まつなる的雑文~光輝く明日に向かえ

まつなる兄さんのよしなしごと、旅歩き、野球、寺社巡りを書きます。頼りなく豊かなこの国に、何を賭け、何を夢見よう?

第24回四国八十八所めぐり~第88番「大窪寺」

2019年02月22日 | 四国八十八ヶ所
大窪寺の山門の前に立つ。鉄筋コンクリート造りで、両側に立つ仁王像も色がはっきりついていて力強い。

八十八所の最後の札所だからきちんとお参りしなければなと、山門をくぐったところの手水を使い、石段を上がる。するとそこに出たのは大掛かりな造りの大師堂である。いやまずは本堂に行かなければと、いったん素通りする。

そして本堂のある境内に着いたのだが、こちらから来ると右手から石段が続くのが見える。うーん、本来の大窪寺への参道はこの石段からだろう。先ほどくぐった鉄筋コンクリート造りの山門は車遍路の入口のようだ。まあそれでも立派な門だから、こちらを大窪寺の正式な山門にしても別に問題はないと思う。

とはいうもののここは改めて昔からの山門をくぐる。石段の向こうには本堂が見えてくる。

大窪寺は奈良時代に行基が草庵を建てて修行したのが始まりだという。その後、弘法大師が谷間の窪地にお堂を建てて薬師如来像を安置し、唐から持ち帰った錫丈を納めた。その場所が窪地にあったことから「大窪寺」という名前になったそうだ。

境内を囲むように寄進者の石柱が並ぶ。多くの寺院はこの手の石柱には「金何百萬園」、そしてそれに続く寄進者の名前が彫られたものがずっと四方を囲むのだが、大窪寺の場合は寄進の金額のところに「結願御礼」という言葉が並ぶ。各地の人たちからの寄進が並ぶのだが、その中に私の地元藤井寺からの寄進の石柱を見つける。この方は今もご存命なのかな?

本堂に向かう。薬師如来が祀られていることを示す「瑠璃光殿」の額が掲げられている本堂前には線香の煙がもうもうと上がっている。結願の寺ということで、歩きとかクルマとかは関係なく訪ねる人が絶えないのだろう。

外陣でお勤めとする。「霊場結願所」という額が掲げられている。

先ほど通りすぎた大師堂に向かう。何やら石像が集まっている。よく見ると四国八十八所の札所番号が振られていて、それが順番に並んでいるようだ。姿形がバラバラなのは、各地の「お砂踏み霊場」から集めたものだろうか。結願の寺にて、改めて各札所の本尊が「ようお参りでした」と出迎えているかのようである。

こちらも最近の建物だろうか、改めて大師堂でもお勤めとする。最後に回向文を読み終えて手を合わせた時、「これで一段落、ともかくも回ることができました」というようなことを小声でつぶやいた(ように思う)。

大師堂の横には「寶杖堂(ほうじょうどう)」というのがある。四方をガラス張りにした建物で、中には何百本あるだろうか、金剛杖、さらには先達のみ持つことを許される錫杖が収められている。四国八十八所を回り終えた後、その証として金剛杖を大窪寺に奉納する人が多いのだという。その杖をこの寶杖堂にて保管し、毎年春分の日と8月20日にお焚き上げの法要を行うとある。西国三十三所の「満願」の札所である谷汲山華厳寺にも、本堂の後ろに杖や笈摺を奉納するためのお堂があったが、回り終えたことを記念して置いてくるというのは一般的なことなのだろうか。

ただ私としては、これまで短い距離だったかもしれないが一緒に歩き、アイランドリーグ観戦の時には球場にも持ち込んだ金剛杖をここで手放すのはもったいないなと思った。金剛杖が「弘法大師の化身」だからというわけではなく、シンプルに札所めぐりのパートナーだったとも言える。

杖には他の人のものと間違えないように、また四国を回ることを意識して、四国アイランドリーグの各球団のロゴとマスコットをあしらったミニステッカーを貼っていた。それも大窪寺まで来るとすっかり剥げて姿が分からなくなった。これも私なりの積み重ねと言ってもいいだろう。やはりこの杖は大阪まで持ち戻ることにする。

本堂エリアに戻り、納経所に入る。これで納経帳の八十八の欄も埋まった。合わせて「平成31年」の結願記念のスタンプも押される。

大窪寺では「結願証」を出してくれる。これは歩きやクルマ関係なく結願した人は誰でもいただけるので、堂々と?いただくことにする。見本も掛けられていて2000円とある。A3用紙サイズだが賞状入れの筒も付くので持ち運びにも問題ない。これを求めると、紙切れに名前を書くよう言われる。墨を擦り直し、きれいな楷書で名前を一字一字書いてくれる。これもよい記念だ。結願した方の記事では納経帳の全ページを確認されたというのもあるが、この時はそのようなこともなかった。

写真ではむき出しのままだが、この後でガクブチを購入して部屋に飾っている。

帰りのバスまで時間はたっぷりある。これなら朝の出発をもう少し遅らせてもよかったが、この山の中に来ることも今後しばらくはないことで、ゆっくりする。門前には道を挟んで2軒の食堂兼土産物店がある。そのうちの「八十場庵」に入る。ここの「打ち込みうどん」が大窪寺の名物とされている。

注文したのは猪肉入りの一品。白味噌仕立ての出汁に里芋、大根、にんじん、ごぼう、豆腐、油揚げが入る。体にもよさそうで美味しくいただく。先ほど結願したことで祝杯をあげてもいいところだが、それは夕方に取っておくことにする。

15時51分のコミュニティバスまでそれでも時間はあるのでその辺りをぶらつく。旧遍路道の丁石をたどってきていつしか行方不明になったのだが、一丁石というのが門前に置かれている。きちんと祠に納められている。

納経軸や御影の表装を手掛ける店もある。やはり八十八もの欄があるだけに表装したらものすごい長さになりそうだ。西国三十三所の納経軸が実家に置かれているのだが、あれでも広げたら床に着くくらいの長さで、飾るということもなく閉まったままだ。

志度行きのバスがやって来た。「上がり三ヶ寺まいり」のラッピング車両だ。白衣に菅笠のガチの歩き遍路らしい男性2名と、遍路というよりは普通に大窪寺にお参りに来たらしいご婦人3人組が乗る。土日祝日は1乗車500円一律で、発車前に運転手がそれぞれ行き先を訊いて回る。途中長尾で降りるのは私だけで、他の人は志度まで行く。

やはりバスは速い。国道377号線を下り、二十丁石の旧遍路道との分岐点を数分で過ぎる。一応途中の停留所にも停まるダイヤなのだが、途中の乗降もなく一気に過ぎる。六十五丁石からは先ほど歩いた旧遍路道ではなくそのまま県道3号線を走るが、結構カーブが多い。ご婦人の手からこぼれた土産物の袋がバスの右から左へと滑っていく。

山道を下って長尾の町中に入る。そのまま直進ではなく介護センターや亀鶴公園などのスポットにも立ち寄る。それでも、4時間かけて歩いた道を30分で戻ってきた。コミュニティバスを運行しているのは大川バスで、長尾の停留所は本社営業所にある。長尾駅からすぐのところだが、ちょうど高松築港行きが発車するところで、急いで乗り込む。

帰りはバタバタしたが、ことでんの電車に揺られながら、ともかく巡拝が終わったのだなと少しずつ実感が湧いてくるのを感じる。別に何か悟りを得られたとか、これで人生が変わったとかいうのではないけれど・・・。
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