まつなる的雑文~光輝く明日に向かえ

まつなる兄さんのよしなしごと、旅歩き、野球、寺社巡りを書きます。頼りなく豊かなこの国に、何を賭け、何を夢見よう?

第21回中国四十九薬師めぐり~幻の広浜鉄道跡を行く

2022年12月12日 | 中国四十九薬師

中国四十九薬師めぐりは浜田から邑南町に向かうが、クルマで横断するのならということで、「広浜鉄道」の跡地をたどりながら行くことにした。前日の可部線の三段峡までの区間、そしてこの後の三江線のトロッコ列車と合わせて、今回の薬師めぐりは鉄道廃線跡めぐりの要素が強い。

ここで「廃線跡」と書いたが、これから行く広浜鉄道の路線は、建設工事そのものが途中で中止されたから正確には「未成線」である。その遺構があちこちに残っており、浜田市では「幻の広浜鉄道今福線」として観光向けにもPRしている。

広島と浜田を結ぶ鉄道を建設しようという構想は明治時代の半ばにはあったそうで、広島から敷かれたのが後の可部線、そして浜田側から戦前に建設が進められたのが山陰線の下府から分岐する今複線である。石見今福まではトンネルや橋梁も含めて大半が完成したが、戦時下による鉄の拠出のために肝心の線路を敷くことができず、また水害により路盤も流出したこともあり工事は中断された。

戦後、改めて広浜鉄道の建設となったが、戦前に建設された区間はカーブや勾配がきつい箇所が多く、浜田から新たなルートで建設することになった。なお、新たなルートは高規格路線として計画され、広島側からも可部線に代わる新線を建設し、広島~浜田間を最速55分で結ぶ構想があった。そして浜田から石見今福までの建設が進められたが、結局国鉄の財政悪化によりこの構想もなくなり、工事も中断された。広浜鉄道は二度にわたり建設がとん挫した形である。

時代は流れ、現在、広島~浜田間を最速で結ぶのは中国道~浜田道を通る高速バスである。それでも所要時間は2時間あまり。これを速いと見るか時間がかかると見るかはそれぞれだろうが、もし広浜鉄道の高規格路線が実現していたら、陰陽連絡の交通事情もまた変わったものになったことだろう。

これから目指す遺構は主に戦前に建設された「旧線」の区間で、途中で戦後に建設された「新線」と合流する。観光スポットとして紹介されているのもほぼ「旧線」のところである。県道をたどればそのほとんどはカバーできるようだ・・。

さて、旧線の起点である下府駅である。現在は対向式ホームであるが、向かい側のホームのその奥に「幻の3番線」があるとのこと。ここから、広浜鉄道跡めぐりのスタートだ。

下府川に沿いながら、県道50号線~県道301号線へと入っていく。これあら目指すスポットは県道沿いに点在しており、訪れやすい。

突然、川の真ん中にコンクリートの橋脚が現れる。ここから鉄道遺産の始まりか・・ということで、見えたのがカーブの途中だったので、100メートルほど先の路肩にクルマを停め、歩いて戻る。橋脚が2本あり、その先には有福第三トンネルが顔をのぞかせている。戦前に建設されたところなので、線路が通らないまま80年以上放置された形だ。これが「廃線跡」なら、少なくとも列車が走ったことはあり一応の役目を果たしたと言えるのだが・・。

続いて、先ほどよりもさらに高い橋脚が現れた。こちらは路肩を拡げた駐車スペースがあり、案内板も設けられている。今福第一トンネルと、トンネルを出た後の橋脚が4本見える。

路盤のところまで遊歩道があり、上がることができる。安全確保のためトンネルの中には入れないが、トンネルを出てすぐに橋を渡る様子が想像できる。広浜鉄道跡の展望台として紹介されている。この辺りは川が蛇行し、道路は急なカーブも多いが、鉄道はトンネルと鉄橋で最短ルートをたどろうとしている。

この辺りは佐野・宇津井地区で、地形を利用した棚田も広がる。

続いては今福第三トンネルと、5連アーチ橋。トンネル跡は目の前にあり、路盤跡もコンクリートで舗装されている。トンネルの中には入れないが、遥か先に出口が見える。しかし、アーチ橋はどこに・・。

