このところの報道を見て、腹立たしさが増幅している。
何で、こいつらの中で罹患する奴がいないのか。国民に勝手なことを押しつけて、かつテレビの向こう側でどうでもいいことで時間をつぶしているのやら。
まあ、庶民とは縁のない「上級国民」の方々だから、今さら何を言っても仕方ないな。
このところの報道を見て、腹立たしさが増幅している。
何で、こいつらの中で罹患する奴がいないのか。国民に勝手なことを押しつけて、かつテレビの向こう側でどうでもいいことで時間をつぶしているのやら。
まあ、庶民とは縁のない「上級国民」の方々だから、今さら何を言っても仕方ないな。
大聖院のお参りで今回の中国観音霊場の札所めぐりの目的は果たしたが、ここまで来たのだし、またこれも修行の一つとして、徒歩にて弥山の山頂を目指すことにした。別に強制ではないが、後で振り返った時に「ああしておけばよかった」ということになるのもどうかと思う。実は中国観音霊場、この先にもそうした難所スポットがあるが、この流れならそこにも行くことになるのだろう。
山頂まで二十四丁というのを、これまでの遍路ころがし等の経験値に置き換えて、まあ1時間半あれば大丈夫と踏んで出発する。ふと、杖か4、5本転がっているのを見る。この先の道のりを予感させるもので、丈夫そうなものを1本借りる。ちょうど糸でグリップも作られていて、地元の人か寺の方かはわからないが、ご厚意を受けることにする(四国遍路では、他人の金剛杖を使うのはその人の業を背負うことになるとしてご法度のようだが)。
まずは昔からの石仏が並ぶところを過ぎると、巨大な岩がゴロゴロする一帯に出る。公園のようで立派な石段も整備されているが、公園にしては豪快すぎるなと進むと「白糸川2号砂防堰堤 災害関連緊急砂防事業 平成19年10月完成」という広島県の礎石がある。砂防堰堤とは砂防ダムのことだ。
2005年(平成17年)9月の台風で弥山では大規模な土砂崩れが起きて、登山ルートだけでなく大聖院の敷地の一部も被害を受けた。その修復で砂防ダムが造られたが、「白糸川2号」というからには、この上に「1号」があるのだろう。大聖院ルートも台風から約3年間は通行止めだったという。
この先に瀧不動堂がある。この建物も土砂崩れで破壊され、砂防ダムともども新たに建てられたものだとある。宮島の台風被害といえば何年前だったか、厳島神社の本殿や拝殿の屋根が飛ばされ、境内が水浸しになったのを連想するが、弥山でこうした土砂崩れがあったとは恥ずかしながら知らなかった。
本来ならこの先にある白糸の滝を見るべきだが、そこまで行くのも遠いので手前の瀧宮神社で手を合わせる。平清盛が力を持っていた時期、高倉上皇ゆかりの神社という。
この辺りから昔からの参道、本格的な上りとなり、石段が続く。時折現れる丁石を数えながら上るが結構きつい。そんな中、桟橋のかき祭りが始まったのか、下のほうからステージ上のマイクの声が聞こえてくる。木々の間に厳島神社、桟橋あたりを小さいながら見ることができる。JR、松大汽船のそれぞれの船が頻繁に行き来する。ジオラマを見ているようだ。
六丁、七丁あたりだったか、開けた場所に出て屋根つきの休憩ポイントに着く。かつては里見茶屋という茶屋が建っていたそうだ。ここからの眺めも良いものだ。防寒の出で立ちで来たが、ここまで来ると逆に暑く感じる。一瞬、ここで折り返してかき祭りに行こうかとも思ったが、後悔するのもいやなのでもう一踏ん張り上ることにする。
丁石で頂上までの道のりをカウントしながら進むうち、巨大な岩が現れる。ここも土砂崩れかと見るに、対岸の岩は「幕岩」とある。高さ30メートル、幅150メートルあり、舞台の幕に見えることから名がついた巨大な一枚岩である。宮島の山上では長い歴史の中でさまざまな奇岩を産み出しているが、そのことが現れている。
この先に、また豪快な景色が現れる。ここが「白糸川1号堰堤」。先ほどの2号堰堤からそれなりに高度が上がっているが、この険しい地形に砂防ダムを造ってしまう技術の高さに今さらながら感心する。元の登山ルートは土砂崩れで破壊されたそうで、今歩いているのは新たに設けられた道だ。不謹慎ながら、山城の石垣に見えなくもない。毛利方、陶方、どちらでもいいが、もしも「厳島の戦い」が、弥山の山城に立て籠る相手との攻城戦だったら、中国地方の勢力争い、または守護大名と国人出身の戦国大名との争いも、また違った結果になっていたかもしれない・・と想像する。
木々の中の参道を進み、大聖院からまもなく1時間というところで分岐点に出た。四叉路になっていて、これから向かう山頂へは仁王門が建つ。後の二つは奥の院への道と、駒ヶ林から麓に下る大元ルート。まずは仁王門まで来て、頂上も見えてきたということで一息つく。この仁王門は2004年の台風で倒壊して、2012年に再建されたとある。先ほどの土砂崩れが2005年だから、2年続けての被害である。
2年連続は偶然かもしれないが、このところ、例えとして失礼だが広島商高や広陵高が甲子園に行くのと似たような頻度、間隔で宮島には何かが起こっているようにも感じる。厳島神社や弥山を含めた宮島全体というのは、常に自然災害の危機にさらされている一帯ながら、長年そうした役割を、あるいは広島市街を護る役目を担っていたのかもしれない。その宮島が護りきれなかったのか、あるいはスルーしたのか、その果てが2014年に安佐地区を襲った広島豪雨災害、2018年に県内では坂町や呉市に大きな爪痕を残した西日本豪雨災害だったのか・・とも感じる。全く個人的な感想で、広島の人に怒られそうだが。
ともかく、中国観音霊場がご縁を結ぶ中国仏教聖地の一つである普陀山からいただいたという仁王像の間を抜けて、山頂を目指す。険しい石段や巨岩の間を抜けて、ようやく先が見えてきた。いわば裏ルートから来たのかもしれないが、標高535メートルの山頂はそこにある。
ようやく着いた。大聖院からの所要時間は1時間15分だった。
とりあえず展望台の1階と2階の両方から景色を見る。麓の厳島神社や宮島桟橋の賑わいだけでなく、瀬戸内の島々、広島市街から岩国にかけて広がる山陽道など、雄大な景色が広がる。伊藤博文が宮島を「日本三景の一の真価は頂上の眺めにあり」と評したが、ここまで上がって来てこその「日本三景」ということだろう。