まつなる的雑文~光輝く明日に向かえ

まつなる兄さんのよしなしごと、旅歩き、野球、寺社巡りを書きます。頼りなく豊かなこの国に、何を賭け、何を夢見よう?

第10回中国観音霊場めぐり~第13番「三瀧寺」

2020年02月13日 | 中国観音霊場

広島駅に到着後、この日の目的地である第13番の三瀧寺を目指す。アクセスとしてはJR可部線の三滝駅から徒歩15分とあるが、改札口で電光掲示板を見るとちょうど列車が出たばかりで、次の列車まで30分待ちだった。

ただ帰宅してから思うに、この時私は電光掲示板を見間違えていたようだ。時間で行けば12時48分発のあき亀山行きに乗れたはずである。そうしたことも気づかなかったとは、今の総理大臣や国会議員の連中と同様、私の脳も新型コロナウイルスのためにイカれてしまったのだろう。

この時はそうした気づきはなく、次の13時08分発まで時間があるからと、一度南口から駅前に出た。広島勤務時代は駅前の待ち合わせスポットにもなっていた噴水を見る。

マツダスタジアムができてからの広島駅南側の再開発、変貌ぶりには来るたびに驚くのだが、これからさらなる開発が進められるという。駅ビルそのものもホテルや商業施設が入る複合型に建て替えられ、駅前の広電の乗り場も2階にかさ上げされるそうだ。駅ビル「アッセ」もこの3月末で閉館との案内が大きく出ており、この噴水もいずれ撤去される方向だ。

確かに三瀧方面に向かうバスがあったのではと乗り場をたどると、赤バス(広島バス)の三滝観音行きというのがあった。観音とあるから三瀧寺まで行くのだろう。1時間に1本だが、ちょうど12時49分発というのがあったので乗り込む。

先ほど通った八丁堀や紙屋町を再び走り、原爆ドームの前も通る。ドームについては車窓から見ることで今回訪ねたことにする。

この後横川から太田川放水路を渡り、三滝駅の近くを過ぎると上りになる。広島駅から30分あまりで終点の三滝観音に到着。三瀧寺はもう少し先にあり、坂道を上がる。

途中に墓地があるが、その一角に原爆で無縁となった方々の墓という立札がある。正しくは原爆で亡くなった人の墓ではなく、墓を持っていた家族や親類の人たちが原爆で亡くなったので、身寄りがなく無縁仏になった人たちの墓石を集めたところだ。先ほど原爆ドームは車窓で通過・・としたが、やはり広島の歴史には原爆の影が見える。

車道が行き止まりになり、三瀧寺に着く。標石はあるが山門はなく、そのまま入る。観音や地蔵などさまざまな石仏が出迎える。

まずは三瀧寺の由緒について。平安時代に弘法大師空海により開かれたとされ、境内に三つの流れの異なる滝があることから三瀧寺の名がついた。鎌倉時代に安芸の領主武田氏により本堂が建てられ、その後は三滝観音として広く信仰を集めた。

「被爆建物」という案内がある。原爆の影響は市街地の西にある三瀧寺にも及んだ。本堂は損壊したが、境内の想親観音堂、鐘楼、稲荷社、三鬼権現堂、鎮守堂は被爆を乗り越えて現在に残っている。被爆建物は爆心地から5キロ以内で現存する建物について指定するもので、現在80件あまりがリストアップされているそうだ。ちなみに三瀧寺は爆心地から約3.2キロのところ。どうしても原爆ドームに目が行きがちだが、改めて広島市のホームページでリストを見ると、現役で使われている建物、施設にも結構残されているものがある。

多宝塔に向かう。元々は和歌山県内の神社にあった建物だが、原爆犠牲者を弔うためとして移築されたものである。

「各宗祖師之庭」というところに出る。左から弘法大師空海、日蓮、道元、親鸞と並ぶ。日本で檀家・信徒が多い代表的な宗派の祖師たちである。ここでも原爆死没者への回向と、世界平和を願うためとある。宗派の壁を超えたオールジャパンのようだが、祖師とは違うが聖徳太子像というのもここにあってよいと思った。

周りには原爆被害や平和を詠んだ句碑や歌碑も立つ。三瀧寺はそうした祈りの場でもある。被爆当時、市街地から三瀧寺に逃れてきた人も大勢いたという。しかし三瀧寺にたどり着く前に太田川放水路で亡くなった人もたくさんいるという。

この先、本堂に続く参道にも四国八十八所のお砂踏み霊場があるだけでなく、さまざまな石仏が並ぶ。また被爆者の慰霊碑や、ナチスドイツの収容所で亡くなったユダヤ人などを弔う石碑もある。山の中に涼しげな境内が広がり、新緑や紅葉を楽しむことができるスポットではあるが、慰霊と平和への祈りについては真摯なものを感じた。これまでの中国観音霊場の札所とは違うものを覚えた。

本堂に着く。戦後に再建された建物で、畳の上にホットカーペットが敷かれた外陣でお参りできる。ここでお勤めとする。他にお参りする人も少なく、滝の音を聞きながらの観音経である。

本堂と対峙する位置に建つ三鬼権現堂。3つの鬼神が祀られていて、それぞれ大日如来、弥勒菩薩、不動明王が神様の形を変えたものとされる。両脇には天狗と烏が守る形だ。この建物は被爆建物の一つである。

本堂の奥には第一の滝である幽明の滝があり、三滝山の神と天神を祀る鎮守堂が建つ。これも被爆建物である。さまざまに手を合わせるところがある。

ここまでで三瀧寺を一通り回ることになった。この先、三滝山のトレッキングコースがあるが、鎮守堂で引き返し、本堂横の納経所で朱印をいただく。墨書の文字は「福聚海」と書かれている。観音経の一節「福聚海無量」から取られたもので、観音菩薩の福徳は海のように広大無量であるという意味だとある。また「一緒に炊いてください」と、清められた米が入った小袋もいただいた。

こうした思いのある寺だとは知らず、逆になぜ広島勤務時代に訪ねなかったのかなと思う。

広島で平和を祈るといえば平和公園、原爆ドームということになるのだろうが、あそこは宗教色がない代わりに、政治色のようなものを個人的に感じる。怒りが入っているというのかな。それとは別に、こうした昔からの寺院で、観音菩薩の慈悲というものを感じつつ、静かに手を合わせて祈るのも日本人らしいのではないかとも思う。長崎で教会で祈るように。

昼食は広島駅で購入したむさしの「山賊むすび」を参道の東屋でいただく。「みんな大好き 野球はカープ むすびはむさし」である。海苔を全面に巻いた「爆弾おにぎり」はこの辺りに来ると「山賊むすび」になり、そこから「海賊むすび」に派生する。この地区のセブンイレブンでも「山賊」「海賊」が売られているが、それが山口県や山陰に行ったらどうなるのかも、中国観音霊場めぐりの中で見てみたい。たぶん山陽限定だと思うが。

三瀧寺を後にしてバス停に向かうが、1時間に1本のバスのタイミングは合わなかった。ならば帰りは鉄道でということで、坂道を三滝駅まで歩き、可部線の列車に乗る。時間はまだ早いが、ならばいったんホテルにチェックインしてゆっくりすることに・・・。

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