もう少し先に進み、振り返ってみると5連アーチ橋が見える。たった今走り抜けた県道の1車線は、5連アーチ橋をそのまま使用している。こちら側の車線は5連アーチ橋、奥の車線は山の擁壁を利用している。道路化するにあたっては当然補強が行われたのだろうが、戦前の橋脚がこうして活用されるのも珍しいのではないだろうか。この5連アーチ橋をはじめ、広浜鉄道のコンクリート橋は土木学会推奨の土木遺産に認定されている。

続いては4連アーチ橋。先ほど見た今福第三トンネルの反対側である。ここは歩いて渡ることができる。戦前の鉄不足の影響で、コンクリートが多用されたという。

今福第五トンネルがある。ここまでのトンネルは安全確保のため立入禁止だったものの、物理的には看板と単管バリケードで仕切られているだけだった。ただここはガチガチのフェンス、有刺鉄線で物理的に入れなくしており、「JR西日本」の看板が出ている。幻の広浜鉄道で、国鉄を通り越してJR西日本とは。トンネルの中に横穴を掘ってJR西日本の地震計が設置されているとあり、トンネルの中で唯一活用されているものだという。

こんなところにJRの地震計?と思うが、大きな地震につながる初期の微動をキャッチすると、緊急警報を発動して必要な区間の新幹線を緊急停止させる役割があるという。

ここまでは県道沿いにあるトンネルや橋脚の跡を見てきたが、石見公民館佐野分館から先は、路盤跡そのものを行く。市道に転用されてウォーキングコースになっているが、クルマも走ることができる。歩いたほうが楽しそうだが、ここまで鉄道遺産を見る中で思ったより時間が押してきて、次の邑南町まで結構な距離を移動するとなると少しでも短縮する必要が出て来た。まあ、クルマで走るとちょっとした気動車(レールバス?)の運転士気分になれるのだが・・。

途中、4連アーチ橋を渡る。いったん手前でクルマを降りて、橋の下に向かう。この橋の下のある一点に立ち、手を打つと大きく反響する。アーチの構造によるものだが、ここには「おろち泣き橋」の名がつけられている。アーチ橋をおろちの胴体に見立て、広浜鉄道が開通しないことが決まっておろちが泣いている・・と地元の人たちがそう呼んだそうだ。

この先、地元の人たちが設けた休憩所を経て(途中駅に見えなくもない)、ここまでの旧線と浜田からの新線の合流地点に出る。ここでクルマを降りて、この先は歩いて行くことにする。轍があるのでクルマでも行けそうだったが・・。

そしてやって来たのは第一下府川橋梁、4連アーチ橋である。まっすぐトンネルに向かうのが新線で、4連アーチの旧線が分岐している。新旧両線の橋梁が見られる遺構は全国的に珍しいという。

「未成線」がここまで残されているのも不思議なものである。途中まででも列車が走ったことがあれば、少なくともその期間は公共交通の役割を果たしたわけだが、建設途中でほったらかしにされたわけだ。それも二度も。その当時でも税金の無駄遣い、負の遺産として記憶されたことだろう。

そして時代が下り、各地の廃線跡、未成線跡にも脚光が集まるようになった。コンクリート橋も土木遺産に認定され、歴史的、土木的にも価値が認められた。地元でも地域活性化、観光のきっかけとして広浜鉄道を後押ししているようだ。

見学ができるのはここまで。引き返して次の目的地である旧三江線の宇都井駅を目指す。私のクルマのカーナビは古いので、廃線前の三江線の線路、駅がそのまま掲載されている。そして宇都井駅を入力すると、到着予想時刻はトロッコ列車の時間を過ぎていた。

到着までに時間は短縮されるとは思うが、まずは金城スマートインターに向かう。ここから浜田道に乗る。

いったん広島県に入り、大朝インターで下りる。宇都井は広島県と島根県の県境に近く、大朝インターからまた島根県に向かう。気づけば到着予想時刻も早まり、14時40分発のトロッコ列車には十分間に合いそうだ。

そして遠くにコンクリートの高架橋が見えて来た。ようやく「天空の駅」・宇都井に到着である・・・。

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