、白衣や笈摺姿の人が結構見える。クルマで来たか、バスで五台山の麓まで来てそこから歩いて来たか。

山門をくぐり、木々の生い茂る境内を通ってもう一度石段を上る。まず出迎えてくれるのは大師堂と、その奥にある五重塔である。本堂はさらに奥で、「本尊 智恵の文殊大菩薩(日本三文殊随一)」の看板がある。こうした「日本三○○」と来ると、「残りの二つは何か」というのが気になる。私が思うのは奈良桜井の安倍文殊院と京都天橋立の切戸文殊(知恩寺)かなということでスマホで検索すると、三文殊のうち二つはこの2ヶ所というのがほぼ定説である。ただ肝心の3ヶ所目が諸説あるようで、今のところ一般的とされているのは山形にある亀岡文殊だとある。また他に、京都東山の光明寺にある黒谷文殊堂とする説もあるようで、3ヶ所目を巡ってはいろいろ意見があるようだ。その中で竹林寺は、四国八十八所の札所で唯一文殊菩薩を本尊としていることでその方面からの支持を集めてはいるが、全国的に見れば票数は少ないようだ。

ともかく本堂、大師堂の順でお勤めを行う。連休中ということで巡拝遍路の姿も多く、それぞれが思い思いの流儀でお勤めをしている。私も30番を過ぎてはいるが、いつも自分のやり方が合っているのか、般若心経の息継ぎのタイミングはこれで良いのかが気になって、他の人のそれを聞いたりしている。いや、そういうことにあまりこだわらないのが般若心経の教えなのだと言われればそれまでだが・・。

境内には百体地蔵や五智如来、さらにはブッダの像などもある。山の上のちょっとした憩いの場という感じであるが、昔は五台山の中にいくつかの脇坊も抱えていたそうである。

「土佐の高知のはりまや橋で 坊さんかんざし買うを見た よさこい よさこい」

これは土佐で最も有名な民謡、いや土佐だけでなく全国的に知られている民謡の一つである「よさこい節」だが、ここで出てくる「坊さん」が江戸時代末の竹林寺の脇坊の僧を指すとされている。当時は妻帯が禁止されていた僧侶と町娘との道ならぬ恋、そして駆け落ちするも失敗・・という実話を元にしているが、わざわざ民謡の歌詞の一番に取り上げられ、それが後世まで唄われるとは、高知の人たちにとってセンセーショナルな出来事というか、ゴシップだったのだろう。現在、さまざまな恋愛だの不倫だのスキャンダルだの、ワイドショーのネタというのはいろいろあるが、さすがに歌になって後の世まで唄われることはないだろう。それを考えると・・・、

6月までの期間限定で、徳川家康由来の阿弥陀如来像と内陣参拝を行っており、庭園や宝物館と合わせて拝観ができるとある。この記事を書くに至って、せっかくなので行っておけばよかったのだが、その時は次の札所に行こうという気持ちだった。今回は札所間の公共交通の便が悪く、徒歩での移動が長くなりそうなのと、「このタイミングでこのポイントに着いておく必要がある」というのがあるために、1ヶ所での滞在が短くなるかなと思っていた。改めて、もう少し時間を取ればよかったなと思うところではあるが・・・。
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