まつなる的雑文~光輝く明日に向かえ

まつなる兄さんのよしなしごと、旅歩き、野球、寺社巡りを書きます。頼りなく豊かなこの国に、何を賭け、何を夢見よう?

第32番「斑鳩寺」~新西国三十三所めくり・33(城下町龍野)

2017年05月23日 | 新西国三十三所
斑鳩寺の参詣を終えて、10時17分発の龍野経由山崎行きのバスに乗る。いつしか揖保川を渡り、龍野の中心部に着く。なお、このバスで終点の山崎まで行き、そこから乗り継ぐと船越というバス停に出る。するとバス停から徒歩で、33番の瑠璃寺に行くことができる。32番と33番はそうすると1日で回れるわけだが、ここは当初の決め通りに、瑠璃寺は最後にする。またここにはどうやって行くかの計画を組むのが楽しみである。

さて龍野の町歩きである。バス停から町中に向けて歩くと風情ある建物が集まってくる。その中に一つだけ洋風に造られた建物が見える。ここがうすくち龍野醤油資料館である。

龍野は醤油の町でもある。中では醤油づくりの工程が映像で紹介され、蔵の部分では仕込み桶や圧搾機、さらには揖保川の水運に使われた舟なども展示されている。醤油の作り方についてはここでは書ききれないが、展示物を見るに連れて口の中に唾液が広がってくる。うすくち醤油も揖保川の水の賜物で、龍野の経済を支える役割を果たしている。現在はヒガシマル醤油を中心として、いくつかのメーカーが組合として昔からの醤油文化を受け継いでいる。

町を見下ろすように建つ龍野城跡に向かう。途中には武家屋敷や家老屋敷もあるが、現在は小学校や文学館として残されている。昔の町並みの案内看板もあり、今との比較もできる。

さて城跡に入る前に昼食とする。揖保川と言えばもう一つ有名なのがそうめん。「揖保乃糸」など、お中元としての需要もある。城の下にある「霞亭」に入る。小ぢんまりとご家族でやっている感じだが、ご主人がすごくソフトな感じの方。文学の町にあって、商売人というよりは童謡の歌詞を創っていそうな感じである。

メニュー選択に迷う。「霞亭」はにゅうめんがベースのようだ。ただ、この日は5月だが30度近い気温。当然、冷やしそうめんにも引かれる。ただ最後は、龍野のうすくち醤油をベースに、いりこなどで取った出汁が自慢ということで、さまざまな具材が乗った「霞亭にゅうめん」をいただく。さすがは「揖保乃糸」で麺は申し分ない。また出汁もあっさりしながら醤油のしっかりしたところが残っている感じがして、最後まで飲み干した。さすがに冷やしそうめんのつゆでは、こうはいかない。この醤油とそうめん・・・西播磨の平野で採れる米、小麦、大豆、そして揖保川の水に赤穂の塩。この風土の賜物であると改めて感じる。

お腹もできて龍野城跡に入る。龍野城は室町中期に赤松氏が気づいたが、その後は豊臣秀吉の支配下となった。その後、龍野藩の京極氏が治めたが、先の記事にも書いたように丸亀に国替えとなった。実はその時に一度取り壊したのだが、後に入った脇坂氏が再建した。ただし、時は江戸の徳川時代で、幕府に遠慮して立派な建物は造らず、平屋の本丸御殿とすることで幕府の許しを得たそうだ。赤松氏の頃は、さらに山の上に城郭を構えた山城だったとある。その本丸御殿は1979年に昔の図面をもとに再建されたが、今の建物はまた改修したのか、まだ新しい感じがする。ヒガシマルをはじめとした醤油の組合のご厚意で金を貼り巡らした部屋も再現されている。

同じ城内には歴史資料館もあり、企画展で、藩祖脇坂安治らに対して豊臣秀吉や徳川家康が送った朱印入りの書状などが公開されている。JRの「ちょこっと関西歴史たび」に引かれて来たとおぼしきグループも、あれやこれやと楽しんでいる様子だ。

町中を隅々まで回るならまだまだ見所はあるが、本日はともかくここまでかなと、町の中心に下りる。

中心部に来ると、先ほどのヒガシマルの資料館の近くにも煙突が1本見える。カネヰ醤油の工場である。

そして、その構内入口にこのようなものに出会った。見た目はレトロな感じにした自販機なのだが、缶コーヒーやお茶に交じって、醤油のボトル、瓶がある。それだけでなく醪もある。いずれもカネヰ醤油の商品だが、「醤油と醪の自販機」というのが面白い。観光パンフレットにも載っているから今さら珍百景でも何でもないが、記念にはなる。

醤油の小瓶を自販機で買ったが、普通に飲み物を買うようにキンキンに冷えていた。醤油をキンキンに冷やすのは、品質的にどうなのかな・・・?

これで龍野の町歩きは終了して、歩行者自転車用の橋で揖保川を渡り、ヒガシマル醤油の工場内の道を通りながら姫新線の本竜野駅に着く。ちなみに、山陽線には竜野駅があるが、市街地からはかなり離れたところにある。

本竜野駅に着いたタイミングが悪く、ちょうど姫路行きが出たところだった。次の列車まで30分をつぶすわけだが、駅構内の物販コーナーを見た後、歩いてすぐのイオン系のスーパーに向かう。地元の人で賑わっている。そこで自然に醤油のコーナーに行ったのだが、さすがは龍野でヒガシマルをはじめとした地場の醤油も並ぶ。ただそれ以上に、キッコーマンやヤマサといった、関東の野田や銚子のメーカーの醤油が、あたかも国内標準であるかのような並ぶ。また、イオンのプライベートブランドの醤油もあるが、これも関東の濃口醤油。うーん、流通のやり方もあるのだろうが、うすくち醤油の本場でも、スーパーのレベルになると国内標準の濃口醤油になるのかなと。で、売上は濃口醤油が上と・・・(見方によっては、「うすくち醤油の本場だから、地元産を少しくらいなら店頭に並べるのを許す』とでも言われたかのような品揃え)。いや、龍野の人たちも、今は醤油の味など別にどっち向いていてもいいて思っているのかな・・・?

そうするうちに姫新線の気動車がやって来て、姫路まで揺られる。まだ時間はあり、これから西国三十三所の書写山圓教寺にも行こうと思えば行けるが、また一方では姫路駅前での昼飲みの誘惑が強いのだが、それらはグッとこらえてとりあえず今回は終了として、山陽電車の姫路に乗り換える。また西播磨には近々来ることになるだろうし。

・・・で、大阪まで戻ったが、須磨の海を見て地下区間に入るとウトウトした。目が覚めると窓の外は地下で、三宮かと思ったが周りの様子がおかしい。誰もいなくなる。・・・そこは梅田だった。まあ、後は帰宅するだけだし、意識もはっきりして帰宅したが、須磨から梅田まで爆睡とは・・疲れているのか??

・・・気をつけなければ。
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