まつなる的雑文~光輝く明日に向かえ

まつなる兄さんのよしなしごと、旅歩き、野球、寺社巡りを書きます。頼りなく豊かなこの国に、何を賭け、何を夢見よう?

第24回四国八十八所めぐり~結願への旧遍路道カウントダウン

2019年02月20日 | 四国八十八ヶ所
前山の「おへんろ交流サロン」を後にして、大窪寺までは「旧遍路道ルート」を行くことにする。やはり初めてということもあるので古くからの道をたどろうというものだが、歩き遍路の方のブログなど見ると女体山越えの記事のほうが目立つ。

県道を数10メートル長尾よりに戻ったところに入口がある。ここを行くわけだがすぐに急な上り勾配になる。最高地点のところで先ほどのサロンとは約250メートルの高低差があるそうだ。また道端に待機場所として番号が振られた標識を見る。実はこの先に残土処理場があり、この道をダンプカーが行き来するという。そのダンプカーのすれ違いポイントだ。先ほどのサロンの方は「日曜日なんでおそらくダンプカーは来ないと思うけど・・・」とのことで、果たして行き交うダンプカーはおろかクルマも見かけなかった。クルマなら県道を行けばいいことだし、人家も全く見かけない。

今回はこのまま車道を歩いたのだが、実はこの旧遍路道には別に「迂回路」がある。車道はダンプカーが行き交うので危ないとして、近年地元の人たちが中心となって尾根道を新たに開いたものだ。上り坂の途中に入口があったはずだが、おそらくわたしが見落としたのだろう。車道をずっと歩くことになったが、皮肉なもので残土処理場の入口あたりが平野部を遠くに眺望できるスポットだったりする。

ダンプカーが入るのもそこまでのようで、この先は細い車道が続く。なぜか自転車が道端の林の中に投棄されていたりする。

サロンから35分ほどで休憩スペースに出る。この辺りが最高地点だろう。案内板には源義経が屋島に向かった道とある。ようやく下り道に転じる。

少し歩くと大窪寺まで七十丁の道標に出る。ここから丁石が道端に残される区間ということで、残り7.6キロ、いよいよ結願に向けてのカウントダウンがここから始まると言ってもいいだろう。再び人家も出て来て、六十六丁の石を過ぎると県道3号線に合流する。ここには六十五丁の石がある。

この後はクルマの多い県道と、極端な細道の旧遍路道を出入りする。その途中、県道から脇に入って、このルートならではの立ち寄りスポットとされる細川家住宅に向かう。看板に従って行くと民家の裏手、ちょっと坂を上がったところにある。

細川家住宅は18世紀初めの建物とされていて、国の重要文化財である(遍路とは直接関係ないので寄る寄らないは個人の判断だとか)。母屋と納屋の2棟が残されていて、いずれも茅葺き屋根、土の壁である。阿讃地方の特色をよく残しているのが文化財としての評価だが、似たような造りの建物、前回屋島で立ち寄った四国村にもなかったっけ?

母屋の中は居間と囲炉裏の間、台所という質素なもの。この時季だから思うのだろうが、外は土壁といっても冬はかなり寒そうである。讃岐平野の真ん中ならいざ知らず、阿波に近い山の中では生活には厳しい環境だったのではと推察する。

セメント一塊を「豆腐」と表現しているセメント工場の横を過ぎ、また県道3号線に入る。この辺りは多和地区という。多和駐在所前で西から来た国道377号線と合流する。ちょうどこの手前で、12時を告げるチャイムが鳴ったが、その響きは学校で流れるチャイムと同じものだった・・・。
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