まつなる的雑文~光輝く明日に向かえ

まつなる兄さんのよしなしごと、旅歩き、野球、寺社巡りを書きます。頼りなく豊かなこの国に、何を賭け、何を夢見よう?

第10回中国観音霊場めぐり~宮島かき祭り

2020年02月22日 | 中国観音霊場

宮島のかき祭りというのは第36回とある。広島の冬の味覚の代表といえばかきだが、広島県内各地で開かれるかき祭りの中で最も早くから行われていたのが宮島だという。36回も続けばすっかり年中行事だ。

会場に着いたのは12時半頃で、ちょうど食事どきである。テントには長蛇の列ができていて、また周囲には縁石に腰かけて、トレイやカップを手に舌鼓を打つ大勢の人がいる。宮島名物の鹿もあちこちにいるが、彼らもかきを食べるのかな?

その中でまずは回転が早いかきポン酢をいただく。1皿200円のところ、2皿いただく。他の客も2皿、3皿は当たり前で注文する。もやしが余計な感じだったが、味のついた身をいただいてほっとする。

続いては1杯100円のかきうどん。かきの味が出汁にもよく出ていて、あっさりといただける。

そして一段と列が長かったのが、かきの土手鍋。かつて衣笠祥雄さんが「僕も好きです」と長くCMに出ていた「ますやみそ」提供のブースである。衣笠さんと「ますやみそ」・・衣笠さんが亡くなった時にこんな記事を書いていた。

行列に入った時は「ひょっとしたら売り切れになるかもしれませんが・・」と言われたが、まあその時はその時。普段食べ物のために店で並ぶのは大嫌いなのだが・・。

少しずつ前に進むうちに、かきポン酢が完売したようで、テントから歓声が起こる。一方の土手鍋は、売り切れも心配されたがよく見るとテントの後ろで新たに鍋をかき回している。これなら大丈夫だろう。

こちらも1杯200円のところを2杯注文して、そういえばと別のテントで注文していたビールと合わせる。かきと味噌というのはなぜ相性がいいのか、改めて問いかける味を楽しむことができた。

テントは他にもあるが、昼を回ったためかかき飯は早々と完売、生かき、むき身の現物の受付も終了していた。その中で土産に購入したのは、アサムラサキのテントにてかき醤油と、かきの味付海苔のセット。かき醤油は香りとコクが深い。このところ瀬戸内や和歌山を訪ねるたびに醤油を買い求め、小さいながら部屋に醤油の瓶が次々溜まるのだが(これが本当の「たまり醤油」?)、保存が利くものだし、少しずつ消費しよう。

宮島を楽しみ、帰りは松大汽船に乗り込む。またいつか、修復を終えた大鳥居も見てみたい。

松大汽船に乗ったことも含めて行きと帰りで変化をつけようと、宮島口からは広電で広島駅まで乗り通す。JRの倍近くの1時間ほどかかるが、先頭部の席に陣取って、懐かしい景色の中をトコトコ走るのを楽しむ。専用軌道ではJRに負けじとスピードを出すが揺れも激しい・・のはご愛嬌で。

広電西広島からは道路上に入り、広島市の中心街を行く。今回は原爆ドームをはじめ、紙屋町や八丁堀あたりは通過で申し訳なかった。また来るとすれば、マツダスタジアムでの交流戦絡みかな?

広島駅に到着。帰りの新幹線を18時台にしたのは、駅近くの居酒屋で一献、それも前夜はかきを除いて口にできなかった海の幸を当てにしていたためだった。

開店までの時間を適当につぶした後で、駅前のある店に入ったのだが・・・うーん、不味いわけではなく接客もしっかりしていて、その店には何ら落ち度はなかったのだが、今思えば、開店まで時間をつぶしてまで行く店だったのかなというのが引っ掛かっている。記事にする中で、それならば少し離れているが、朝からやっている食堂兼大衆酒場に行けばよかったのかなとか、3月で閉店の駅ビル「アッセ」にある店、別にお好み焼でもカープ鳥でも大衆酒場でも何でもいいけど、行くべきだったな・・と後悔している。

それはともかくとして、広島から新幹線にて大阪に戻った。行きのバスは5時間かかったが、さすが新幹線は1時間20分で結ぶ。

余談だが、当日2月9日、自宅沿線の近鉄南大阪線にて列車と軽自動車の衝突事故があった。大阪阿部野橋に着くまで知らなかったのだが、事故は関西のニュースでは結構大きく取り上げられていて、近鉄も数時間運転を見合わせていたが、ちょうど先ほど運転が再開されたところだった。事故の原因は軽自動車が無理に踏切内に進入したためで、運転していた男性は死亡したという。その背景は何だったのか。

さて中国観音霊場めぐりの広島県はこれで回り終え、次からは折り返しもある山口県である。またさまざまな要素を入れつつ楽しみたい・・・。
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