まつなる的雑文~光輝く明日に向かえ

まつなる兄さんのよしなしごと、旅歩き、野球、寺社巡りを書きます。頼りなく豊かなこの国に、何を賭け、何を夢見よう?

第30番「多祢寺」~西国四十九薬師めぐり・13(舞鶴湾を望む古刹)

2020年02月01日 | 西国四十九薬師

松尾寺から多祢寺に向かう。時折雨も強くなる。一瞬、この先向かうのをためらうくらいだが、これも冬の時季ならではということでクルマを進ませる。

途中で日本板硝子の大規模な工場の横を通る。私の勤務先企業の舞鶴の拠点では重要な顧客で、車両が頻繁に行き交う。ハンドルを握る手も慎重になる。万が一、そうした車両と事故をしてしまったら正直しゃれにならない。

舞鶴引揚記念館の横を通る。今回舞鶴の赤レンガ倉庫は素通りしたが、多祢寺の近くまで来たこともあるのでここは帰りに立ち寄ろうと思う。

多祢寺の看板も出てきた。道順に従えばいいのだが、その脇に小さく迂回路の看板もある。2018年夏の豪雨の時に土砂崩れが起きたそうで、現在も通行止めのようだ。ここは迂回路の案内に従って走る。もう一度舞鶴湾に出てから、細道を上って行く。先ほどの松尾寺よりも厳しい道である。路線バスで行けばバス停から通行止めの道を歩くことになり、歩行者は通れるのかもしれないが、いずれにしてもバス、徒歩だとハードな道のりである。今回はレンタカーで正解だったと思う。

カーナビを見ても道がクネクネしているのがはっきりしていて、ハンドルを右に左に操りながらようやく多祢寺の看板が出た。周囲に何かあるわけでなく、寺だけが建っている。観光とは全く無縁のようだ。

バスケットボールのゴールがある駐車場に停め、まずは広場として整備されている展望スポットに向かう。標高は約300メートル、ちょうど舞鶴湾を北から見下ろす位置にあり、何とかその形を望むことができる。ちょうど真ん中が舞鶴湾を横断するクレインブリッジで、その付け根あたりに舞鶴引揚記念館がある。戦後のシベリア抑留から復員した人たちが降り立ったのがこの一帯である。

多祢寺が開かれたのは聖徳太子の弟・麻呂子親王によるとされ、親王の護持仏だった薬師如来を本尊としたのが始まりという。平安時代には多くの塔頭寺院があったそうだがいつしか衰え、室町時代以降は一色氏や細川氏、牧野氏など丹後の有力者の保護を受け、昔からの仏像も保存されて今に至る。

先ほどの松尾寺と同様、他に参詣の人もいないようである。まずは山門に向かう。山門は昔からの建物のようで、その中に鐘もある。100円で自由に撞けるとあり、昼間の山中に鐘の音を鳴らす。余韻が結構長い時間続く。この下に石段が続いていて、元々は徒歩の参道がここまで伸びていたのだろうが今は仕切りがあって入れないようにしている。やはり徒歩でここまで来ようという人もいなくなり、道が荒れてしまったのだろう。また山門の仁王像は写真パネルである。実物は宝物殿に安置されているとあり、これも松尾寺同様、丹後の厳しい風雪にさらされて傷むのを少しでも抑えようということだろう。

境内にはちょっとした庭園も広がる。これを進むと本堂である。

本堂は江戸時代後期の再建ということで、秘仏であるが鎌倉時代制作の薬師如来が本尊で祀られている。ここでお勤めとする。ちょうど本堂の中から寺の人が出てきて「ご苦労様です」と声をかけられる。

お参りを終えて納経所へ。先ほどの人が「クルマで来られたのですか?」と訊く。平日の昼間に寺に来る人も珍しいようで、また今回レンタカー利用とはいえ外に出る時はリュックなど普段の外歩きと変わらない格好をしているので、ひょっとしたらここまで歩いて来たのかなと推測されたのか。

宝物殿も有料で拝観できるようだが、わざわざ一人のために開けていただくのも申し訳ないし、「見仏」は私のメインというわけでもなく、ともかく今回は札所の中でも難所の一つを訪ねることができたことでよしとする。

本堂の裏手にはお砂踏み霊場があるが、これが西国四十九薬師めぐりという珍しいものである。

また、熊野神社に多祢神社という小さなお堂もある。この辺りは神仏習合の名残だろうか。

さてここで次のサイコロである。せっかくなので舞鶴湾を見下ろしながら・・・

1.伊丹(昆陽寺)

2.河南町(弘川寺)

3.高雄(神護寺)

4.池田(久安寺)

5.丹波(達身寺)

6.亀岡(神蔵寺)

丹波の達身寺というのもちょくちょく選択肢で出てくる札所である(サイコロの目を当てるのもスマホのくじ引きアプリで選んでいるが、どうもこのアプリも偏りがあるのではという気がする。ここまで3回、4回と選択肢で出るものがあるかと思えば、10回を過ぎてもまだ一度も出てこない選択肢もある)。今回、選択肢の一つに「福知山(長安寺、天寧寺)」というのがあれば、予定を無理くり変更してそちらに行こうかとも思っていたが、公共交通機関での難所の一つである達身寺がもしサイコロで出たら、成相寺を中止して行ってしまおうかとも思う。いずれにしても自分のルールなので・・。

その中で出たのは「3」、神護寺である。こちらはこちらで京都の風光明媚なところなので次が楽しみである。まあ、訪ねるなら観光客が少ない冬の時季がよさそうで、今からだとちょうどよい。

多祢寺を後にするが、一応先ほど来た道とは反対側、通行止とされた側に向かう。早速、下り坂になるところに大きく通行止の看板が出ている。2018年夏の豪雨(西日本豪雨)といえば中国地方を中心に大きな被害が発生したが、舞鶴の山の中でもいまだに影響が残っているようである。

再び細道を通り、今度はクレインブリッジを渡る。いちど札所めぐりから離れて、舞鶴の戦後の歴史の一端に触れることに・・・。

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