まつなる的雑文~光輝く明日に向かえ

まつなる兄さんのよしなしごと、旅歩き、野球、寺社巡りを書きます。頼りなく豊かなこの国に、何を賭け、何を夢見よう?

京都2番「御香宮神社」~神仏霊場巡拝の道・99(伏見の安産祈願と御香水)

2024年04月17日 | 神仏霊場巡拝の道

春の京都・伏見の神仏霊場めぐりである。まずは京都46番・醍醐寺に向かい、地下鉄で六地蔵までやって来た。

ここ六地蔵は地下鉄、京阪、そしてJRと3路線が接続している。元々は京阪の駅だけだったのが、平成になってJR奈良線の駅ができ、そこに地下鉄が延伸してきた。それぞれに使い勝手があることから周辺にはマンションも建ち並ぶようになった。

さて、次に向かうのは京都2番・御香宮神社。読みは「ごこうのみやじんじゃ」である。六地蔵からどう行くかだが、JRで1駅、次の桃山で下車するのが最短のようだ。221系使用の普通で移動する。途中右手に高台があるが、その奥に広がるのが明治天皇陵(伏見桃山陵)である。明治維新に際して都が京都から東京に遷ったわけだが、陵墓が京都に造営されたのは明治天皇の「生まれ故郷である京の地で眠りたい」という生前からの意向で、その用地もあらかじめ確保されていたそうだ。豊臣秀吉が建てた伏見桃山城の跡地でもある。

桃山で下車。明治天皇陵がここに造営されたことで拡張され、戦前は御陵に参拝する人で賑わったという。今は地元の人が気軽に利用する駅だが・・。

駅からすぐのところに、伏見桃山城への大手筋通が走る。その通り沿いに御香宮神社の境内が広がる。

ここは初めて訪ねる。明治天皇陵の近くということで、「御」の文字を見ると明治天皇に関係する神社かなと思ったが、表門はかつての伏見城の大手門を移築したものである。いやそもそも、御香宮神社じたいの歴史はもっと古く、遅くとも平安時代初期には社殿が造営されたとの記録があるそうだ。「香」の文字は、境内から香りのよい水が湧き出ていて、その水を飲むと病が治ったことから、時の天皇から「御香宮」の名前を賜ったという。また、神功皇后を祀る香椎宮を勧請したことで「香」の文字がついたとも言われている。

境内、そして拝殿には宮参りの赤ちゃん連れの姿を見かける。記念撮影のための照明スタンドが立ち、スタッフらしき姿の人も見える。主祭神は神功皇后、仲哀天皇、応神天皇、菟道稚郎子命、仁徳天皇・・といった、あの辺りの神々(あの辺りといったら失礼か)。安産・子育て祈願の神社として知られているようで、次々に神官による祝詞奏上が行われていた。

本殿の脇に「御香水」がある。秀吉の後に伏見城に入ったのは徳川家康だが、その時に産まれ、後に徳川御三家の祖となる徳川義直(尾張)、徳川頼宣(紀伊)、徳川頼房(水戸)はこの御香水を産湯として使ったという。その横には水汲み場があり、授与所で購入したペットボトルに汲む。いや、別に私は安産・子育て祈願には関係しないが、この辺りは酒造りが盛んなところ。一つの水脈ではないかと思う。そうすると、「御香水」は伏見の酒の源といっていいかもしれない・・。

境内には酒樽の奉納も目立つ。つまりそういうことだろう。

御香宮神社を後にする。通りには朱色の大鳥居もかかる。その一方、御香宮神社に隣接して桃山基督教会というのがある。城下町であり、さらに神社の隣に教会というのを意識してか、和風建築である。

その脇に「黒田節」の案内板があって思わず足を止める。黒田家の家臣・母里太兵衛が福島正則の屋敷に招かれた際、大杯の酒を飲み干した褒美に「日本号」と称された槍を所望して見事持ち帰ったのだが、その逸話の舞台は伏見だったという。「酒は飲め飲め飲むならば~」の酒とは、伏見の酒だったということか。母里太兵衛が見事飲み干したのも、それだけ伏見の酒が美味かったから・・というさりげないPRかな。

近鉄の桃山御陵前、京阪の伏見桃山の両駅に着く。このまま伏見の酒で一献!・・といけばいいのだが、今回の目的地である京都3番・城南宮を訪ねてからである。伏見桃山一帯も、京阪、近鉄、少し離れてJRと、鉄道の要衝で賑わっているなあ。

次の城南宮の最寄り駅は近鉄の竹田。ということで、桃山御陵前から近鉄京手線で移動・・・。

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