中国四十九薬師めぐりの石見シリーズ。その前泊ということで広島からクルマで益田まで来た。途中、かつての芸備線跡に出会ったり、益田でいい雰囲気の居酒屋での一献とあったが、11月20日は中国四十九薬師めぐりの当日である。
それでも、札所以外の要素が満載された1日になったのだが・・。
居心地のよかった益田グリーンホテルモーリスを出発。次に益田に泊まる機会があればまた利用したいなと思う。さてこれからまずは浜田に向かうのだが、その前に、益田に来たのだからどこか1ヶ所だけでも見物しよう。そこで思いつくのは医王寺。室町時代の画家・禅僧である雪舟ゆかりの寺として以前にも訪ねたことがあるが、この機会、改めて訪ねてみよう。
山門がある。益田城の大手門を移してきたものだという。医光寺は室町時代に開かれた崇観寺の塔頭寺院で、戦国時代に荒廃した崇観寺の後を継ぐ形で益田宗兼により再興された。
益田は他にも益田氏が築いた中世、近世の遺産がさまざま残されており、それらは日本遺産にも指定されている。市としても日本遺産をPRしている。
医光寺は庭園が有名である。雪舟が益田に滞在していた時に造られたものとされる。雪舟四大庭園の一つでもある。
池の形は鶴をイメージしていて、その中に亀島を配している。鶴亀で吉兆を現している。他の石などと合わせて須弥山や蓬莱山を表現しているという。雪舟といえば水墨画のイメージが強く、白黒で表現する人という印象だが、もちろん当時の世の中は白黒だけで成り立っていたものではなく、禅の世界を庭で表現するとなると石の他に四季の色合いも入ったことだろう。夏の緑もあれば秋の色づきもある。
鑑賞順路として後になるが、医光寺の本堂に出る。臨済宗の寺として、「医光」という名前から察せられるように薬師如来を本尊とする。現在中国四十九薬師めぐりの途中ということで、ならばお勤めをしなければ・・。
その奥にある開山堂では釈迦如来が祀られている。崇観寺の本尊だったとされる像で、戦国時代の荒廃を受けて医光寺に受け継がれていることの現われである。
医光寺を後にして、もう1ヶ所訪ねてみよう。訪ねたのは「益田市立雪舟の郷記念館」。雪舟や益田氏といった、益田の歴史文化にゆかりのある人物について紹介する施設である。
企画展として、「京都・室町幕府と益田氏」が開催されている。一番の目玉が洛中洛外図屏風で、屏風絵じたいはいくつもあるが、今回展示されているのは現存する最古のものとされ、国立歴史民俗博物館所有の国の重要文化財とある。史料保護のために照明が暗く設定されているが、都の賑わいの様子が伝わって来る。また、13代将軍足利義輝の肖像画もある。
別の展示室では雪舟の足跡が紹介されている。雪舟は備中の生まれで、少年の時に総社の宝福寺で修行し、後に京都の相国寺に入り、山口、明国など周り、石見に滞在したのは60歳頃のことである。医光寺、萬福寺の庭園を築いたのもこの時である。
雪舟は晩年期は山口で過ごしたが、最晩年には益田に入り、東光寺に入山したが、83歳で亡くなった。
この記念館は雪舟が亡くなった東光寺跡に隣接して建てられている。東光寺は現在大喜庵という名前であり、雪舟の石像や墓所も残っている。
中世の益田は、中国大陸や朝鮮半島に近い地であることと、中国山地からの材木や鉱物などで日本海の交易が盛んで、益田氏も積極的に交易を進めていた。そのためにさまざまな文物が入り、独特の文化が発展した。それが雪舟を呼ぶことになり、雪舟もまた自らの余生を過ごす地としてこの地を気に入ったことだろう。
ここまで来たところで、そろそろ浜田に向けて移動しよう・・・。