まつなる的雑文~光輝く明日に向かえ

まつなる兄さんのよしなしごと、旅歩き、野球、寺社巡りを書きます。頼りなく豊かなこの国に、何を賭け、何を夢見よう?

第21回中国四十九薬師めぐり~第35番「延命寺」(口羽の大阿闍梨)

2022年12月14日 | 中国四十九薬師

江の川鐡道のトロッコに乗車した宇都井駅を後にして、本来の目的である中国四十九薬師の札所に向かう。第35番の延命寺は口羽にある。この口羽にある札所を訪ねるところから旧三江線、江の川鐡道と来て、さらに同じ石見にある未成線としての広浜鉄道。そして益田に向かう途中で思わぬ形で出会った可部線廃線区間、入口は広島新四国八十八ヶ所めぐりの佐伯区観音寺・・・と、さまざまなものがつながった。

宇都井駅を出て江の川を渡り、いったん広島県に入る。橋梁の下で次のトロッコ列車を見送った後、やって来たのは伊賀和志駅。ホームには立ち入ることはできないが、江の川鐡道は伊賀和志、そして口羽までのトロッコ列車の運行を次の目標として活動している。

再び江の川を渡り島根県に戻る。延命寺は口羽駅に向かう途中にある。ただ、カーナビが案内したところは通りの真ん中で、確かに寺の入口はあるが階段が続いており、駐車スペースはない。後で、この手前に境内に上がる道が新たに設けられていたのに気づいたのだが・・。

通りに駐車するわけにもいかず、思いついたのは口羽駅前。以前訪ねた時、駅前にクルマ2~3台は停められるスペースがあったのを覚えていた。厳密にいって駐車してよいところなのかはわからないが、駅舎を見物に来たついでに寺に行くという体にしよう・・(新たな道を上がれば境内の駐車場に行けたので、この気遣いも無駄なことだったのだが)。

口羽駅見物は後にして、ともかく寺に向かう。閉門にはまだ時間はあるが、山の中、雲のせいで空も暗く、実際よりも遅い時間に訪ねた気分で、寺には早く行っておこう。駅前から見ると高台の上に寺があるのがわかる。

階段を上がり、山門をくぐる。本堂側には「八光龍王」「琵琶甲山」と記された額が掛けられている。

こちらが本堂の上がり口のようで、ちょうど本坊の玄関から住職らしき方が出て来た。四十九薬師めぐりと言うと、本堂の扉を開けて中に招じ入れてくれる。住職は話好きのようで、いろいろ訊いてくる。広島から来たというと、「広島?今日の午前中は法要で安芸区に行ってましたよ・・」と言われる。口羽の僧侶がわざわざ広島市内まで法要に行くとは、何か宗派の行事でもあったのだろうか。

この口羽、そして延命寺の歴史についても解説していただく。延命寺は室町時代の創建とされ、琵琶甲城主の口羽通良の祈願所であった。この口羽通良という人物、毛利元就に仕えた重臣で、元々は志道(しじ)氏の出だったが、口羽を領有したことで口羽の姓を名乗ったという。関ヶ原の戦いの後、毛利氏と家臣団は萩に移ったが、延命寺は口羽の地にて歴史を受け継ぎ、現在にいたる。

寺としての本尊は不空羂索観音で、両脇に日光、月光菩薩を配している。両脇に日光、月光といえば薬師如来が本尊ではないかと思うが、薬師如来は別枠で祀られている。他にも不動明王、延命地蔵、弘法大師もあり、不動明王の護摩供も道内で執り行われる。

なお、目の前の話好きの住職は、寺および中国四十九薬師のサイトによると、口羽通良の子孫・秀典(しゅうてん)師という。寺のサイトでは「真言密教二大修行」、「虚空蔵求聞持法修行」をはじめて諸々の修行を行い、真言密教最高の修行位である「伝燈大阿闍梨」の称号を許されているとある。お会いした時はそうした「大阿闍梨」ぶりを見せるわけでもなく、こうしてふらりと寺を訪ねたおっさんも手厚く歓迎してくれる住職である。YouTubeで検索すると護摩供の様子の動画もいろいろ出てくるが、さすがに祈祷においては迫力を見せてくれる。

堂内に「八光龍王」と書かれた額が掲げられている。表の山門にあったのと同じ筆跡のようだ。「これは、(歌手の)橋幸夫さんからいただいたものですよ」という。わざわざ額を揮毫してくれるとは、古くからのお付き合いなのだろう。

後はどうぞごゆっくりお参り・・と、ここでようやくお勤めである。中国四十九薬師、失礼ながらローカル札所ということで寺の方が常にいるわけではないが、こうして住職に出会うとやはり個性的な方もいるもので、そこに面白さを感じることがある。

寺を後にして口羽駅に戻る。途中、三江線全線開通を記念した石碑がある。1975年のもので、揮毫は運輸大臣(当時)・大橋武夫とある。この方、当時の島根県全県区選出の議員だったそうだが、三江線の全通にも何らかの影響を及ぼしたのかな・・。

現在の口羽駅は江の川鐡道が管理しているところで、駅舎、ホームに立ち入ることができる。廃線後もほとんど変わらぬ姿で保存されている。トロッコ列車の車両基地も口羽にある。客を乗せての運転は江の川を渡ったところまでだが、車両基地が口羽にあるため、運転期間の前後には口羽まで回送運転を行っているとのことだ。いずれ定期運転ができることを応援したい。

駅舎内でもさまざまなPRが行われている。

これで今回の中国四十九薬師めぐりは終了。先ほど延命寺の住職から、広島に戻るのなら高田インターに出ることを勧められたが、国道375線に沿って三江線の姿も見たいということで、結局三次まで行くことにした。

2020年に三江線跡をたどった時は線路側の細い道を走ったが、今回は対岸の国道を行く。現在は国道も整備されていてクルマなら便利なのだが、それでも時折未整備、工事中の区間もあり、対向車との行き違いに苦労するところもある。そのまま三次まで出て駅前を通過し、三次インターから中国自動車道に乗って帰途に就いた・・。

さて、中国四十九薬師めぐりは石見の第35番まで来たが、萩にある第33番・円政寺を飛ばしていた。もっともその後で萩を訪ね、この記事を書いている時点で第35番までつながり、島根のうち石見地区はクリアしたことになる。この後は出雲へと続くが、本格的な冬に差し掛かることもあってどのような日程で訪ねることにしようか・・・。

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