まつなる的雑文~光輝く明日に向かえ

まつなる兄さんのよしなしごと、旅歩き、野球、寺社巡りを書きます。頼りなく豊かなこの国に、何を賭け、何を夢見よう?

第24回四国八十八所めぐり~おへんろ交流サロン

2019年02月19日 | 四国八十八ヶ所
大窪寺に向かう前山ダム湖のほとりにあるのが「道の駅ながお」、その一角に「おへんろ交流サロン」というのがある。前山地区活性化センターの建物を利用しており、休憩も兼ねて入ってみる。

入ると女性の係員が出迎えてくれ、お茶のお接待をしていただく。また「おひとつどうぞ」ということで、缶に入った笑い文字がかかれた飴やティッシュケースもいただく。

「今から大窪寺ですか」ということで、「歩き遍路大使の任命というのをやってますんで、どうぞこちらにご記入を」と用紙を渡される。

これまでの記事でもずっと書いてきたことだが、全行程1200キロに及ぶ四国八十八所めぐりの道すべてを歩きで踏破したわけではない。もちろん区切りでの四国行きだし、鉄道や路線バス(中にはレンタカーも含む)をベースにしており、実際に歩いたのはそのうちどのくらいになるかはいずれ計算しなければならないのだが、いずれにしてもこのブログで何度か表現している「ガチの歩き遍路」ではない。

ならば事情を話して辞退すればよいことなのだが、せっかく勧めていただいているのだし、これもお接待の一つかなと解釈してそのまま「任命」を受けることにした。用紙に記載した住所を見た係の人は「藤井寺って、西国さんの札所(葛井寺)ですね。西国は回りはったん? 私も葛井寺に行ったことがあって、あそこは平地だから楽やったけど、その前の槇尾山(施福寺)はしんどかったわ・・。あんな山道やと思わんで、上にいったら自動販売機も何もなくて・・」と話す。確かに、四国の寺は「遍路ころがし」の先にある焼山寺や鶴林寺などにしてもクルマで上がれるし、寺の境内にも何がしかの設備はあった。そう言われれば施福寺は山道を歩かなければたどり着けないし、山の上には(昔は売店があったそうだが)お堂以外何もない。

しばらくして「任命書」をいただく。任命番号(毎年7月1日~翌年6月30日までの通し人数)と氏名が書かれている。いただいたのは1000番台。2004年から始めたこの「任命書」、例年2500~3000名が授与されているようで、年間の歩き遍路の数も概ねそのくらいと言ってもいいだろう(ちなみにこの2月10日は、私の前に3名ほど「任命」の手続きが行われたとのこと)。メッセージには「貴方は四国八十八ヶ所歩き遍路約1200kmを完歩され、四国の自然、文化、人との触れ合いを体験されたので、これを証すると共に、四国遍路文化を多くの人に広める遍路大使に任命致します」とある。何だか複雑な気持ちだが、「1200km完歩」のところはさておき、四国のさまざまなものに触れることができたのは確かである。また、どのくらいの方が目にしているのかはわからないが、その経験をこうした雑文に書いて発信することで、ほんの少しでも四国遍路文化に興味を持つ方が出れば幸いだと思う。

また記念品として、歩き遍路のバッジとDVDをいただく。DVDは四国遍路のスライドショーだということで、この文を書いている時点ではまだ見ていないのだが、どのようなものか楽しみである。

サロンの中は四国遍路に関するさまざまなものが展示されている。中央には四国全土の立体模型があり、各札所の場所がランプで表示できる。これまで平面地図でルートを見ていたが、こうして立体にしてみると決して平坦な道のりではないことがわかる。

かつて在任中の合間に歩き遍路を結願した菅直人元首相の色紙もある。

また資料室には四国遍路に関するさまざまな歴史史料が残されている。やはり現在の遍路の形の原型ができたのは江戸時代の中期以降で、納札や納経帳も残されている。

驚くのはこの真っ赤な納経帳。回数を重ねると朱印も「重ね印」になるのだが、生涯に八十八所を308回巡った方のものである。308回・・・生活のほとんどが札所めぐりではないかと思う。いや待てよ、上には上がいるもので、確か第6番の安楽寺だったか、その門前に500回の結願を記念して石柱を立てたというのがあり、そしてさらに回数を640回超に伸ばしていた(2016年7月時点)。改めてこの遍路文化の奥の深さを感じる。

また明治から大正にかけての大先達で、道標の設立にも尽力した中務(中司)茂兵衛に関する史料もある。もちろんこの方の納経帳も真っ赤。

奥には日本の各都道府県ごとの里程図が展示されていて、それぞれに納札を入れるケースがある。ここを訪ねた記念に納めるのだろう、私も大阪府のケースに1枚入れておく。

この展示コーナーは勉強になるが、これが88番を前にした場所にあるというのはどういう理由だろうか。例えばこれから遍路を始める1番の霊山寺の近くにあってもおかしくない、というより、いろいろ知ってもらおうと思えばそちらにあるのが自然ではないかなとも思う。それが結願の前にあるというのは、これまでの振り返りということもあったり、あるいは一通り回った後なら史料の理解も深めやすいということがあるのだろうか。

これからどのルートをたどるのか係の人に尋ねられる。旧遍路道ルートをたどる旨を告げると、ルートの紙をいただく。基本的には普通の道路ということで、最初に上り坂が続くものの標識もあるし難所らしいところはないとのこと。ポイントの写真も見せていただく。

さてここから大窪寺まで11キロ。最後に「歩き」での到達を目指して出発する・・・。
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